標高三千四百米より

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**********  振り返れば裾野に建つ民家の灯りが見える。  もう一時間ほど経てば日は完全に沈むだろう。先ほどから雨の匂いもしているため、それまでに山小屋が建つ本八合目まで登りきりたいが、焦って登れば高山病のもとである。こんな時こそ、ゆっくりと、だ。  前を歩く保田が度々振り返り、俺の安否確認をしてくる。 「大丈夫か」 「おうよ」 「暗くなってきたし、一回装備変えるぞ」 「ここからじゃ、まだ遠いか?」  保田は山頂の方を仰ぐ。山小屋らしき灯りは見えるものの、どれがどれであるのかは分からなかった。 「あそこだ」 「どれだ」これから寒くなってくると前もって言われていたため、俺はリュックから上着を取り出し、カイロを一つ開けた。水を二口のみ、保田が指さす方向を見る。 「次の次の、その次の小屋だ」 「随分、近くなったな」 「少しペースは早めだから、そろそろゆっくりにする頃だ」 「そうか」俺は息を大きく吐いた。すぐに新鮮な空気が肺に入ってくる。何度かそれを繰り返す。 「頭は痛くないか、吐き気とかは」 「大丈夫だ、いけるいける」 「マズかったらすぐ言えよ」 「おうよ」  昔から彼は心配性であったため、道中何度も確認をとってきた。――俺自身、富士登山は初めての経験であるため、慎重であることに越したことはない。普段は鬱陶しいと思っていたが、今回ばかりは保田の心配性もありがたいと思えた。 「――それにしても、すげぇ眺めだな」  大きめの岩に腰かけ、携帯を取り出す。夕日はここからでは山に隠れて見えないが、光が雲にあたり鮮やかな赤色に染まっているのは、単純に夕日を見るのとはまた違う趣きがあった。  左手の方にかすかに山脈が見える。「なぁ保田、あれは何の山脈だ?」「八ヶ岳じゃないか?」「知らねぇのか」「残念ながら」「ふぅん」俺は何度かシャッターを押し、景色を写真に収める。 「さて、行こうか」 「今のうちにヘッドライトも出しておいてくれ」 「そうだった」  まだ雲の中であるため、月の明かりなどもなく、このまま行けば何も見えなくなるだろう。足場の確保は大事である。 「行けるか?」 「おう、大丈夫だ」  山肌を右へ左へと斜めに登っていく。砂利のような小石のような、あるいは火山弾の残骸なのか、とにかくそれのせいで足を踏み出す度に滑ってしまう。体重を上手くかけなければ、と思っていると、前から声が飛んできた。
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