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みきはメニューを指で指し示そうとしてはたと気がついた。ココアという文字の隣には「500円」と書かれている。
みきは頭の中が真っ白になった。ついで、顔が熱くなった。椅子を引いて立ち上がり、メニューを閉じておばあさんに差し出す。おばあさんは不思議そうな顔をした。
「ごめんなさい」
声を絞り出した途端、涙が頬を伝い、慌てて手でぬぐった。
「お金を、持っていないので・・・・・・帰ります」
おばあさんはポケットからハンカチを取り出すとみきの頬に当てた。
「初めて来てくれたのよね?」
穏やかな声にただ頷く。
「なら、今日は特別にサービスします」
みきはぽかんと目の前の笑顔を見つめ返した。
「どうぞ」
お盆にのせられた湯気の立つマグカップが、目の前に置かれる。濃いチョコレートの香りがみきを包み込む。
「ありがとう、ございます。えっと、マスター」
確か最近読んだ本に出てきた主人公は、お店の店主のことをそう呼んでいたはずだ。おばあさんは口元に手を当てて笑うと、
「マスターはくすぐったいから、ゆきと呼んでくれるかしら」
「はい、ゆき、さん。あの、わたし、みきといいます」
「みきちゃんね。よろしく」
みきは小さく頭を下げた。
ごゆっくり、と声をかけられてゆきは台の向こうに姿を消した。みきはもうもうと湯気を立てるマグカップを恐る恐る握った。
ふう、と息を吹きかけると、視界が薄く霧がかってすぐに晴れる。それが面白くてもう一度吹きかけようと唇をすぼめたとき。
ぱら、と紙がめくられるかすかな音がすぐ傍で聞こえた。
ゆっくりと音のした方に顔を向けると、まずテーブルについた肘と、ページを繰る長い指先が目に入った。上へ目線をずらしていくと、次に枯れ葉のような色の外套を羽織った肩に細いあご、引き結ばれた唇、黒縁のめがねが見えた。最後、頭のてっぺんに乗った帽子までたどり着いたがつばのせいで陰になった目元はここからは窺えなかった。
「みきちゃん、味はいかが?」
声をかけられてはっとするとゆきが傍に立っていた。
「おいしいです、とても」
そう、よかった、と頷いてゆきはまた戻っていった。すぐに隣の席に視線を戻したが、席には誰もいなかった。天井のスピーカーからぷつっと音がして音楽が流れ始める。
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