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遠くの細い白波がゆらゆらと大きく近づいて来て、砂浜にたどり着いては、音をたてながら泡になって消えてゆく。濡れて濃くなった砂の色が、すうっと元の色に戻っていくのを、次郎は何度も見送った。
「……鶴よ」
もう舌の先にのっている言葉が、どうしても吐き出せない。そばに寄ってきたヤドカリを指で弾じくと、野良着からすらりと伸びた鶴の足に弾んで転がり、やがて、橙色の手足をちょろちょろ出してから、またぎこちなく歩きはじめた。
鶴が、もう返事をしない。
次郎はむっくと体を起こして背中の砂を払い、おそるおそる鶴の横顔をうかがった。大きな瞳が海の彼方を見つめたまま、鶴は黙って泣いていた。おもわず顔をそらせて、次郎は二度三度、生唾をのみ込んでから、大きく息を吸い、小さな声で、
「……我が嫁に、なってぇ呉らに」
と、ぼそりといった。
鶴はやっぱり、なにもいわない。砂浜に寄せる波の音だけが、ひどく大きく聞こえる。
次郎は、おもいきったように鶴に顔をむけた。鶴は遠くに目をやったまま、少ししてから、小さくコクンとうなずいた。それから目を伏せ、肩をすぼめてゆっくり息を吸い、ほぉーっと小さく長い息を吐いた。
ここが次郎の一番好きなところだった。もう何度もくりかえしに夢で見た。今まで生きてきたなかで一番の幸せなときだった。
「本当な? ちゃーがないら(どうなるか)、分とんな?」
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