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101 恋のゴルフ 1番ホール
「こんばんは」
「お。今夜は慎也君だけですか。空いているからどうぞ」
会社帰り夏山慎也は、札幌市内のゴルフ練習場にやって来た。
車に乗せたままのゴルフバックを肩からおろし受付に挨拶した彼は練習場の奥の打席に、そっと置いた。
……ここならいいだろう。
仕事がら付き合いでゴルフをしなければならない彼は、密かに練習を重ねていた。姫野に指導をうけることがあるがそれでも自主的に練習を始めていた。
この奥の打席は人があまり通らないので、気楽な慎也は機械にカードを入れ
穴からボールを出した。
しかし。自信のない彼はまだこれを打たず、クラブを振り、準備運動をしていた。
「……そろそろ始めたら?」
「はいっ?」
気が付くと彼の背後には長身の女が、腕を組んで立っていた。キリリと結んだポニーテールの彼女はじっと慎也の様子を見ていた。
「さあ。早く。打ってごらんなさいよ」
「は、はい」
厳しい視線に押された慎也は何度もクラブを握りを直し、深呼吸をした。
……いくぞ。
そして覚悟を決めて打った。すると背後から彼女の声がした。
「いいから続けて」
「はい!」
言われるまま打つ彼のフォームを彼女は入念にチェックしていた。
「あの、一体」
「ちょっと貸しなさい……あのね。ボールの位置が」
そういって彼女は慎也のクラブを奪い、見本で構えた。
「ね?君の立つ位置は、ここ。ボールをもっと中心に……ほら、やってみて」
「はい……」
熱心な彼女に、慎也は言いなりになった。
「そう。そのまま、打って」
パカーーーン!
「うわ?飛んだ」
「芯に当たれば、誰でも飛ぶのよ」
「あの……君は」
慎也の問いかけに彼女は慎也のクラブを確認しながら話した。
「私はボランティアのコーチで、アドバイスをしているの。君の事、さっきここの支配人に頼まれのよ」
「そうですか……」
……俺よりも年上なのかな。
髪をきりりとひとまとめにし、スタイル抜群なゴルフウェアの彼女を慎也はじっとみていた。
「またわからない事があったら、声掛けてね」
「はい」
そう言って彼女は、他の人の所へ行ってしまった。すっかり圧倒された慎也は、彼女の助言を胸にプレーを続けた。
合い間に自動販売機でお茶を買った慎也は、他の客に彼女のことを訊ねた。
「彼女は、菜々子先生っていってね。たまにきて教えてくれるんだよ。美人で迫力あるから人気だよ」
「そうなんですか」
他の客に指導している彼女を慎也は見た。
「プロゴルファーなんですか?」
「元ね。ケガをして引退したって話をしていたな。今は違う仕事みたいだよ」
「へえ……」
こうして慎也はまた打ち始めた。すると背後から声がした。
「どうですか」
「十回に一回位、当たるようになった気が」
自信なく首を振る慎也に彼女は近づき、彼の姿勢を直した。
「百回の間違いじゃないかしら……構えてみて……もっと顎を引いて、そう。頭はそのまま。はい、それで打ってみて」
パカーーーン!
「ほら!当たるじゃない」
「……先生がいる時は当たるんですけど」
「今の感覚を憶えている間にもう一度!さあ、どんどん打つ」
ガチッ!
「頭が動いたわよ」
カツン!
「打つ寸前までちゃんとボールを見てたの?」
ガコン!
「芝を打ってどうするの?」
「あのですね。先生」
慎也は手を止めた。
「もう少し優しく指導してもらえませんか」
クラブを握った慎也は、いらだちを隠さずに菜々子に向かった。彼女はすっと目を伏せた。
「あ、そう。それは失礼しました」
すると彼女は受付の方に行ってしまった。そして代わりの初老の男性がやって来た。
「はいはい、私が代わりに見ますね」
「さっきの彼女は?」
「ああ。菜々子さんはもう、帰る時間なので。気にしないで下さい」
腑に落ちないまま慎也は、この初老の白いポロシャツの小林コーチに指導してもらい、ここを後にした。
翌日。再びゴルフ練習場にやってきた慎也は、彼女を目で探した。
……毎日いるわけじゃないって、言ってたしな。
慎也は昨日と同じボックスにクラブを置き、一先ず椅子に座った。
パコーーーン!
……いい音だな。一体誰だろう。
練習している人の中に、彼女を見つけた。
パコーーーーン!
……すげえ。あんなに飛ぶんだ?
美しいフォームで打つ彼女の額には汗が光っていた。そんな彼女に他の客が声を掛けた。彼女は打つのを止め、その客の指導を始めた。
……これから指導する時間なのかな。
彼女は順に一人一人に声を掛け、慎也の方に近付いてきた。慎也は昨日の事を意識しながら、打っていた。しかし、彼女は慎也の隣の人まで声を掛け、そのまま戻ってしまった。
……は?俺だけ無視かよ?
呆然としていた時、慎也の隣の客が話かけて来た。
「君、もしかして。やってしまったんじゃないのか」
「何をですか?」
「……その様子だと何も知らないんだね。彼女の指導はきついだろう。だから文句を言う客の相手はしてくれないんだよ」
そっと話す彼に慎也は彼女を目で追った。
「相手をしてくれないっていうのは、どういう意味ですか」
「君のアドバイス係りは小林コーチになるね。菜々子先生はもう君に指導してくれないって意味だよ」
「ええ?だって。俺は昨日初めてで」
「第一印象が重要らしいぞ」
「マジですか」
他の客に指導している彼女を慎也は見つめた。そんな慎也を客は慰めてくれた。
「でもがっがりするなよ。小林コーチも上手だからね。ま、頑張りたまえ……あ、菜々子先生、次お願いします」
隣の客の微笑みに、慎也は心底悔しかった。慎也は二人の会話を聞いていた。
「……お待たせしました。新しいクラブですか?軽いですね……ではこちらから見てますので、打って見て下さい」
……俺には指導してくれないくせに。くそ。
そんな菜々子先生の接客を慎也は、じっと見ていた。
パコーーーン!
「ナイスショット!でも、膝が曲がる癖がまた出てますね」
「はい!以後気を付けます!菜々子先生」
「返事はいいので。さ、もう一度!」
「はい!」
そんな二人を見ていた時、慎也に声が掛かった。
「どうですか。今日の調子は」
「あ、小林コーチ。お願いします!」
この日はピンクのポロシャツの小林コーチと慎也はレッスンを始めた。
パコーーン!
「お、今のいい感じ」
「お上手ですよ。まだ初めたばかりなのに」
褒めて伸ばすタイプの小林の声に慎也は機嫌よく答えた。
「いやいや、小林さんの指導のお陰ですよ。分かりやすいし、嬉しいです。す。叱られても楽しくないですものね」
嫌味全開の慎也の声にぴくと菜々子の耳が動いた。
「ではもう一度、そのままどうぞ」
「はい」
パコーーン!
「ナイスですよ」
「乗せるのがお上手ですね。人に教えるっていうのは、やっぱりこうじゃなくちゃ、な」
慎也と小林の会話をきにしていた奈々子は生徒に声を掛けられた。
「先生、菜々子先生」
「あ?すみません、ええと、そうですね、脇をもっと締めて下さい」
パコーーン!
「おお!これは飛びましたよ」
「でも……曲がったかな」
「いやいや。大したものです」
「やった。また褒められたし。もう一回やってみます」
慎也の事が気になる奈々子は完全に手が止まっていた。
「菜々子先生。あの」
「すみません。今日はこれで終りでいいですか」
そういって彼女は慎也にくるりと背を向けて、受付に行ってしまった。
夜の練習場には涼しい風が吹いていた。
「ちょっと……意地悪すぎたかな」
「いいえ。気にしないで下さい。さ、どうぞお続け下さい」
こうして慎也は練習を終え、帰る間際に受付を通った。その時、菜々子とすれ違った。
「……お疲れ様でした……」
「あ、どうも」
菜々子の弱弱しい言葉に、慎也は眉をひそめながら振り帰った。彼女はそのまま事務所に消えた。ゴルフバッグを持った彼は駐車場に向かった。
胸にもやもやしたものがあるが、慎也は明日も来るつもりでゴルフ練習場を後にした。
そして自宅に戻った。
「あった。これだ、『星野菜々子女子プロ』……」
ネットで検索すると彼女のプロフィールが出て来た。
「十代で外国ツアーに参加。でもケガが理由で引退。今は……スポンサーだった、プリンセスホテルに勤務か」
あのゴルフ練習場もプリンセス系列だと思い出した慎也は画像の日焼けし健康的な十代の彼女を見つめてた。これによると慎也よりも三歳上だった。
……本当に、凄い人なんだな。でも、あんな態度ってないよな。
でも、帰りにすれ違った時の彼女の何とも言えない悲しい顔が、慎也は気になった。
翌日は会議で行けなかったが、その翌日、彼は顔を出した。
「……みんな。こういう暑い日はね……」
今夜の彼女は子供にゴルフを教えていた。これを見ていた慎也に水色のポロシャツの小林が声を掛けてきた。
「こんばんは。今夜は夏休み企画で、子供教室を開いているんですよ」
「……大丈夫ですか、彼女で」
小声で話す慎也に小林は苦笑いをした。
「あの子達は、菜々子さんの指導を受けたくて抽選で選ばれた子なんです。だから、大丈夫かと思うのですが……」
「そこ!ちゃんと聞いているの?」
「は、はい」
奈々子の鋭い言葉が発せられた瞬間、後ろで聞いていた母親らしき女性が、菜々子に詰め寄った。
「先生。先程から伺っておりますが、そんな風に言わなくても、子供ですよ?もっと優しく言えないんですか」
この怒りに対し、奈々子は真顔で答えた。
「……お子さんは真剣に学んでいるんです。だから私も真剣に取り組んでいます。私の指導に文句があるのでしたら、どうぞお帰り下さい」
「まあ?!なんて事でしょう?……帰るわよ、ほら」
すると子供は母の手を振り払った。
「お母さんは引っ込んでいて。先生、すみませんでした!もう一度、ご指導お願いします」
この様子をみていた小林は、まあまあと母親を別室へ連れて行った。慎也は奈々子の指導を思わず見ていた。
「それじゃあね。やってみようか」
「はい!」
菜々子の号令で、生徒は打ち始めた。
「うん、そうそう……脇を絞めて……ナイスショット!」
口調は厳しいが、彼女の指導に生徒は真剣に耳を傾け、ボールを飛ばしていた。
「すげえ……」
「みんな真剣でしょう」
練習をしつつ奈々子を見ていた慎也の隣に小林コーチが立っていた。
「はい。生徒もすごいけど、菜々子先生も凄い」
「彼女の言葉はきついかもしれませんが、真実を突いているから心に刺さりますよね。あの性格でだいぶ損をしていますが、本当は子供思いの優しい女性なんですよ」
子供に指導している彼女は、嬉しそうに笑っていた。しかし慎也は不貞腐れ水を飲んだ。
「でも。俺には教えてくれないんですよね」
「……それは慎也君のせいではありませんから」
「え?」
遠くを見つめる小林は、悲しくため息をついた。
「さあ。慎也君も打って下さい。今夜は遅めの時間ですよ」
「あ、ああ」
こうして慎也も打席に立ち、打ち始めた。
ガキン!
「あ、くそ!」
カツン!
「い、今のは素振りがボールにあたっただけで」
「大丈夫ですよ。続けましょう」
すると、菜々子は生徒に声をかけた。
「みんな!他の人のプレイは見ないで。フォームが崩れるから」
「はい!」
……さては、俺に仕返ししているな。
「くそぉ……とりゃ!」
パコーーーン!
「ほらみろ。当たった」
「みんな!いくら飛んでも曲がってはダメよ。曲がった、と、曲げるは全然違うからね」
「はい!」
慎也を見てそう話す奈々子に素直な生徒達は返事をした。
「……あの女。俺を目の敵にしやがって」
「ハハハ。慎也君、身体に力が入っていますよ。もっと肩の力を抜いて」
「わかってます。ふうーーー」
慎也は深呼吸をして、クラブを振った。
パコーーーーン!
「ナイスです」
「やっぱり誰かさんと違って、小林さんの指導は違うな……」
こうしてしばらく練習をしているうちに子供教室は終り、子供は帰って行った。
慎也も帰ろうと受付を通った際、そこには菜々子がいた。
「お疲れ様でした。カードを入れて下さい」
ここの練習場は、利用カードを来た時、帰る時に機械に通すのが決まりだった。機械の画面はスロットゲームになっており、慎也は自分で画面をタッチした。三つの数字が揃うと、ポイントが付くシステムに慎也は本気だった。
「どうだ!」
「はずれです……」
嬉しそうに彼女は慎也にカードを返した。
「お気を付けてどうぞ」
「そっちこそ」
慎也は笑みを作りカードを受け取り、玄関を出た。夏の夜風の中、車まで進んだ。
……見てろよ。ぎゃふんといわせてやるから。
車のトランクにゴルフセットを押し込んだ慎也は、運転席へ向かった。
練習場からは、ボールを打つ音が聞こえていた。
夏の夜、ひんやりした車の中で慎也は帰り際の彼女の笑みを思い出した。エンジンを掛けた慎也も笑顔だった。
完
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