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朝起きたらまるで何事も無かったように片付けられていて、僕は新しい部屋着を着せられていた。ベッドには僕一人だけが布団に包まっていて、辻浦君は用意されていた客用敷布団で眠りに就いていた。
身体の向きこそ僕が寝るベッドに向けられているけど、特に変わった様子は無く感じた。
――全部夢だったんじゃないか?
そう思い込みたいくらい、辻浦君は悪いことなんて一つも知らないような顔をして寝息を立てている。憎しみや怒りを感じるより、あれは全て幻だったと否定する方が余程楽に思えた。
「――っぐ、うっ、!」
いつもするように身体を起こそうとして、下肢に響き渡る裂かれるような痛みに、起こしかけた身体をベッドに戻した。
「っは……」
腹から細く搾り出すように息を吐いた。
下肢に残る昨夜の残滓が、あの出来事を嘘にするのを許してくれなかった。
「――ん、」
「!」
辻浦君が布団の中でモゾモゾと寝返りを打ち、衣擦れの音が立った。
今、二人きりの状況で彼に目を覚まされるのは嫌だ。
壁掛け時計に目をやれば、時刻は丁度六時半を指し示していた。
身体を少し動かす度に突き抜ける痛みは、和らぐことなく僕を蝕む。
それでも、這ってでもこの場から逃げなければ。彼が目を覚ましてしまう前に。
片足を腕の力を借りながら慎重に床に下ろす。ジリジリと痛む場所をなるべく意識しないようにしてみても、重心の掛かりやすい所だし歩く度に痛みが走ることは容易に想像できた。
怖れは掻き消せない。
けれどすぐ傍に転がる恐怖に比べたら大分マシなんだ。
「っ、うっ」
言い聞かせながら、意を決してもう片方の足を床に下ろす。なんとか両足をベッドから出すことに成功して小さく息をついた。
深呼吸を三回。
両掌に体重を掛けて、ベッドから立ち上がる。
「……ふ、」
息を止め歯を食いしばりながら右足を一歩前に出した。
辻浦君は、一メートルも離れていない近い距離にいる。大きく床板を軋ませれば気付かれてしまうかもしれない。
気が急いて、でも焦れば地雷を踏んでしまう気がして。 自分自身の呼吸音すら騒音に感じてしまう。
一歩、また一歩ドアに近付く。
ドアノブに手を掛けて、音を立てないようにゆっくり引いた。
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