第2章 第1話

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代わりに現れたのは、ちょっと拗ねたような不満気な恋人の表情だ。 「あ、うん…そうだった、ありがとう。」 改めて言い直すと、桜井はにっこり微笑んで今度こそカフェオレをテーブルに置いてくれた。 あの日交換したLINEで日々細々と少ないやり取りを交わすうちに、敬語はやめようと言ってくれたのは桜井の方だった。距離が近くなったようで嬉しくて、いつものパンツ一丁姿でベッドを転げ回ったのは記憶に新しい。 文面で敬語を止めるのは簡単でも、顔を見るとそうもいかないのはやはり照れくさいから。 けれど、今日の秀一はもう一つ、桜井との距離を詰めに来たのだ。 桜井はもう一つ持ってきたカップに口をつけながら秀一の前の席に腰掛ける。カップを両手に持ってふーふーと息を吹きかける姿が可愛い。猫舌か。と密かに和み、秀一も湯気を立てるカフェオレに口をつけると─ 「あっつ!!」 「だって今沸かしたお湯で入れたし。火傷しなかった?」 「だ、大丈夫…多分…」 クスッと苦笑した後、桜井も一口コーヒーを口にした。 桜井がこれだけ寛いでいるのだから当たり前だが、店内に秀一以外の客はいない。 チャンス! 秀一はゴクッと生唾を飲み込んで、意を決して口を開いた。 「あのッ!桜井さん!」 「んー?」 「お願いがありま…あるんだけど!!」 「やだ。」 「ヒッ!?」 「ぶふっ!」 「あ、酷い!」 「ごめんごめん、何?」 桜井は優しそうな風貌に隠れて意外とSっ気がある、というのはこの短い付き合いでも感じ取っていた。というのも、秀一の反応が面白いらしく度々こういう揶揄いをしてくるからだ。 可笑しそうにまだ肩を震わせている桜井をちょっとジト目で睨みつけると、笑いながらごめんごめんと謝ってくれる。 ちょっと満足して、秀一は膝の上で拳を握って口を開いた。 「し、下の名前で!読んで欲しくて!」 そう、苗字にさん付けをやめたい というのが、今日の目下の目標である。勅使河原さんなんて他人行儀な呼び方ではなく、秀一、とかもしくは愛称とか。出来れば語尾にハートが付く感じで呼んでほしい。 チラッと桜井を見ると、薄い色の瞳とパチっと視線が合う。 「…秀一?」 コテンとほんの僅かに小首を傾げながら初めて呼ばれた名前に、撃沈。 素敵な名前をありがとう親父。
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