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「契約を解除することが、どうして尊厳を守るということになるのですか」
剛志は食い下がった。いつもは温厚で謹厳なハマダさんが、今夜は一歩も譲らないという強い意志を、言葉や態度、表情で目一杯発散している。
香凜を失いたくない、剛志はその一念で、ハマダさんという厚い壁に体当たりしていた。客であるとか、担当者であるとかは関係ない。ハマダさんは会社員という立場、地位を投げ打って剛志にこの情報を伝えた。それには一個の人間として応えなければならない。
「弊社と契約している以上、弊社には高木様からお預かりした奥様の記憶データ、その受容体としての高木様の脳神経データを守り続ける責任があります。何重にも及ぶバックアップをとっておりますし、セキュリティーも完璧を期しています。ですが、契約を解除なされた場合、弊社としてはそれらを全て廃棄しなければなりません」
「それは分かっています。でも、香凜の一部はすでにコピーされてしまった。取り返しがつかないのでは…」
ハマダさんはグラスをつかみ、半分ほど入っていた水を一気に飲み干した。
「確かに、その点については取り返しがつかないかもしれません。ですが、私が責任を持って、対応させていただきます」
「責任持って…というと」
「奴らがネットワークを使って、奥様の記憶を勝手にコピーしたのであれば、同じ方法を使ってその部分を消去することもできるはず。研究途上のデータですので、お預かりしている記憶ほど厳重にはバックアップされていないので、作業はそれほど難しくないでしょう。いざという時は、物理的な行動を取ります」
「物理的な行動?」
「その研究用サーバーを破壊します」
ハマダさんの言葉が、二人のいる小部屋の空気を固まらせた。剛志はしばらく言葉を見つけられずにいたが、やがて小さな声で言った。
「そんなことをしたらハマダさんは…。会社には」
「いられなくなるでしょう。でも大丈夫です。依願退職という形で首になるだけです。今回の件では、会社にも探られたくない腹がありますし、破壊活動を公にする訳にはいきません。警察に突き出されることはないでしょう」
ハマダさんはこの夜、初めて笑った。
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