Miracle du lune de perigee.~月の奇蹟~

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「グェーリィンヌ…大尉、どこかでアネモネの花を胸に抱かれましたね?」 まだ呼び捨てに遠慮があるのか『大尉』と付け足すルーシェンの生真面目さを笑ったが、聞かれた内容にはまるで身に覚えがなく、どろりとまた頭を悪くする。 「いいや?すまない。花には疎くてな」 「ぇ?」 ルーシェンは怪訝な顔つきで俺を見た。 「この街には沢山のアネモネが咲いていて甘酸っぱく清々しい香りがするのです。大尉の胸から同じ香りがします。丘の上の墓地で紫のアネモネを御覧になったでしょう?」 「墓地……?誰のだ」 「……っ!」 ルーシェンは一層、赤々と目を瞠って言葉をなくしたようだった。 「何を仰るのです、大尉!貴方は赤いアネモネを……」 「すまないが、何を言っているのか解らないよ」 確実に何かが狂っていた。 ルーシェンの眼は嘘をついている眼では無かったが、だとしたら俺の中で記憶が抜け落ちている事になる。それも、たった数時間前の記憶を、或いはもっと大事な記憶を……。 「駄目です。忘れるなんて絶対に許さない!」 狼狽えて語勢を強めたルーシェンは、 「大尉は此処へ何をしに来られたのです?何を探しに来られたのです、答えてください!」 と、赤々と燃える月に夜光虫の青を振り乱して俺の胸倉を掴んだ。 「大尉には思い出して戴かなくてはならない」 その表情は思案顔から不安の翳りを濃くして思い詰めたものへ変わっていく。 「お願いです、誰に会いに来られたのですか?思い出してください!」 必死の形相で詰め寄るルーシェンに頭が石になったように重くなる。その紅い眼を見るたび、意識に靄が掛かって苛々が募り、ついには「黙れ」と怒鳴ってしまった。 「いい加減にしてくれ。仮に俺が墓地へ行ったとしてアネモネが何だと言うのだ。ここへ来た理由?それが解らない。だが、君と出逢うために神に導かれたというなら、それが正しいのではないかと思うほど君に惹かれている。それだけは真実(ほんとう)だ」 俺なりに言葉を尽くしたつもりだが、それではいけないのだとルーシェンはボロボロと泣き出した。しなやかな躰を月へと反らせ、怒りと哀しみに満ちた血の色を瞳に滾らせる。 「どうして?僕は約束を守った……、どうして!」 悔しそうに俺の胸を叩き、砕いたルビーの如き血走った眼に涙を一杯溜め、恨めし気に月を仰いでは繰り言に掴んだ砂を投げつける。あまりの狂乱ぶりに俺は抱き締める事しか出来なかった。
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