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歌う百姓
日が暮れてすぐ、玄十郎はなづきの店を訪れた。
「玄十郎さま、まさかいらっしゃるなんて……」
「いや、たまにはと思ってね」
「何にいたします、お冷ですか? お燗しますか?」
「いや……」
なづきは歓迎してくれたが、本当は酒など飲む気はない。
酒を飲めないわけではないが、それもこれまで父親の法事のほか、母親の葬式を手伝ってくれた長屋の者に振舞ったのに付き合ったくらいである。
とはいえ、なづきはどことなく、はしゃいでいるような気がする。正直に断って、しょげさせるのも気の毒だった。
そうは言っても、酔うわけにはいかない。冷酒など飲んだら、あっという間だろう。
飲もうにも飲めない酒にするしかない。
「じゃあ、うんと熱く」
「はい!」
玄十郎が待っていたのは、なづきの言う「呑んだくれのサイベ」であった。
何がどうなっているのか分からないが、命を狙われたのは間違いない。天涯孤独の身ではあるが、新天地を求めて旅に出る前に、むざむざ殺される気はない。
そこに、玄十郎の悩みがあった。
自分の命は自分で守らねばならないが、玄十郎はたいして剣の腕が立つわけでもない。
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