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「何が希望なものか……」
祖先は騎士であったか『Chevalier』の姓を戴き、神の子を意味する『Jule』という名を持つ海軍少将ジュール・シェバリィーは『ポート・ドゥ・エスポワール(希望の港)』を敵国から死守した英雄である。金糸の髪を靡かせ、スカーレットの薔薇が花開く如く甘美な唇で檄を飛ばす姿は、明敏なる忠勇の将と謳われ、見る者を一目で虜にした。
士官学校では教官と教え子だった俺たちの関係は肌を重ねるごとに深まり、ジュールは何処へ行くにも誰憚ることなく俺を伴った。当然、やっかみの眼は俺に向けられ、ある時、コンプレックスだった名前を上級生に愚弄され暴力を受けた。いや、正確にはジュールへの悪罵に及んだ連中を許せなかった俺が喧嘩を買ったのだ。
いつものようにベッドで彼の精悍な体躯に身を委ね、甘い疼痛に何度も貫かれながら穿たれる最後の一突きに白濁を散らし、この焦がれてやまない美しい躰をいつまで繋ぎとめておけるだろうかと遠のく意識の中、浅ましくも願ったものだ。
「ノワ、恥じることはない。Noix(胡桃)は『知恵』を花言葉に持つ。頭のいいお前に相応しい名前じゃないか。その上、Gueinは防御に由来する姓だ。これほど頼もしい部下もないというものだよ」
そう優しく諭して、ジュールは両の腕で強く俺を抱きしめた。
Je t'aime de mon coeur.
お前を心から愛している、と言って……。
「早く大人になれ、ノワ。お前は私の右腕となり、この国の鉄桶の艦隊を率いるのだ」
熱っぽく語るジュールは短く切り揃えた俺の黒髪を愛でながら、最後にはこう言って俺の頬を染めるのだ。
Bien, embrasse moi.?
さぁ、私にキスをしてごらん?と。
あの頃、確かに俺たちは恋人同士だった。ジュール・シェバリィーは俺に愛の何たるかを教え生きる羅針となり、まさに世界の全てだった。そのジュールが30歳の若さで落命したのだ。
俺は17歳の士官候補生だった。
数々の戦績を誇った軍艦『エクレール(稲妻)』は艦齢を重ね、退役間近だった。海戦には勝利したものの凱旋の途中で嵐に遭い、暗礁に乗り上げ座礁。投げ出された船員、近づく爆発音、置き去りを覚悟した負傷兵、この事故は戦争に疲弊した生き残りに過酷な追い討ちをかけた。
そして、国の至宝とも讃えられたジュールのピジョンブラッドの瞳が波に攫われる刹那、キラリと輝いたのを俺は17年が経った今も忘れられずにいる。
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