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大海原を一望できる丘の上の墓地には大戦の記念碑が並び、その一角に彼の名を刻んだ墓標がある。人影はなく、先客か、紫のアネモネばかりを青いリボンで束ねた小さな花束が月明りに花を揺らしていた。
「ここに貴方はいないのに……」
ジュール・シェバリィーの遺体は回収されず今も海に在る。生前、彼が事あるごとに贈ってくれた赤いアネモネの花束を俺はそっと先客の花束の隣に供えた。
それにしても、今宵の月の何と見事なことか。
La Lune de perigee.
翼を広げるように大きく両腕を広げて、この一身に目映い光を抱き込み、遠く地平線へと水面を輝かせる光景に、またしても『おいで』という声を幻聴く。
「ジュール……!」
彼の魂が呼んでいるに違いないと思った。
あの時、ジュールの手を離さずにいれば……、救命艇へと突き飛ばし守ってくれた手を引き寄せられるだけの剛の者であったなら !……ずっと、そう悔いてきた。
『右腕となれ』
そう言ってくれた彼を両の腕を差し出しても永久に守りたかった。
坂を転げるように駆けながら、俺はようやく彼の死を悼んで涙した。軍人たるもの涙は見せるなと、まして最期まで諦めず尽力したジュールの死に己如きが泣くなど許せずにいたのだ。走って、走って走って走って突き動かされる衝動に、ただ月を追いかけた。陽気な笑い声に沸く酒場の前を、ガス灯に白む石畳を、路地を塞ぐ馬車を避けて、突如、目の前に現れたのは大きな大きな今にも落ちてきそうに大きな月と、果てしなく続く、星空を引っくり返したような海だった。
銀砂を踏みしめて浜を歩く。
月さやか、万象影を失うほどに辺りは明るく、この浜に見覚えがない事に俺は気が付いた。
「どうして、ここへ来た……?」
煙草に火をつけて、先ずは落ち着けと紫煙の行方を追う。
ごうと唸りを上げる波頭は月光を砕くが如く飛沫を煌かせ、波打ち際へ近づくほど穏やかに寄せては返す。その蒼に染まって動く気配があった。
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