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「どうして、わたしに話してくださるんですか?」
黒目がちな目を向けて尋ねると、それまで威勢の良かった縹之介は「うっ」と言葉に詰まった。途端にしどろもどろ話しだす。
「それは、ほら。あれだ。お前が俺たちを守ってくれてるからだ」
意味がよく分からない。どうやらそれが顔に出ていたようで、彼はゴホンと咳払いした。両手を大きく広げて褐色(かちいろ)の服を見せた。
「俺たちが着てる半纏、この紺屋で染めてある。これが俺たちを守ってる」
あさぎは染物屋の下女として働いているが、藍染の知識はない。女は男の仕事に立ち入ってはいけないのだ。裏の工房に入ろうものなら、きっと家から追い出されてしまう。職人たちと口をきいたこともない。
ただ、この紺屋の主人だけは、時々気まぐれであさぎに話しかけてくる。藍で染めた小間物や反物をちら、と見せて「きれいだろう」と笑いかける。不思議な老人だった。
農村育ちのあさぎ。名が「ちよ」で十歳だった頃、口減らしのために売られた。女衒と呼ばれる人買いから「白いおまんまが食べられるよ」と、いやらしい笑顔でなだめられ、身がすくんだ。
江戸に着き、お前はここで働くんだ、と妓楼に連れていかれるところで身請けしてくれたのが紺屋の主人だった。
あさぎ、という名をつけてくれたのは彼だ。
藍染は染め師が何度も布を藍甕に漬け、空気に触れさせ、を繰り返して青を濃くしていく。浅葱色(あさぎいろ)は優しい色合いの青だ。農村出ということであさぎを軽蔑している女中は、彼女のことをネギ女と罵ったりもしていたが。
「この紺屋を裏で支えてんのは、お前たちだ。だから、あさぎが俺を守ってくれてることになる」
「そう言われましても」
強引な理論に、あさぎはそう言いつつも思わず笑ってしまった。彼女が鈴のように笑うと、縹之介は顔を輝かせた。
「江戸の中を見てみろよ。みんな紺色着てる。藍染の反物はたんすに入れときゃあ虫食いも防ぐし、肌にも優しい。昔の戦人も鎧の下に着てたし、丈夫で燃えにくいから、俺たち火消しを守ってくれる」
「縹之介さまは、物知りですね」
あさぎの褒め言葉に、縹之介は下唇を噛んだ。それでもにやける口元は引き締まることはなかった。
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