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楽しみ
結城を元気づけられるものはなんだろう。冷蔵庫の中を見ると冷蔵はほとんど空だったが、冷凍庫には長期保存が利くような食材がたくさんあった。
シシャモを焼き、ほうれん草の冷凍と、冷蔵庫にぽつんとあった卵を使ってスープを作る。白米も炊こうと思って、計量カップを探していると、棚の脇に紙が貼り付けられていた。それはメモだった。
米の炊き方や、むらし方、包丁の使い方など、料理の基本が殴りつけられた文字で書かれている。この下手な字には見覚えがあった。結城の字だ。
そうだ、当たり前の話だけど、結城だって料理初心者の時代があった。そしてそれはこの紙がよく知っている。紙の隅は水で濡れた痕があった。
きっと、濡れた指先で触れたのだろう。自分のやっている動作への不安があったのだろう。
「なんだよ、涼しい顔でやってたのに」
こんなことをしていたなんて、可愛いじゃないか。
思わずしげしげと眺めていると、小さくこんなことが書かれていた。
「おいしいって言われた」
「もっと上手に丁寧に」
「ありがとう……」
春馬は微笑んでいた口元を、そっと引き結んだ。
そうしなければいけなかった。だって、そうしなきゃ、表情がおかしくなってしまう。
なんだよ、真美のことを思っていたのに、真美のために作ったはずなのに。
「……俺の感想、載せるんじゃねぇよ……」
嬉しいのに、素直にそれを表現できない。
結城に恋をした、その瞬間から、本来人の物だという意識があって、自分は素直になれない。
潤んだ目も、震える唇も、自分の感情を如実に表しているのに。まったく情けないばかりだ。
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