三年前

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 仏壇に花は添えるし、線香もあげる。それは藍子の中での習慣になっていた。食事をしたら歯を磨くような感覚で、毎朝起きたらまず仏壇の前に座り、線香をあげると、りん棒を手に取り、おりんを鳴らす。  しかしそこに藍子自身の意図はない。ただのルーティンだ。想いも、心も、何も詰まっていない。工場勤務の主婦がただ無心でてきぱきとベルトコンベアの上にある商品を捌いていくような感覚だ。  聖の話題を、蒼に話そうか、何度も迷うことはあった。別に彼の死に直接関わる話題でなくとも、生前の彼の懐かしい思い出話をしたっていいのだ。蒼も、聖のことが大好きだったのだから。  さすがに全く話題に上げないのも不自然だし、弟も気を遣って聖の話をあちらから振ってくることもない。きっと、もし藍子が死ぬまで聖のことを話さなければ、蒼もまた、聖のことを自分から話すことはないだろう。  ――だが、喉から出かかる寸前までいくと、ひゅっと、呼吸が出来なくなる。首がいきなり細くなったみたいに、息が吸えなくなる。「まだ話すんじゃない」と、後ろから誰かに首を掴まれるみたいに。言葉という言葉が、口から出せなくなる。  そんなことの繰り返しで、三年経っても、まだ、聖のことを話せないでいる。蒼はこのことをどう思っているのだろう。夫を亡くした姉である自分を、どんな風に見つめているのだろう。
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