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弟は通常運転で不愛想を発揮していた。基本的に人付き合いが苦手な蒼は、無表情でぶっきらぼうな人間と勘違いされやすい。本当は心の優しい子なのに、その良さは、彼と辛抱強く付き合って、彼が心を開かないと伝わらない。
蒼が席を外したとき、聖がこっそりと藍子に耳打ちした。
『いい弟さんだね』
『えっ』
聖を見ると、にこにこと頷いている。穏やかで優しいその瞳は、初対面ならばまず表に出ない、弟の不器用な優しさをしっかりと見抜いていたらしい。
『なんで藍子さんがそんな顔するの?』
聖がクスクスと笑って聞いた。
『だ、だって、あたしの弟、ほら――あたしと真逆で人付き合い苦手だし、無愛想じゃない?』
『そうかもしれないね。でも、藍子さんのこと、すごく大事なんだろうなあって、ひしひしと伝わってきたよ』
いくら心の広い聖でさえも、あの消極的な弟と付き合っていくのは正直難しいだろうと思っていた。でもそれは藍子の杞憂だった。聖は蒼の本質をひと目で見抜いたし、何より弟が、聖によく懐いた。はやくに両親を亡くしていたせいで、家族という繋がりを、藍子と同じように、心の底でずっと欲していたのかもしれない。
「――姉さん?」
蒼の呼びかけで、藍子は現実に引き戻された。
「っ、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
藍子は心を落ち着かせるために、一度、大きく息を吐いた。
――いい弟さんだね。
――藍子さんのこと、すごく大事なんだろうなあって、ひしひしと伝わってきたよ。
そして、大きく息を吸った。
「蒼、あの――ひじ」
「あっ! そうだ。姉さん、急なんだけど、明後日、空いてる?」
「あ、明後日?」
「そう。姉さんに会わせたい人がいて」
藍子はバッグからスケジュール帳を取り出し、予定を確認した。幸い、仕事の予定は入っていなかった。
「明後日、空いてるわ。大丈夫よ。どこで待ち合わせなの?」
「あ、姉さんが出向く必要はないよ。相手が直接姉さんの家に訪問するから」
「えっ」
「だから、部屋、散らかさないようにね。明日は俺、仕事の予定があって掃除とか手伝えないから。明後日は俺が相手を連れて、昼すぎに家に行くからね。間違っても徹夜して爆睡とかしちゃ駄目だよ」
じゃあまた明後日、と言って電話は切れた。蒼の声は妙に早口で、どこか浮き足立っているようにも聴こえた。
聖のことを話すタイミングを失ってしまった。今なら話せるかと、せっかく勇気を振り絞ったのに。藍子はぼんやりと、手の中にあるスマホを眺めた。
――まぁ、いいか。話すチャンスなんて……いくらでもあるし。
スマホをポケットにしまい、藍子は空を見上げた。あともうすぐで日の入りだ。茜色の夕焼けはほとんど姿を消し、藍色の空が彼女の頭上を覆っていた。
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