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「酷い」
空母オリヒメからヘリで輸送艦に乗り込んだハバキリは、今だに煙を上げる惨状を前に思わず呟いた。ハバキリは齢二十七、黒髪短髪のいかにも軍人らしい雰囲気の男だった。体格もよく、気のいい兄貴分という風体だ。
「ええ…しかし敵とはいえ、あれほど優秀なパイロットが自爆するなんて…」
隣でククリも口を開く。歳はハバキリの二つ下。肩の辺りで短めに切り揃えられた黒髪は潔く、凛とした端正な顔の女だ。
「テロリストの考えることは理解できない」
人間が、この惑星アマツチの地表から追われて、550年ほど経つ。
それは突然だった。惑星全体を覆い尽くすほどの、非常に大規模かつ激しい寒波に襲われたのだ。ただの寒波ではなかった。吹き荒れる激しい風は大量の硫化水素を含んでいた。それは人類、いやアマツチに住まう全ての生命体が、未だかつて経験したことのない恐ろしい吹雪だ。極低温と猛毒の大気によって、地上に生きる多くの生き物が死に絶える中、一部の人々は地下に生活圏を求めた。
長い長い時間をかけ、ありとあらゆる技術を以て、人々は地下空間をいくつも造ってきた。その叡智は凄まじく、彼らの造った地下都市は、人工の太陽、森林、草原、山脈、海や川を有し、まるで地上にいた時とほとんど変わらない環境が備わっていた。今しがた銀翼が縦横無尽に飛び回ったこの空も、地下空間の中に存在するとは、何の知識も無い者にとっては想像するに難い。
「ハバキリ大尉、第二艦隊護衛部隊曹長のツノクイと申します」
考え事をしていたハバキリに、威勢の良い声が掛かった。
「おお、ご苦労様。状況は?」
「それが、実は大変なことが起こってまして…」
ツノクイ曹長は表情を曇らせ、後ろを振り返った。その方向に目をやると、続々と担架で運ばれる乗務員の姿があった。
「怪我人か?」
「いえ、殺害されています」
「はあ?」
思いもよらない答えに、ハバキリは声を上げた。
「何者かが艦内に侵入したようです。乗務員は幾人か、サーベルのような武器で切られたか、銃弾を浴びて死んでいました」
「どういうことだ? 戦闘機は自爆してるだろ? どこから侵入したって言うんだ? 初めから艦内に潜んでいたとでもいうのか?」
「それが、さっぱり分からないのです」
ツノクイの言葉にハバキリは唸った。
「HSSからパイロットが脱出したのでは?」
隣でククリが言った。
「馬鹿な。ベイルアウト(射出座席による脱出)の様子はなかった」
「しかし遺体が見つかっていません」
「機体の半分くらいは海に散らばった。遺体は艦内にあるとは限らない。そもそも常識的に考えて、射出以外に飛行中の戦闘機から降りる方法はない。降りたとしても無事なわけがない」
ハバキリはそう言うと、再びツノクイ曹長のほうを見た。
「それで、その侵入した奴の行動は?」
「生き残った乗務員の話では、この艦に格納されていたヘリで逃亡したようです」
軍事ネットワークをダウンさせたという点も含め、やはりテロリスト集団による計画的な犯行と見るのが妥当だろう。
「気になる点がもう一つ。艦内には幾つか物資保管庫があるんですが、そのうちの一つの扉が破壊されており、中身は空でした」
「それが狙いだったのか?」
「中に何があったのかは、積載物リストなどを確認してみないと分かりませんが…現場をご覧になりますか?」
ハバキリは頷いた。
ツノクイ曹長は、ハバキリとククリの二人を問題の物資保管庫へと案内した。甲板から下層へ降りると、すぐに乗組員居住スペースがあった。そのさらに下の階に、物資保管庫がある。薄暗く、そして妙な静けさが不気味だった。
「こちらです」
保管庫の中でも特に小さな部屋のようになっている小型保管庫のエリアに入ると、すぐに異様な光景が目に入ってきた。おびただしい血痕と血の匂いの中、無造作に倒れた扉が通路を妨げていたのだ。
「おい、これは内側から蹴破ったんじゃないか? 初めからこの保管庫に誰かいて、混乱に乗じて脱走を図ったんだろ」
扉の様子を目にして、ハバキリが言った。
「いえ、それが…よく見てください」
ツノクイ曹長は倒れた扉を慎重に持ち上げた。壁に立てかけてみると、扉にはちょうど顔の辺りの高さに、長方形の格子窓が付いていた。そしてその格子が外側に向かって曲げられているのが確認できた。
「この格子の部分にワイヤーのようなものを引っ掛けて、外から扉を引き剥がしたのではないかと思われます。内側には蹴破ったような打痕も見当たりません」
ツノクイ曹長の言葉を聞きながら、ハバキリは扉を入念にチェックしていた。
「かなり頑丈な扉だな。ワイヤーで引っ張るのも一苦労だろう」
鋼鉄製の扉は、果たしてどれほど重要なものを保管していたのだろうか。
「やはり不可解なのは、誰がどうやって侵入したのか」
突然ぼそりとククリが言った。
「ベイルアウトしていないとなると、あのHSSにもう一人乗っていたとか…」
「お前、まだそんな話…HSSは単座だろ」
呆れた様子でハバキリが言った。
すると、突然。
「ハバキリ大尉、ククリ少尉!」
いきなり通路の向こうから叫び声がした。
通路をこちらに向かって走る、若い海軍兵の姿が見えた。海軍兵は二人の目の前まで来ると、少し息を整えてから口を開いた。
「オリガイ憲兵大佐がいらっしゃいました。すぐ甲板へお戻りください」
「オヤジが?」
ハバキリは驚いた。オリガイ大佐は憲兵師団を統括する人物。その人が現場に足を運ぶことなど、滅多にないからだ。
ハバキリが「オヤジ」と呼んだのには理由がある。かつて孤児だったハバキリとククリを引き取り、育ててくれたのがオリガイだったからである。今でこそ離れて暮らしているが、子供の頃はひとつ屋根の下、同じ時間を過ごした家族のような存在だった。
「任務ご苦労だったね」
急ぎ甲板に戻ったハバキリとククリを、笑顔の憲兵大佐が迎えた。軽くパーマのかかった短めの髪と、男らしく生やした顎鬚が特徴の初老の男だった。
「いえ、輸送艦に被害を出す前に撃ち落とせませんでした。面目ありません」
憲兵師団に入隊してからは、さすがにハバキリも本人を前にして「オヤジ」とは呼ばない。
「気にするな。お前たちの土俵じゃなかった」
オリガイはにこにこと皺を作って笑った。彼は平素は非常に穏やかな性格の人だが、ひとたび怒ると、大の大人も縮み上がるほど恐ろしいという。
「それより、大変なことになっているようです。何者かが輸送艦に侵入し、死傷者が出ています」
「らしいな。実際この輸送艦には重要な軍事機密があった可能性がある。検証は海軍が責任を持って引き継ぐそうだ。お前らは一旦本部に戻れ」
オリガイに言われ、ハバキリは少し不満そうな表情になった。ククリも眉間を寄せる。
「ですが…」
「分かってるよ。中途半端で締まりが悪いんだろうが、ここは海軍の輸送艦だ。海軍に任せておけばいい。お前らには、別にやってもらいたいことがあるんだ」
オリガイはちらっとククリを見た。彼女は特にそうだ。腑に落ちるまでやめない、途中で投げ出すことを嫌う性格だった。
「実はテンロウ血盟旅団が活動を再開したという情報がある。この自爆テロも彼らの犯行である可能性が高い」
「そういうことですか」
ハバキリは納得したように頷いた。
テンロウ血盟旅団とは、反体制派の過激派集団で、つい一年ほど前まで、テンロウという地下都市で勢力を伸ばしていたテロリスト集団である。彼らは打倒政府を目的に団結し、大きな内戦を起こしたが、テンロウで大規模な核攻撃を行い、地下都市ごと壊滅状態に陥れた。現在は、指導者と最高幹部数名が指名手配となっている、史上最悪の犯罪者組織だ。
「詳細は本部でトウイ中佐から聞け。ここでの仕事は他の奴らでもできるが、そっちの仕事はお前らにしか頼めないことなんだ」
オリガイは二人の肩を力強く叩いた。少しばかり不服だが、組織の中においては適材適所と優先順位が重要だ。二人は姿勢よく敬礼をすると、オリガイに背を向けた。
しかしすぐに、
「あぁ、お前たち」
オリガイが声をかけた。ハバキリとククリは振り返った。
「信念を持って、己の正義に従え」
その言葉に、ハバキリとククリは表情を引き締め、再度敬礼した。耳にタコができるほど聞かされた台詞だったが、今日は一段と重みがある。
二人の表情を見て、オリガイは満足そうに微笑むと、輸送艦の司令室へ向かうため踵を返した。その背を見送って、ハバキリは大きく溜息をついた。
「ん…ククリ?」
突然、ククリの姿が見えなくなった。辺りを見渡すと、ククリは一人、甲板の床にしゃがみこみ、何かをじっと見つめていた。
「お前、何やってる?」
ハバキリがククリのところにやってきた。ククリが見つめていたのは、鉄製の甲板の床だ。その床が少し凹んでいた。
「打痕か?」
「ええ、恐らく。ですが妙な形…」
ククリは一向にその場を離れようとはしない。このまま放っておくと、日が暮れるまでこのまま床にしゃがみこんでいそうだった。
「おい、大佐の命令だ。本部に帰るぞ」
ハバキリは少し強い口調で言った。ククリは渋々、その場を離れた。
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