第3話

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第3話

香水が移る距離ってどんな距離だ? 秀一はTraumereiからの帰り道、トボトボとした重たい足取りで片道10分の距離を20分近くかけて歩いた。 晴れていた空もなんとなく雲行きが怪しい。明日は雨かもなぁとぼんやり思った。 秀一は香水をつける習慣がない。 秀一の周りにも、香水をつける人はいなかった。だから、どれだけの密着で香水が移るのか見当もつかない。 ほんのちょっとした、例えば肩がぶつかるとかいう程度の接触でも移るものなのか、それとも長時間抱き合ったりしないと移らないのか。 いやでも、2人の距離は近かった。肩に手をかけ耳元で囁いたり、腰に手を回したり。その都度桜井の方は邪険にしていたけれど、本気で嫌がっていたかといえばそうでもないようにも感じた。 『安心していいよ、今はただのお友達だから。』 なんて言っていたけれど、それも信用していいものか。 漸く辿り着いたアパートは、寝坊してドタバタした勢いで飛び出したせいで散らかっている。脱ぎっぱなしだったパジャマを拾い上げて秀一はなんだか虚しくなってきた。自他共に認める社畜である秀一の貴重な休みの日が、なんだか残念な気持ちに覆われてしまったからだった。 「…はぁ~、寝よっかな…」 Traumereiに通うようになってから大好きな二度寝も愛する昼寝もご無沙汰である。ろくな食事も取らず惰眠を貪る、時間を無駄にするという秀一が最も慣れ親しんだ贅沢の方法だ。 そう、休日の朝からクラシックの流れるカフェでお洒落なモーニングセットをいただくというなんだかセレブのような贅沢ではなく、だ。 そうと決まったら話は早い。 やけくそになった秀一はいつものように身につけていた衣服をポイポイ脱ぎ捨ててパンツ一丁になり、最後に腕時計を外そうとして固まった。 「…ない。」 そこにあるはずの、元恋人が付き合って初めての誕生日に買ってくれた腕時計が無くなっていた。
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