再び

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結 「マスター、お疲れ様。ちょっと飲まして」 声と共に里美ママが顔をだす。 男はどうぞ、と答えて席を促す。 里美ママは席の中程に座り、ふと、窓側の方を見る。 カウンターの上には、ボトルとグラスが置かれていた。 「あら、お客様がいらっしゃるのかしら?」 里美ママの問に、男は静かに答える。 「いえ、誰もいませんよ」 「じゃあ、あれは? ちょうど帰られたのかしら」 男は月も星も見えない窓に目をやり、里美ママに答える。 「まあ、願掛けみたいなものですよ」 里美ママはそれ以上は聞かなかった。 聞いたところで、男が話さないの分かりきったことだし、何よりも、いつもの男の雰囲気とは違っていたから。何か少し寂しそうな。恐らく、普通の客では感じ取れない僅かなもの。つきあいの長い里美ママだからこそ、気がついたのかもしれない。 里美ママは話を変えようとするように、男に言う。 「入って来たときから、甘くて、凄く良い香りがするんだけど」 男は里美ママに顔を向け答える。 「たまたま良いラムが入りましてね。きっとその香りだと思います。ママも一杯いかがですか? ぜひ飲んでいただきたいのですが」 里美ママは驚いた。 男の方からぜひと進めることなどなかったからだ。 いや、進めることはあるが、それはこちらから聞いた場合や、何にしようか悩んでる時であったし、何によりも男の進める声には想いのようなものが感じられた。 「いいわ。それをちょうだい。もちろんマスターも一緒に飲んでくれるでしょ?乾杯しましょうよ」 里美ママには断る選択など最初からなかった。 今は進めるものを一緒に飲むのが、男のためになると思ったから。 「ありがとうございます」 男は静かに言い、バックバーからボトルを取り、カウンターに置く。 里美ママがボトルを見て、男に尋ねる。 「凄く素敵なボトルね。筆で書いたような感じだけど、何て読むのかしら?」 「ザボワと読みます。フィリピンの小さな島の名前です。そこで造られたラムです」 そう答え、男はグラスにゆっくりとラムを注いだ。 店内に甘く、華やかな香りが広がる。 差し出されたグラスを持ち、里美ママが言う。 「じゃあ、乾杯」 掲げられたグラスに、男は無言でグラスを合わせた。
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