昔語り。

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昔語り。

 幼子にとって、必要なのは保護者であり、それは親兄弟なわけで。  昔聞いた歌に『友達100人できるかな』何てのを聞いたときには、友達ってものが必要なんだと思い込んでいた。  親も教師も、簡単に『友達』という単語を使ってくる。  そうなると、友達はいて当たり前、居なきゃ作らなくちゃならないものっていう刷り込みが行われた。  幼稚園児くらいならば、人見知り、という免罪符が通用したものだが、小学校に上がるとそれも使えないようになってくる。  人見知りながらも、なんとなく一緒に遊んでもらえる同級生もでき、親や教師も安堵したようだが、その人達が『友達』だったと、私はハッキリと宣言することはできない。  何故なら私の中では、『友達』という定義が確立できずに有耶無耶だったからだ。  一緒に居れば友達なのか?  一緒に遊べば友達なのか?  一緒に話せば友達なのか?  僕には解らなかった。  ただそれでも当時は、そんな疑問がはっきり認識できていたわけではない。  解らないなりの疑問だっただけだ。  だが周囲が僕の『友達』と呼ぶから、そうなんだとなんとなく思っていた。
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