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みきには何か重大なものが欠けているのだ。他の子がごく自然にこなせることを自分は何故かできないのだから。
どこか、遠くへ行きたい。誰も自分を知る人がいないところへ行って、隠れていたい。それでも、まだ学校でおとなしくやり過ごしている方がましだ。学校で嫌がらせを受ければ家に帰りたいと思い、家で父か母のどちらかに怒られれば学校の方がまだましだと心の中で叫ぶことになっても。
その日の帰り道は綺麗な夕日が空を染めていて、もっとよく眺めようといつもと違う道に入った。その道は一面に広がる田んぼの間をまっすぐに伸びていた。あちこちに田んぼをマス目上に切り分ける畦道が見える。その緑色の絨毯の中、ぽつんと一軒家が建っていた。夕日を背に受けてたたずむ白い壁と焦げ茶の屋根を持つ洋風の建物は、少し洒落た民家のようだった。気になって近づいてみると玄関先にプレートが下がっている。
「喫茶店 Tea Room」
白いチョークで掠れ気味に、そう書いてある。
本を読むことが好きなみきは頭の中で辞書をぱらぱらとめくった。英語は読めないが、漢字は確かきっさてん、と読むはずだ。玄関ポーチに立つと、足下にもプレートが置いてある。「営業中」
えいぎょうちゅう、と小さく声に出してみる。知らない建物に一人で入ることの不安と、扉の向こうにあるものを見たい気持ちがせめぎ合う。ドアは思ったよりも簡単に開き、きい、と音を立てた。みきは恐る恐る足を一歩踏み出した。からんからん、と頭上で鳴ったベルにびくりとした。
「いらっしゃいませ・・・あら、小さなお客様だこと。お好きな席へどうぞ」
夕日の差し込む薄暗い店内の奥でこちらを振り向いた人物は、カーブした細長い台の向こうで腰掛けていた椅子から立ち上がると、目尻にしわを寄せて微笑んだ。細い指先が伸ばされて店内には4つの丸テーブルを示した。どのテーブルに座ってもいいと言われたことが嬉しくて、きょろきょろ見回すと、隅っこに本棚が置いてあることに気がついた。みきは本棚に一番近いテーブルに腰を下ろした。
渡されたメニューを見ても、コーヒーという飲み物のイメージがつかず、しばらくの間固まっていた。その中で唯一、知っている飲み物を見つけた。
「あの、すみません」
メニューから顔をあげるとおばあさんと目が合う。テーブルの傍らに立つおばあさんからは柔らかな匂いがした。
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