Miracle du lune de perigee.~月の奇蹟~

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「ルーシェン、落ち着け。わけを訊かせてくれ」 抱き留める腕に力を籠めると、ようやく我に返ったルーシェンは途方に暮れて力なく俺に躰を預けてきた。その細さ、軽さ、この小さな躰にどれだけ抱えきれない想いを抱いて生きて来たのか、望まれれば一生、この手を離すまいと思うほど愛しくてならない。 「君は何者なのだ……?」 「……どうして、玉響(たまゆら)の逢瀬すら許されないのか……」 噛み合わない呟きも今は問わずにおこう。 惹き込まれる紅い瞳。どこか懐かしいと感じながらも、やはり昏迷する記憶に目を背けて、俺はルーシェンの肩を抱き寄せ、その唇を指でなぞった。この子供にも接吻(くちづ)けの合図だと判るらしい。初めはそっと啄むように、そして、しっとりと柔らかな唇に唇を重ねた転瞬、美しい瞳の紅を閉じたルーシェンが奇蹟を起こした。厚い靄が晴れ、俺は忘却の淵より全てを取り戻したばかりでなく……、 ……ジュール……? 触れている躰は子供のものなのに、さらりと乾いた甘美な唇は愛しい恋人の……ジュールの唇に違いなく、俺を動転させた。 「ジュールなのか?……ジュールなのだな!」 何が起こっているのかを考える以前に足先から脳天まで突き上げるような歓喜が湧き、俺はルーシェンの細い躰を千切れんばかりに抱きしめていた。 「ノワ……、私が判るのか?」 「判る、判るさ、ジュール!どうなっているんだ、何が起こっているんだ?」 「ルーシェンの眼を見ても、私を感じることが出来るかい?」 「……ぁ?あぁ……」 面妖な景色ではあった。 心細げに見上げて来るルーシェンの紅い眼を見ても、もう記憶の混濁も頭の鈍痛もなく、俺はその小さな肩に手を触れながら、ジュールの思念を感受することが出来た。 「ノワ……。ルーシェンの眼が、お前から私の記憶を失わせていると気付いた時には慌てたよ。原因を鑑みれば如何にも誠実なお前らしい。紅い眼に私を重ねて心を寄せたルーシェンを、いつしか私の記憶を排除するまでに真摯に愛し始めていたのさ。けれど、私を忘れないでいてくれた。葛藤の末、記憶の混濁を起こしたのだろうね」 「俺がジュールを忘れるなど……」 「ずっと、名を呼んでくれるのを待っていたよ、ノワ。赤いアネモネをありがとう」 供花(くげ)に亡き人から礼を言われるのは何とも奇妙な感覚だった。
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