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壱
「こちらアルマロス、異常なし」
無線を通して曇ってはいるが、凛とした女の声だ。ククリ少尉はコックピットの側面から眼下に見えるキラキラとした海面を確認した。海上は快晴。二機の戦闘機が順調な航行を続けている。
「大尉…?」
返答がないので、ククリが大尉を呼んだ。
「ああ、空軍でもないのに、何でこんなことになってんだ…」
気怠そうに返したのは、憲兵師団に所属するハバキリ大尉だ。憲兵師団とは治安維持を目的とする警察のような存在である。当然、通常任務で戦闘機に搭乗することなどない。
「仕方ありません。敵機もHSSですから」
「こいつを有視界で乗りこなせるのは俺たちだけ、てことだろ? 面倒な仕事ばかり押し付けやがって…」
「仕方ありませんよ」
ククリはまた同じ言葉を繰り返す。文句を言われたところで、正直返す言葉は無い。ハバキリもそれは分かっているはずだ。それなのに部下の自分に愚痴を垂れる。甘えているのだ、とククリは冷静に思っている。
その時、突然、別の無線が入ってきた。
「バラキエルとアルマロスへ。こちらグリゴリ。2時の方角、高度1000メートルに目標を発見。速度は時速955キロ。追尾できるか?」
連絡をよこしたのは、近くを航行する警戒管制機グリゴリだ。ハバキリたちは空軍に面識がないが、恐らくは司令官クラスの人物だろう。
「可能だ」
憲兵師団の特殊部隊を舐めるなよ、とでも言いたげに、ハバキリはぶっきらぼうな返事をした。
「今から13分後に、メインサーバーの通信が回復する予定だ。通信再開と同時に、当機から向こうの端末にアクセスし、メインエンジンを停止させる。それまでは下手な事をさせるな。君たちの目的はそれだけだ」
事の発端は、空軍の軍事ネットワークが何者かにハッキングされたことだった。サーバーが停止し、基地がパニックに陥っていたとき、突然HSSが一機、基地を飛び立ったのだ。
「ちっ、誰の尻拭いだか」
ハバキリが一時的に無線を切ってぼやいた。
HSSは高感度操舵式の最新ステルス戦闘機。存在する戦闘機の中でも最強と謳われるモデルである。操舵の精度が恐ろしく高いが、機体の動きが細かく反応しすぎるせいで、並のパイロットではコントロールすることができない。それを制御できる能力が二人にはあった。
実は、混乱の最中、二人は偶然にもHSSの訓練飛行で近くの空域にいた。そのためすぐさま追跡指令が下ったのだ。HSSが実際の任務で使用されるのは今回が初めてだが、まさか奪われた友軍機を追いかけるために使うことになるとは、誰も想像しなかっただろう。
「しかし敵もハッキングまでしてこの数分を稼いだわけです。サーバーが回復するまでに目的を果たすはず」
「目的?」
冷静なククリの言葉に、少し苛立った様子でハバキリが言った。
「そんな気がしませんか? とにかく間違いが起こらないよう、最善を尽くすしかありません」
真面目な答えだ。ハバキリはそれ以上は突っ込まなかった。今必要なのは因果のどちらでもない。
「間も無く敵機のレーダー補足範囲に入る。通信を受信のみに切り替えろ。ネットワークが切断された今、戦闘機を始め、空軍が所有する全ての軍用機のシステムが使えなくなった。君たちの乗るHSSもほとんど百年前の戦闘機だと思ってくれ。くれぐれも用心しろ。幸運を祈る」
「了解」
面倒なことになった。ネットワークが切断されたということは、測位システムが機能しない。レーダーは動いているので、相対的な位置の補足は可能だが、測位システムを利用した自動操舵機能は使えない。正確には、起動はするが期待通りに動かない、ということだ。有無を言わさず、自己の技量が物を言う。
しかしながら、仮に相手が空軍の凄腕パイロットであろうと、操舵感度を最大値にして同機体を使いこなすハバキリとククリには歯が立たないはずだ。この事件の解決も時間の問題と言える。
「ククリ、一発目は俺が撃つ。万一外したら無線を使え。追いかけっこだ」
「了解」
警戒管制機グリゴリの指示通り、敵機はまもなく肉眼で確認できるようになり、ハバキリは敵の死角になる位置に回った。
HSSは排気温度をかなり抑えている。高性能の誘導ミサイルでないと、撃墜は困難だ。ハバキリは敵機を見据えた。目視で撃つつもりだ。ミサイルの弾頭にはシーカーが備わっている。ある程度の距離まで接近すれば自動で追尾してくれる。
(万一もない)
ハバキリがミサイルを放った。ミサイルは凄まじい速さで敵機を目指して飛んでいく。
ところがシーカーが補足する直前、敵機は機体を華麗に捻り、複雑な軌道を描いて急旋回しながら、小さな飛行体を放った。
「ちっ…デコイか」
ハバキリは舌打ちした。ミサイルは敵機の発射した囮に誘われ、空中で爆破した。
「大尉、援護します」
ククリが無線を再開した。
「待て待て…どうなってんだよ?」
「どういうことだか…私にも分かりません」
ククリが苦々しい様子で言った。二人が狼狽えるのも無理はない。今しがた目の前で息を呑むテクニックを見せつけられた。操舵感度が最大値でなければ、あれほどの動きは見せられないはずだ。今あの敵機を乗りこなしている者は間違いなく、ハバキリやククリに匹敵する操舵能力を持っている。
「くそ、捻り込まれると厄介だな…機関砲でいくか?」
HSSには20ミリ機関砲が装備されている。ハバキリはしっかりと敵機の後ろに張り付いたまま、機関砲を何発か発射した。細く可憐な光の筋が空を切る。
「何なんだよ!カラス避けにもなりゃしない!」
敵機は後ろに目が付いているかのような華麗な操舵で、くるくると機関砲を避けていく。ククリも隙を見ては機関砲を撃ったが、二機の猛攻も、敵は難なく交わしてみせた。
「上手い…なんてテクニック。こっちの目が回ってしまいそう」
思わずククリが言った。
「感心してる場合か!」
ハバキリが叫ぶ。同時に敵機のエンジンが爆音を上げた。淡い朱色の炎が見える。アフターバーナーを作動させ、一気に超音速飛行に入った。
「引き離されます!」
「逃げられると思うなよ…」
ハバキリ、ククリの両機もすぐに音速飛行に入り、敵機を追尾した。音の壁を超えた瞬間、恐ろしいほどの衝撃音が鳴り響いた。ところが音速飛行は一時的で、ほどなく敵機は通常飛行に戻った。ハバキリとククリも同様に音速飛行を終了させた。敵機との距離がぐっと縮まった。
「大尉、射程に入りました」
「…悪あがきだったな」
エンジンをめがけ、ハバキリがミサイルを二発、発射した。すると眩い光とともに、いくつもの小型飛行体が敵機の後方に発射された。
「またか!」
敵パイロットの反射神経には脱帽だ。デコイによって二発目のミサイルも敢なく空中で爆破した。
「急降下しています!」
敵機は一気に高度を下げた。そして海面すれすれまで降下すると、放物線を描きながら機体を起こし、そのまま水平飛行に移った。海面が激しい飛沫を上げる。
(何する気だ…)
ハバキリが息を呑む。
「前方にレーダー反応あり。船舶のようです」
「船?」
ハバキリが慌ててレーダーモニターを覗き込む。だがその瞬間、敵機はエンジン付近から、大量の白い煙を噴出し始めた。雲に突っ込んだかのように、一気に視界が遮られた。
「くそっ、煙幕だ」
ハバキリは忌々しそうに言った。一旦は煙の中に飲まれていくが、すぐに目の前が明るくなった。
「船舶を目視。あれは…海軍の輸送艦です」
一足先に煙幕を逃れたククリが、海上を航行する輸送艦を発見した。巨大でシンプルなグレーの船体は、右舷に二機の30トン連装クレーンを搭載した貨物揚搭能力強化型輸送艦だ。敵機は真っ直ぐそれに向かっている。
「何とか…撃ち落とす!」
ハバキリのそう言って照準に集中した。ところがその瞬間、背筋にぞくっとする感覚が走った。酷く嫌な予感だ。距離感、時間、角度、その全てを肌に感じつつ、同時に撃墜が不可能だと感じた。
「危ない…!」
ククリが叫ぶ。
轟音とともに敵機は、右舷に二機あるクレーンうちの片方に直撃した。大きな爆発が起こり、爆煙は空高く舞い上がる。HSSの残骸は勢いそのまま、黒煙と炎に包まれながら、海面へと降り注いだ。
「やりやがった」
「まさか、そんな…」
事故ではない。自爆だ。
ハバキリとククリはゆっくり高度を上げながら、燃え上がる輸送艦の上空を旋回した。
「こちらグリゴリ。ネットワークが回復した。敵機の反応が無いが、撃ち落としたか?」
コックピット正面のディスプレイが起動し、警戒管制機からの連絡が入ってきた。
「いや、自爆した。航行中の大型輸送艦のクレーンに突っ込んだ。座標は1880、241。至急、乗組員の救助を頼む」
「了解した。すぐに海軍に連絡しよう」
ハバキリは眼下でもうもうと煙を上げる輸送艦を見ていた。
「俺たちも現場に向かいたい。近くに空母はないか?」
「西30キロの地点にオリヒメがいる。連絡はしておこう」
「了解」
ハバキリは無線を切って溜息を吐いた。全くすっきりとしない顛末だ。
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