第1章

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 どうして自殺がいけないとされているのだろう。いじめによる自殺が話題になっているが自殺はいつになっても変わらずあることだろう。なぜなら、人間が可能な限り自由を行使できるのが「死」だからだ。  自殺のニュースを見るたびに考える。いじめが悪いのか?いじめに気がつかなかった学校、いじめをしてはいけないと子供に教え込めなかった学校や親が悪いのか?自殺した人が悪いのか?違う。そうじゃない。自殺に悪いことなんかひとつもありはしない。しいて挙げるのなら、自殺した人に自殺をしてしまえるという考えがあったことだ。死んでほしくない。そう思えるほどに自殺した人を愛していた、思っていた人はいるだろう。親などの家族、恋人などはその人のことを愛していただろう。けれども愛情やらなにやらは相手に伝わらないと意味がない。伝わっても意味を持つかなんてわからない。いじめに遭ってはいるけれど、そんなことより自分を大切に思っている人と生きることのほうが重要だと思うような人にさせればよいのである。  ちなみに僕は自殺をするつもりはない。する必要がないからだ。自殺をして親が悲しむのが後味悪いこともあるがそうではなく、選択肢を残していたいのだ。生きていればさまざまなことができる。運動や勉強、仕事はもちろん趣味を増やすこともできる。そしてさらには「死ぬこと」ができる。死ねば苦しみからは解放されるがその後がない。死んだら「生きること=可能性を持つこと」ができなくなってしまう。自分がこの先、宝くじがあたったり事業に成功して億万長者になったり、なにかの偉業を成し遂げることが”あるかもしれない”。はたまた超常現象に出くわしたり、超能力が目覚めることも”あるかもしれない”。その可能性を捨てるくらいなら、僕はまだまだ苦難に進もう。   この先なにがあるのか”わからない”のだから。
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