1人が本棚に入れています
本棚に追加
/53ページ
「ここは、本当にいい所ね。」
少し遅れてやって来た母は、この部屋の掃き出し窓を開けて、外の空気を吸い込んでいた。
母をすり抜け、部屋に入り込んだ風は、部屋を優しく回旋した。
夏の足音が、すぐそこまで近づいている。
そう感じさせる初夏を予感させる風だった。
母は、「頑張ろう。」と自分に喝を入れ直すように言うと、ダンボールの山をかき分けるように荷ほどきを始めた。
小学校2年生の弟は、新しい自分の部屋に大興奮のようだ。
弟の部屋から、うーともあーとも聞こえる声がやたらと聞こえてくる。
ひかりも、与えられた自分の部屋の片づけをしなければならないが、やる気が起きなかった。
片付けに追われる母を感じながら、リビングの窓の前に立って、ただぼんやり外を見ていた。
「ひかり、来週から学校へ行けそうよ。緊張しているよね?」
母は、荷ほどきの手を休め、ひかりに声を掛けた。
「こんな状況で、緊張しない人はいないよ。でも、仕方ないから。」
ひかりは、投げやりに答えた。
自分の気持ちに関係なく、右も左も分からない学校に放りこまれる。
転校生はみんなに注目されて恥ずかしいし、何をしていても目立ってしまうから嫌だ。
それに、どんな子がいるかも分からない。
今まで見ていたテレビ番組だって違うし、話し言葉だって違う。
お友達として付き合っていける気がしない。
渋々やってきた田舎町に、楽しい期待などもてるはずがない。
お気に入りの公園も、白い家の庭に繋がれているあの犬も、夕方になるといい匂いを漂わせるあの焼き鳥屋も、ここには無いんだから。
消化できない苛立ちばかリが募っていく。
「大丈夫よ、ここに悪い人はいないわ。すぐに馴れるわよ。」
母は、この町を覆うのんびりとした風にほだされて、気持ちがおおらかになっている。
「簡単に行くわけない。」
ひかりは、独り言を言うようにつぶやいた。
「頑張って片付けちゃいましょう!」
母は、聞こえないふりを決め込んでいるようだ。
努めて明るく、元気な声を掛けてくる。
私にも遠回しに、頑張れと言っているような口調だ。
そんな押し売りなら、いらないのに・・。
また一つ、ためいきが出た。
最初のコメントを投稿しよう!