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「ジョギングは日課かい?」
開口一番、男は言った。
「随分、早起きなストーカーだ」
俺はそう、動揺を隠す。
こうもアッサリと視線の正体を明かされて返って拍子抜けしたが、理由が判らない。
「どういうつもりです?」
「待って待って、そんな怖い顔をしないでくれよ。偶々さ。ホテルのエントランスを出た横にローズガーデンがあるのを知っているかい?」
「ええ、このホテルの自慢のようですね。そろそろ見頃だ」
「朝、テラスで紅茶を戴くのが滞在中の楽しみでね。少しすると君が帰って来る。汗を拭う姿がセクシーで、ずっと見ていたくなるんだ」
「そうですか」
努めて平静を保ったが、こんな美丈夫に臆面もなく言われて心が騒がないわけがない。
「フィットネスジムでも君を見かけたが、随分、鍛えているんだね。華道も体力勝負かい?」
「身体を動かすのが好きなだけです」
「ふぅん?……いいね」
薄らと笑みを浮かべて品定めでもする目つきで見られたが、その涼し気な目許に猥雑さはない。歳は俺とそう変わらないだろう。緩くウェーブするゴールドの髪を無造作に首筋へ流し、押し出しの良い体躯と端正な顔立ちに威風を漂わせている。
「失礼したね。オトモダチになるには、まず自己紹介が必要だ」
茶目っ気たっぷりにウィンクする気障なさまも、この男には柔和な笑みと相俟って愛嬌に映る。
「私は、こういう者です」
差し出された名刺には『杉原葉』とあった。
「葉っぱ……」
思わず口に出て、
「ええ、葉っぱです」
と、彼は屈託のない笑みを浮かべた。大らかで明るい性格らしい。
外資系の有名ホテルチェーンの役付きと知ってゴクリと喉が鳴った。社長である父親の代理でパーティーに出席したと言うから、彼は御曹司というわけだ。然程、驚きもしない体で、こちらも名刺を差し出したが、整い過ぎる顔というのは黙ると威圧感に気圧される思いがする。気後れというほどではないが、どうにも違う世界に生きる人間に思えて調子が狂うんだ。我ながら小胆に過ぎると恥ずかしくなった。
「改めまして、私は華道家元の佐倉利光と申します」
「違うな」
杉原の言葉は、その独り言ちた気色からして自身に向けられたものらしい。
「違う……」
もう一度、念を押すように頷いて、真顔で顔を覗き込まれた。
「そう、違うんだ。君もこんなビジネスライクな関係を望んではいないだろう?堅苦しい挨拶に始まる関係など、つまらないじゃないか」
「は……?」
「君ほど秀抜な感性を持つアーティストなら、テンプレ通りの出逢いなど退屈だろう?きっと、飽き飽きしているはずだ。違うかい?まったく、俺はしくじったね……」
この人は……。
大の男に可愛いもないものだが、何て可愛いんだ。俺は無遠慮に噴き出して、声に出して笑ってしまった。
「……っ!あははははっ!ほんとうに『オトモダチ』になる気かい?」
「それ以上でも構わないが?」
「つまり、私は貴方に口説かれているのですね?」
「普段通りに話してくれて構わない。舌打ちをして悪態をついていた君は、もっとナチュラルで素敵だったよ」
「呆れるな、しゃあしゃあと白状するのか。昼間、覗いていたのも君だったんだね?」
「いや、通りかかっただけさ。俺は害虫駆除になる男だよ?重宝して損はないと思うが」
心当たりに苦笑する。
成程、口さがない連中を追い払ったのは、この男だったのか。
「杉原さん」
「葉でいいよ」
「では、葉。君のストーカー行為に営業妨害された件については?」
「ほう……どんなふうに?」
「花を生けている時は雑念など振り払えるのに、不意に意識を妨げられるんだ。誰かに見られていると思うと気味が悪くてね。五日間だぞ?いい加減、頭から離れないし夜も眠れなくて……」
「それは……」
葉は思案気に硝子窓へ視線を遣った。眠らない街東京の灯りが煌びやかに遠く果てしなく続いている。手を引かれるのを振り解こうとしたが葉の握力は強く、窓際に追い遣られる格好で背後に立たれた。
「何のつもりだ」
気色ばんだところで、耳許で緊迫感のある声が小声に言う。
「窓に映る誰かが君を狙っている。俺は五日間も君の尻を追いかけるほど暇人じゃない」
つまり、あの視線は葉のものでは無かったと……?
総毛立って振り向こうとして「そのまま」と制止された。
「利光。それは、どんな視線だった?君を裸に剥いて、鍛え上げた胸筋を撫で回し身体中を舐め回すように……」
「よせ」
「思い出せ。そいつは今も君を視姦して愉しんでいるかもしれないんだぜ?」
考えただけでも悪寒がして歯が音を立てそうなのに、あろうことか俺は葉を自分の前に跪かせ、膝の間に顔を埋め奉仕させる姿を想像して、ブルリと身を震わせた。葉が吹き込んでくる情景そのままに俺が葉を蹂躙し、その逞しい胸筋を撫で、胸の突起を舌で嬲り、苦悶に眉根を寄せる美丈夫を愛でながら己の屹立をと……、そんな背徳的な妄想に苛まれ首を横に振る。
「葉……。やめてくれ」
「こちらへおいで」
俺の邪心など知らず、葉は俺の背を抱いて人目につかないカーテンの影へ身を隠した。
「何を想像した?こんなに頂上を硬くして。犯人捜しなんてやめて、俺に抱かれる気になったか?」
「まさか。抱く気になったか?の間違いだろ」
「「……え?」」
一瞬の思考タイムの後、同じタイミングで声にならない頓狂な声をあげ、俺たちは顔を見合わせた。まさかとは思うが……、
「俺を抱く気かい?葉……」
「そっちこそ、おぞましいことを言うね。この俺を組み敷こうと言うのか?」
躰はとっくに疼いて見境なく快楽を貪りたい衝動に駆られていたが、なけなしの理性と矜持で俺は葉との距離をとった。射貫かれるような熱っぽい眼、この、呪縛されて躰が真っ二つになるような覚えのある感覚に反射的に身構え、俺はまじまじと葉を見る。
「やはり、営業妨害の犯人は君だな?」
フッーと深く息を吐いて眼を閉じた要は、観念して薄らと口角を上げ、ウンウンと二度、頷いた。
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