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早朝。
翡翠は目を覚ます。普段よりも早く目覚めた。朝日の時間まで一刻はあろう。
眠り直すか、と思ったが、今から眠って寝過ごすのはまずい。
翡翠は起き上がり、支度を終え、散歩でもしようかとひっそり広場へ出た。
そして、人影を見た。
広場近くにある井戸をじぃと覗き込む、真っ白な人影だ。
太陽も出ておらず、うっすらと月の光だけがある中で、ぼんやりと白く浮かぶ人影を見て、翡翠はそれを幽霊の類かと思い、息をのんだ。しかし、よくよく見ればきちんと足がある。しかも女である。白いのは、単に白い布を被っているからだ。
「何を?」
近付いて尋ねれば、彼女はビクッと震え、弾かれたようにこちらを見た。
「あ……」
――とんでもない美女である。いや、美少女だ。翡翠よりも少しだけ年上、葵入と同じくらい、つまり十七歳くらいの娘だ。
昨日の昼間に見た百姓の娘も美しかったが、この娘はさらに美しい。凛とした目元が翡翠の目を惹き付ける。けれども恋に落ちるような感覚ではなく、美しい芸術品を見た時の感覚を覚える。
「……もしかして、花送りの儀式のために、誰かに呼ばれたのですか?」
「花送りの儀式はいつからだ? 花送りの儀式に出くわすのは初めてなんだ。ぜひ見たい」
少女の声ははきはきとしていて、芯が通っていた。豪族の娘といえばほとんどか細い声で話すので、翡翠は僅かに驚く。しかし、その強気な話し方は、彼女の凛とした容貌によく似合っていた。
「あと一刻ほどありますよ」
「そうか。ここの郷に出された題は何だ?」
「この郷の中で一番美しいもの、ですよ」
「それは滑稽だな」少女は眉を跳ね上げる。「それで? お前は私が誰かに選ばれてると思うのか」
「え、そりゃあ、そうでしょう」
「ふん」
少女は唇の端を上げて笑う。
奇妙な娘だ、と翡翠は思った。もしかして、昨日の朝、牛車に乗ってきていた旅人の一人か。貴族ではなく商人か何かなら、この少し無礼な口調も理解できる。
「選ばれていないなら、尚更、出てこない方がいいと思いますが」
「どうして?」
「――選ばれていないのか?」
いきなり、背後から葵入の声がした。
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