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傘を差した誰かが自転車に乗って現れ、バス停裏にそれを停める。背格好と制服姿から、近くの高校に通う男の子だとわかった。傘で顔が隠れてよく見えない。青い傘を差した男の子は、歩き出してすぐに立ち止まった。そして、おもむろにしゃがんだかと思うと、黒っぽい何かを抱えて立ち上がった。
もぞもぞと動き回る様子と、時折雨音の隙間から聞こえる鳴き声で、その黒っぽい何かが子猫だということがわかった。小さなあばれん坊に翻弄されて、傘が落ちる。男の子は、雨に濡れることも、白いシャツが泥水で汚れるのもお構いなしに、大事そうに子猫を抱えて、優しく微笑んだ。
私はつい見とれてしまって、しばらく息をすることも忘れていた。脳がそれを汲み取って、慌てて信号を送る。唐突な酸欠。小さくけほっと咳き込んだ。男の子がふっと顔を上げる。
私は思わず座っていたベッドに倒れこんで、それから少し後悔した。どうせなら、気の利いたセリフの一つくらい言えばよかった。そう思って、その気の利いたセリフとやらを考えてみたが、私の持つ語彙力を考えれば、結局は何も言わなくて正解だったと、思い知るだけだった。
酸欠だけではない息苦しさ。胸の鼓動がやけに大きく聞こえた気がした。
しばらくして、バスのやって来る音がした。それからすぐに、停車する音。うじうじと少しの間悩んでから、意を決して窓からそっと顔を出した。バスの走り出す音。ひょっとして…とも思ったが、男の子は子猫と行ってしまったようだ。
落胆と同時に雨も上がった。雲の隙間から光が射す。蝉もジワジワと鳴き出した。目の前の全てが、鮮やかに色を増す。
私の心は、それほど晴れはしなかった。
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