6。邯鄲の夢

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 僕は一人のセッションを終えるたび、必ず香凜に報告していた。香凜がどんな姿で現れ、どのような話をしたのか。それがどれほど現実感があり、どんなに不思議な体験であるか。セッションで浮かんできた情景もできるだけ詳しく説明した。  シーンとして浮かんでくるのは、概ね二人で行った懐かしい場所ばかりだった。一緒に行った旅行やデート、記憶の底に眠っていたあれこれが、セッションごとに自分の力で思い出せる以上に掘り起こされた。香凜はいつもその話をとてもうれしそうに聞いた。 「すごいね。私もそこまでは詳しく覚えていないわ」  京都の寺で写経をしたことを話すと、香凜は素直に驚いた。僕も笑った。 「二人分の記憶がミックスされているから、時々自分が誰か分からなくなるよ」 「人の記憶が自分の中で再現さるのって、どんな気分なの」 「それが不思議なんだ。硯で墨をすって、真っ白な半紙に般若心経を一字ずつ書き込んでいたのは、僕の頭の中では完全に僕だったんだ。香凜じゃない。墨をする音が聞こえた気がしたし、筆を持った感覚まであった。別の人の記憶だという感覚は全くなかったよ」 「じゃあ、私の記憶や経験はそんな風に全部剛志の記憶と一緒になってしまうの?」 「今はまだ調整段階だから、そういうことが頻繁に起こるらしいけど、ハマダさんはコントロールできるようになると言ってた」 「良かった。私の記憶が全部行っちゃったら剛志が混乱するでしょう。私はほんの一部でいいから、一緒にいられたらいいの」  僕は今日のセッションのことを話すかどうか迷った。記憶の中の香凜とセックスをしてしまったことを打ち明けるのは、浮気の告白のような気がした。だが、ハマダさんの言葉を信じて、思い切って打ち明けた。 「そう…」  香凜は小さく呟いたあと、しばらく黙ってしまった。「言うべきではなかったか」。僕が後悔し始めたころ、香凜が口を開いた。 「ごめんね。本当は私がしてあげられたら良かったんだけど」 「そんなことはないよ。僕こそ香凜が病気と闘っている時に…」  香凜はベッドの脇に座っていた僕の手に触れた。 「少し嫉妬しちゃう、メモリーバンクの私に。でも、何だかうれしい気持ちもあるわ」  香凜は目を閉じた。二人の間に静かな時間が流れた。不意に香凜がポツリと言った。 「私がいなくなっても、いっぱい愛してね」
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