Miracle du lune de perigee.~月の奇蹟~

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「グェーリィンヌ大尉、間もなくポート・ドゥ・エスポワールに入港いたします」 「ご苦労。久しぶりの(おか)だ。羽目を外しすぎるなよ?」 レイモン・バロー艦隊司令官麾下(きか)海軍大尉ノワ・グェーリィンヌ。それが今の俺の肩書だ。濃紺の軍服はホリズンブルーのシャツと赤のタイを忍ばせた立折襟のダブルブレストで、兵科を示す徽章(きしょう)付きの襟章とエポレットと袖口には大尉であることを示す階級章が入っている。すでにジュールの歳を越えて34歳になるが、尚、階級は彼に届かない。 旗艦『リュミエール(光)』の乗組員は502名。全長62.8M、竜骨52.2M、砲数90門を備える3本マストシップだ。この快晴の昼下がりに物資補給のため、かの『希望の港』へ寄港した。 甲板から見渡す街は平穏そのものだ。商業、産業に栄え、人々は活気に満ち、街の至る所に花が咲き乱れている。とりわけ、家々のバルコンに白や紫のアネモネが多いのは、この街の貴族の出で英雄となったジュールの愛した花だからだろうか……。 街の中心部からなだらかな丘陵地を臨み、遠く急峻な山々を巡って視線を返すと、ふと、何者かに見られている気がして埠頭に気配を探した。ボラードの傍で此方を見上げていた少年がフイッと目を逸らせ身を翻して走り去る。その髪の色に思わず目を奪われた。 「深い海の蒼だ……」 「ええ、まるで夜光虫のようです……」 隣で俺の目線を追ったアラン少尉も夢現(ゆめうつつ)に惑う顔つきで感嘆の声を上げる。彼にも少年の姿が見えていたことに安堵するほど、現世(うつしよ)の者とは思えない美しさだった。 「水夫服でした。海軍志願の子供でしょうか?」 「……かもしれんな」 「お傍近くにとお望みでしたら、調べましょうか?」 「気の回しすぎだ。戦支度に子供は不要」 折襟を寛げ首筋に風を感じると、潮を含んだ花の青臭く熟れた香りが亡き人の胸に懐いた体臭を思い出させ、ジュールの俺を呼ぶ声を幻聴()く。 日没後、俺は黒の光沢のあるシャツに黒のネクタイ、黒のコートという夜陰に乗じるには最適に思われる私服に着替えて人知れず下船した。『行き先は、供は』と騒がれるのが煩わしかったのだ。ひとり静かにジュールと語らいたかった。
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