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もしあの場所に居るのだとしたら、まだいると良いけど……。
時刻は午後六時を過ぎたところだった。
「いらっしゃいませ、一名様ですか?」
「いえ、知り合いが居るはずなんです」
ウェイトレスの案内を遮って店内を見渡すと、先週と同じ席に譲さんがいた。テーブルにはやっぱりコーヒーカップと水の入ったグラス、それから文庫本。
まだ夕食は食べていないのだろうか? それとも、もう食べ終えた後?
こんな時間だし、まだ食べていない可能性のほうが高いだろう。
ここで先週譲さんを見つけた日は、緊張と興奮も手伝って足が竦んでなかなか前に進めなかった。
でも今日は焦燥に駆られて足早に譲さんの居る席へと向かった。譲さんはと言えば、文庫本に集中しているせいか俺が近付いている事にちらりとも気付いていない様子だ。
「譲さん」
「え?」
今日も先週と同じ、驚いた様子でキョトンと俺を見上げる譲さんに単純な心は高鳴り、笑顔になるのを感じる。
「辻浦君、もしかして、今日もケーキ頼まれたの?」
そんな風に綺麗な目で俺を見詰める譲さんが可愛い。可愛くて愛おしくて仕方が無い。
譲さんの正面の席に掛けていいかと訊けば、戸惑った様子を見せながらも了承してくれた。
言いづらいけど、避けられているのか、俺の事を良く思っていないのかを直接譲さんに聞きたかった。
本人を前にして「君が嫌いなんだ」と言う人はなかなか居ないだろうし、譲さんは絶対に言わないタイプだと思う。
それでも、安心したかった。譲さんに拒絶されているわけではないと、譲さんの口から聞きたかった。
譲さんは困った様子で眉をハの字にしながら「嫌じゃない」と言ってくれた。美波が言っていた通り、人見知りするのだと言う事も。
ごくりと唾を飲み下す。
緊張して、握り締めた掌が汗ばんでいるのを感じる。
「俺、譲さんと、もっと話がしたいなってずっと思ってて」
「僕と……?」
そう、貴方と。貴方の事をもっと知りたい。
俺のことも知って欲しい。そうしていつか、俺がどんなに貴方を求めているか、恋焦がれているかを伝えたい。
決死の思いで言った言葉は正しく伝わったのだろうか? ……解らない、こんなこと今まで無かったから。
でも、返って来たのは残酷な言葉だった。
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