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 ククノという地は、特徴的な形状をしている。巨大な地下空間の中央に、周りを海に囲まれた丸い大きな島があるのだ。島の外周距離は約三千キロもあり、そこには広大な自然が広がっていた。  列車がククノの外壁に到達すると、約百メートル下に海面を捉える高さにいることが分かった。そこから海面へリフトを使って降りると、準備されていた船舶へと乗り換え、三百人は島へと上陸したのである。  眩しい太陽、青々と生い茂る木々、鳥たちの歌声…ククノは絶対的な存在感を持ちながらも、優しく人々を迎えてくれた。二年ぶりの陽光と自然に、感極(かんきわ)まって涙する者もいた。 「ここがククノか…お前の名前に似てるよな」  水々しい草むらを踏みしめてハバキリが言った。 「そうですね。でも意味が違います。ククノのククとは木々のことですが、ククリのククは花の名です」  ククリが真面目な顔で言った。  彼らが到着したのは、なだらかな丘を背にした砂浜だった。人工とはいえ自然保護区域に深く踏み込むのはよろしくない。あまり移動しないように、新たに居住スペースを作っていかなければならなかった。 「さっきも話したが、ここへ通じる道は開通したばかりだ。まさかこんなに早くここへ移動するとは想定してなかったから、実地調査が全くできていない。すまないが、ここが拠点とするに相応しい場所かどうか調べてきてほしい」  ヒモグリが二人に頼んだ。どちらか一人が、ナナカゼとハネビシに同行し、付近の調査をするというのだ。  あいつらに任せられないのか、と思ったハバキリだったが、この事態を招いたのが自分たちのせいではない、とは言い切れない。 「…ククリ、お前が行け」  ハバキリはククリに言った。ククリのほうが、ナナカゼたちと上手くやれるような気がしたのだ。言われたククリは少し不安そうな顔をした。無理もない。しかしその実、ククリはハバキリのどこかまだ煮え切らない心持ちが分かったのだ。 「じゃあ、行くよ」  もたもたしてると置いていく、と言わんばかりに、ナナカゼが颯爽と歩き出した。  ククリはハバキリの顔を見た。ハバキリは何ともない顔をして、手を振った。どうもすっきりしないまま、ククリはナナカゼとハネビシを追った。ナナカゼはペースを崩さず、なだらかな丘を登っていく。 「あなた、やっぱり悪い人じゃなかった」  追いついたククリが穏やかな表情でナナカゼを見た。ナナカゼが鼻で笑った。 「さあね」 「子供達を救ったじゃない?」 「言われたことをやっただけ」  ナナカゼは面倒臭そうに短く答えた。 「輸送艦で子供達が閉じ込められていた扉は、外側から引き剥がすように開けられていた。あの時、あなたが部屋を開けた時、あなたは扉の前に集まってきてしまった子供達を気遣ってそうしたんでしょ? シェルターの保育施設の扉を開いた時、そう思ったの」  ククリがそう言ったが、ナナカゼは口を閉じたままだ。 「きっと正義感があるんだよ」 「正義なんて言葉、簡単に口にしないほうがいいわ。悪だって立場が変われば正義でしょ?」  ナナカゼがピシャリと言い返した。 「ふう…ナナは厳しいねぇ」  隣を歩くハネビシが苦笑いしながら言った。 「そうだね……じゃあ家族愛?」  ククリは変わらず穏やかな表情で言った。ナナカゼは面倒くさくなったのか、再び口を閉じ、溜息をついた。  丘を越えると、目の前に雄大な景色が広がった。途方もなく広い緑の草原と、逞しく(そび)える山々。ただ遠くに見える幾本もの巨大な支柱が、この場所が地下空間であることを伝えている。 「すごいな…」  ハネビシが目を輝かせて言った。  三人はゆっくりと丘を下った。下りきったところから、大きな森が広がっていた。近付くにつれて、木々の大きさが分かってきた。地下都市の中にもいくつか森は存在している。しかしここまで巨大な木は見たことがない。  森の入り口にはひときわ大きな楠があった。大木の根元に立ったククリは、溜息をつきながらその堂々たる姿を見上げた。 「大きい…」  五百年以上前に始まったククノの建設。かつて地上にあった土壌と、それに適した植物を全て人工的に配置したこの計画は、人の手によって大自然を生み出すという壮大なものだった。長い年月をかけて、様々な動植物や菌類が自然に繁殖し、森は見事に極相(きょくそう)を迎えていた。 「ククノは天候や気温の調整も、より自然に近い設定になってるらしい。例えば雨が降ったり。人間にとっては不便だけどね」  ハネビシが言った。地下都市では雨がまったく降らない。太陽光や気温など、あらゆるものが人間の生活にとって快適になるように設定されている。つまり雨が降らなくても問題ない環境が整っているのだ。  雨が降っては不便といっても、それが元々人間が歩んできたものなのだから不思議な話だ。 「この辺りは環境が良さそうね。見て、川もあるから水にも困らない」  ナナカゼが近くの小川を指差して言った。幅一メートルほどしかない小さな川だった。柔らかそうな緑の茂みを縫うように流れている。まるでおとぎ話の世界に出てきそうな風景だ。  三人は小川に沿って歩き始めた。 「ん? これ何だ?」  歩き始めてすぐにハネビシが立ち止まった。足元の地面をじっと見つめている。 「(わだち)?」  森の端から続くように、細い道ができていた。そこは草が少なく、地面が肌を晒しただけの獣道のようだったが、よく見ると二本の筋が続いているのが分かった。何か荷車のようなものが通らねば、こんな跡は残らないはずだ。 「誰かいるってこと?」  ククリが不安そうに呟いた。 「まあ…侵入禁止区域ではあるけど、調査目的での立ち入りとかはあるんじゃないかな?」  眉間に皺を寄せてハネビシが答えた。あまり自信は無いようだ。  三人はまた無言で道を進んだ。轍のような跡はまだまだ続いている。 「ちょっと、あれ」  ナナカゼが何かを見つけて指差した。端を渡った向こう側に、石でできた小さな石像のようなものがあった。それは緑の苔が生えていたが、明らかに人のような形をしていた。 「お地蔵さま?」  ククリがぽつりと呟いた。それはもう文献でしか目にすることはない、はるか昔に人間が作っていた石像で、村や町などの端に置かれ、悪しきものの侵入を防ぐとされた守り神の像である。  明らかな人工物だ。 「ねえ、あそこ」  今度はククリが何かに気づいた。  川幅が広くなってきた小川の流れる先だ。近づいていくと何かが見えてきた。 「何で…こんなものが?」  三人の目の前に見えてきたのは橋だった。  小川に架かった橋は欄干(らんかん)のないシンプルな木製の橋だった。見たところ、機械ではなく人の手で作られたもののようだ。 「やっぱり誰かいるんじゃないか?」  ハネビシは辺りを警戒するように見回した。 「このまま帰るわけにはいかないわね。ここにいるのが星守の関係者だったらなおのこと。拠点に適した場所じゃないかもしれない。脅威が無いか、徹底的に探りましょ」  冷静な態度でナナカゼが言った。彼女の言う通り、不安要素が見つかったのだから、しっかりと見極めなければならない。  橋を通り過ぎると、先ほどよりも遥かに大きな道があった。幅は二メートルほどだろうか。大の大人が余裕を持ってすれ違える広さだ。その道は大きな森の外周をなぞるようにして続いており、三人はゆっくりした足取りで森沿いを歩き出した。  その時。 「静かに…何か近づいてくる」  少し緊迫した様子でククリが言った。すぐにナナカゼの耳にも、地を鳴らすような音が聞こえてきた。自分より少し早く音に気付いたククリを見て、ナナカゼがにやりと笑った。 「え、何だよ。俺には聞こえないけど」  ハネビシが不安そうに二人を見る。 「馬だ」 「馬?」  間もなくハネビシも、背後にその音を感じ取ることができた。それがひときわ大きく鳴り響くと、ようやく大地を駆ける三頭の馬の姿が見えた。しかし、 「誰か乗ってる!」  ハネビシが叫んだ。  まさか、とは思ったが、馬には武装した男が乗っていた。しかし出で立ちがずいぶんと変わっている。布でできた柔らかな衣服に、鉄を組み合わせた簡単な鎧。ハネビシたちはすぐにはっとした。それははるか昔に人間が使っていた「着物」、「具足(ぐそく)」と呼ばれるものによく似ていたからだ。しかし彼らにそれ以上の深い知識は無く、実際には丁寧に織り込まれた幾何学的な模様は、どの史料にも類を見ないものだった。  矢のような勢いは止まることなく、馬に乗った男たちは彼らのほうへ一直線に迫ってきた。 「おい、マジか!」  ハネビシが恐怖を感じて、道の端へ飛び退った。ナナカゼとククリも難なく避けた。相手の素性も知れない以上、無駄な争いはすべきではない。ところが。 「助けて!」  馬が走り抜けた瞬間、ナナカゼとククリの耳に、悲痛な女の声がはっきりと聞こえた。  二人は一瞬で目配せすると、走り去ろうとする馬めがけてナナカゼが飛びかかった。まさに電光石火の身のこなしで馬上の男を殴り倒す。あえなく落馬した男は抱えていた女を放し、ククリが見事に女を受けとめた。 「何者だ!」  他の二人が、突然の出来事に馬を急停止させた。ところが息つく暇なくナナカゼはハンドガンを構える。瞬時に放たれた二発の銃弾が男たちの皮膚を抉った。  男たちは悲鳴を上げて馬から落ち、悶えた。銃声に驚いた馬たちは一斉にその場から逃げ去っていった。 「大丈夫ですか?」  腕の中に抱えた女を見て、ククリがそう声を掛けた。 「ええ…ありがとうございます」  丸く結った黒い髪が少し乱れていたが、女は怪我なく無事なようだ。ククリは女の羽織った美しくも不思議な模様の着物に目を奪われた。  ナナカゼとハネビシがククリの元へと駆け寄った。 「ナナカゼ、ありがとう」  ククリが礼を言うと、ナナカゼはまた苦笑いを浮かべた。 「何だかよく分からない展開だけど、何でここに人間がいるんだ?」  ハネビシが顔を歪ませて頭を掻いた。しかしすぐにまた、後方から馬の駆ける音が迫ってきた。 「おいおい勘弁してくれよ! 追っ手が来たんじゃない?」  かすかに見えた馬の数は先ほどの比ではない。二、三十頭はいようか、そのどれもが鉄の鎧に身を固めた男たちを乗せていた。 「いえ、あれは我らナンシュウの軍。味方です」  女はそう言うと、ククリの腕からゆっくりと立ち上がった。 「アカ姫様!」  男たちがこちらに向かって叫んだ。彼らは駆け寄ると、倒れていた敵の兵士を素早く拘束した。そしてアカ姫と呼ばれた女を囲み、安堵の顔で恭しくその場に跪いた。 「姫、お怪我は?」  一人の男が、アカ姫に尋ねた。黒髪を後ろで結った青年だった。 「キクジン、わたくしは大丈夫です。この者たちが救ってくださいました」  少し青ざめた顔をしていたが、アカ姫はそう言ってナナカゼたちを振り返った。武装した青年は、三人を見るなり丁寧にお辞儀をした。 「これは(かたじけな)いことです。何とお礼を申し上げてよいか」  ずいぶんと硬い言葉遣いだと感じた。 「あなた方さえ良ければ、王のもとへ。姫の命の恩人ですから、お礼をさせていただきたいのです」  青年が言ったが、ククリは慌てて掌を前に向けた。 「そんなつもりで助けたわけではないですから、どうかお気遣いなさらず…」 「先をお急ぎでしたか?」 「いえ、そういうわけではないんですが…」  ククリは助けを求めるようにナナカゼとハネビシを見た。二人とも神妙な面持ちだ。 「あなたたちは星守の方ですか?」  意を決してククリが尋ねた。 「セイシュ…? 聞き慣れぬ名ですな。私はナンシュウ国将軍のキクジンです。あなた方がお救いくださったこのお方は、アカ姫様。ナンシュウ国王スオウ様の御息女であらせられます」  キクジンはそう説明した。 「私はククリといいます。彼女はナナカゼ、そして彼はハネビシ」  ククリが順に紹介した。 「あなた方はこの土地の人ではないようですね。どちらの国からお越しですか?」  キクジンに尋ねられ、ククリは返答に窮した。 「そうね、お話すると長くなるわ」  突然ナナカゼが口を開いた。 「こんな所で立ち話するのも何だし、せっかくお招きしてくださったんだから、お言葉に甘えたらどう?」  ナナカゼの言葉に、ククリとハネビシは少し驚いて目を見開いた。しかし、これほど近い場所に人間が住んでいるのであれば、果たしてここに居座るべきなのか、彼らは本当に無害なのか、それを見極める必要は確かにある。これはナナカゼの機転が効いた、と言えよう。 「それは良かった。城まで案内いたしましょう」  キクジンは少し安堵したような表情を浮かべた。ただ時折、兵士の中から警戒するような視線も感じた。相手が異文化の見たこともないような武器を持った人間なのだから、当然だろう。だがこちら側から見れば時代錯誤な、まるで映画の撮影をしているかのような滑稽さがあった。 「こんな集団がククノにいるなんて、そんな情報はどこにもなかったよ…」  ククリとナナカゼの耳元で、ハネビシが小さく囁いた。 「彼ら未接触の民族かもしれない。争いはなるべく避けよう」  無論、二人にも異論はなかった。
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