110 いけないメイクアップ教室

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110 いけないメイクアップ教室

「従来は化粧品というと女性用でしたが、これからは男性もメイクをする時代でございまして、就職活動の学生さんや営業職の方に多くお使いいただいております」 「へえ。すごいな、西條」 「そうすっね」 夏山愛生堂の社長室。製薬会社の女性社長はキラキラした目で慎也に語っていた。 「もし興味あるのでしたら、わが社のメイク担当の者が商品の説明に上がります!ええといつがいいかしら」 「いいえ?お忙しいのに無理しないで下さいよ」 思いっきり遠慮している慎也に構わず、女社長はあやしい笑みを称えていた。 そして後日。姫野は会議室に呼ばれてしまった。そこには石原と渡がおり、姫野は帰りたくなった。 「全く、何ですか一体」 「社長がな。男の化粧教室を開くって言い出してな。お前出てくれないか」 そういって石原と渡は腕を組んで座っていた。 「お二人でいいでしょう。時間があるんだし」 「姫野よ。俺達に化粧を施して何になるんだ。どうせなら第一線で働くお前や風間がいいんじゃないか?」 「……いいえ。モデルはお二人が一番相応しいですよ」 話をするのも面倒だった姫野は、時間が無い事やビフォーアフターがはっきりした方が化粧のやりがいがあると二人を言いくるめて、会議室を去って行った。 こうして男のメイクアップ教室は、石原と渡がモデルを務める事になった。 そして当日。会議室にてメイク教室が開催された。 「こんにちは。美容部員の牛山と申します。それではこれよりモデルの石原さんのメイクを行って行きますね」 さすがに誰かが参加してあげないとまずいだろうと言う事で、総務部の蘭と財務の聖子。そして清掃員の小花が、彼らのメイクを見守っていた。 「こうして化粧水をコットンにたっぷりつけてパッティングしていきます……」 蘭は資料として前髪をピンを押さえられ、ヨダレ掛けのようなエプロンを付けられた石原の写真を撮っていた。 「そしてマッサージ……ここまでが毎日のお手入れになります。さあ、いよいよメイクです」 「まだメイクじゃなかったのかよ?」 「し!動かないで」 牛山美容員はまずファンデーションを塗り始めた。 「ここでポインです。ほうれい線を消すために、肌よりも白いファンデーションを塗って行きます……こうして、トントンと叩くと肌になじみます」 他にも頬のシミやヒゲ剃り跡なども消して行った牛山の手法を小花は熱心にノートに書いていたので、蘭はそっと覗きこんだ。 「何て書いているの……」 小花のノートには『顔をキャンバスにして絵を書くように色を塗る』とか、石原のイラスト等が書いてあった。 「上手だね」 「ありがとうございます!せっかくの勉強に機会ですものね」 こうして初老の渡もメイクを施してもらい完成となった。 「このテープで皺を引っ張れば完成……よし。みなさん!どうですか?」 「……若くなりましたよ?すごい」 牛山のメイクにより、皺を無くし肌もつやつやになった二人は、少し離れて正面から光を当ててみれば確かに若々しく見えたので、聖子は驚きの声をあげた。 「ハハハ。そんなにカッコいいかな」 「お嬢。いかがでしょうか?」 しかし。角度を変えればいつもの二人であったし、それに近くでみればオジサン坊やにみえて少し不気味だったので、小花と蘭は引き気味だった。 しかも若くなった、と言っただけで誰もカッコイイとは言っていなかったが、せっかくご満悦の初老の二人に全員で優しい拍手をした。 こうしてメイクをして若返った二人はそれぞれの仕事に戻って行った。 この日の昼下がり。 午後の清掃で小花が中央第二を清掃している時に、電話が鳴った。 「もしもし。なした?」 渡が出た電話の内容は西営業所の所長からだった。 「緊急薬品がそっちで切れていたのか、うん。それで?ああ、手稲ユニバースクリニック?」 「渡さん。私、存じますわ」 「お嬢が?あ、何でも無い。そこに届ければ良いんだな、わかった……」 電話を切った渡の説明によると、西営業所の得意先の手稲ユニバースクリニックに医薬品を緊急に届けないといけないと言う事だった。 「お嬢、これは特殊な病気らしくて、この本社にしか在庫がないそうです。しかもただ今夏山の緊急車両は出払っているので、困って私を指名してきたのです」 緊張なのか汗がだらだらの渡を見た小花は不安になった。 「渡さんは、手稲ユニバースクリニックを御存じですか?新しい病院ですよ」 「お嬢……よければ私のナビを務めて下さいませんか?これは命にかかわるのです」 もちろん!とホウキを投げ出した小花は渡と同行すると決めた。 彼女は吉田にこの旨を告げると、清掃員の上着を脱ぎ、Yシャツ姿で玄関に立っていた。そこへ車がすっと停まった。 「お姉ちゃん。俺も行くぜ!」 「まあ?石原部長!心強いですわ」 そして薬を抱えた渡を助手席に乗せ、石原のカローラワゴンは走り出した。 「おい、渡。車の上に赤色灯を乗せてくれや」 「ほいきた……あれ?接触不良か?点かないぞ」 緊急用として警察に許されているはずの赤色灯はなぜか故障していた。 「くそが!でも、渋滞してないから、このままでも大丈夫そうだな」 そして後部座席の小花の右だ、左だとナビで、石原カーは手稲までやってきた。するとここで急に渋滞になった。 「なしたんだ?混むような道じゃねえのに……」 「ユニグロでバーケンでもしているのか?」 この時、小花は素早くスマホで検索をしていた。 ……これは事故渋滞でもないわ。何かおかしい。 「すみません。知り合いにちょっと電話をしますね、もしもし、爺?手稲通りが渋滞しているのだけど、工事中なの?」 この電話に出た義堂は嬉々として応えた。 『事故渋滞ではございません。先程ここにも警察が来ましたが、犯罪者が逃亡している模様です』 「犯罪者ですか?それにしても道が混んでいて困っているのです。抜け道ってあるのですか」 『話によると初老の麻薬を持った二人組が若い女性を連れ去ったとの事です。爺はお嬢様がいずこにおられるのかは不明でございますが、手稲通りにいらっしゃるのでしたら手遅れですぞ。して、行き先はいずこですか?』 しかし。この電話をしている間に車が進んだので、彼女は電話を切った。 「犯罪者ですか……?恐ろしい話ですな」 「おい。みろよ!やっぱり警察が検問しているから混んでいたんだよ」 運転手の石原は、そういって警官の指示通りに車を停めた。 「恐れ入ります。運転免許証を拝見させてください」 「ほらよ?おまわりさんも大変だな……」 さっと渡した石原を若い警察官はジロリと見つめた。 「……すみません。助手席の方もありましたらご提示お願いします。ああ。そういえば今日も暑かったですね」 若い警官は渡の免許証と本人を見比べながら、世間話を始めた。 「そうですか?今日は比較的涼しかったと思っておりましたが」 その時。この車へ警察官が走って来るのが見えてきた。時間稼ぎ的な警察の動きに石原は嫌な予感がした。 「そ、そうだ!あのこれは社員証なんです!夏山愛生堂って知ってるだろう?」 この社員証の写真と本人を見比べていた若い警官は、笑みを称えた。 「少し……お待ちくださいね」 そういって仲間と話をしている警官に、さすがの渡も笑えず小声で話した。 「石原よ。俺達ぜったい誤解されているよな」 「ああ、どうすっかな。時間がないのに」 免許証の写真と今の顔が一致しない二人は焦りを見せた。後部座席の小花は二人に聞いた。 「行けないのですか?ど、どうします?」 クリニックはまだ先だと知っている小花は、心臓がドキドキしていた。 「わかっているよ。で、どうするよ、渡」 「どうするもこうするも……こうするしかないだろう」 警官達がこっちに向かって走って来るのが見えた渡は、シートベルトをはずした。 「渡?お前、何を」 「石原よ。お嬢と薬を頼む……ぬおおお!」 そういって渡は車から飛び出してしまった。驚いた警官は、彼を追いかけて行った。 「渡さん?」 「……いいんだ!お姉ちゃんは薬を持って届けてくれ!さ、降りろ!」 石原に即された彼女は薬が入った容器を胸に車をそっと降りた。 石原は小花を車から下ろすと、車をUターンさせ去って行った。警官は、石原の不穏な動きにパトカーで追い駆けて行った。 ……誰もいなくなったわ。さあ薬を届けないと。 囮になった二人に報いるため、こうして小花は決死の覚悟で得意先に薬を届けに向かった。 途中何度も白バイやパトカーとすれ違ったが、彼女を不審に思う者はいなかった。クリニックは距離が違いが、坂の上だった。早く届けるために彼女は酷暑の中、駆け足で向かっていた。 ……あ、あそこだわ。 ようやく見えてきた病院は陽炎のせいか彼女には朦朧して見えた。 「お嬢さん。大丈夫ですか?この付近で不審者がいるのでお気を付け下さい」 パトロール中の警察官が、小花に心配して声を掛けて来た。 「はい。ご心配なく」 持っている薬を誤解されないか冷や冷やしたが、小花は警官に背を向けて歩き出した。 ……もう少しよ。はあ、はあ。 すると背後からバタバタと足音が近づいていた。 「あの君!もしかしてそれは薬じゃないのか?」 ……キャ!ばれたわ。こうなったら。 酷暑の中、小花は警官達を振りきって坂の上のクリニック目指して駆けだした。 「待ちなさい!止まるんだ!」 笛がピーーーと鳴る中、彼女は日頃鍛えた足でラストスパートを決めてクリニックにやってきた。 「お待たせしました!夏山ですーーー!」 小花は入るなり薬の入ったボックスを受付にドンと置いた。まるでラクビーのトライのような勢いに、受付の女子が目を丸くしたが、急いで奥の診察室に持って行った。 「お姉ちゃん……大丈夫?」 待合室にした幼児は彼女の服をつんと引いた。彼女はこの子供に首を振った。 「だ、大丈夫では、ありません」 「これ、お水だよ、どうぞ」 そして幼児に手を引かれた彼女は、待合室の椅子に横になっていた。 その後、ここに警官がやってきて大騒ぎになったが、小花が目を覚ましたのは病院のベッドの上だった。 「……ここは?」 「クリニックですじゃ、お嬢様。よくぞ頑張りましたな」 ベッドの傍らにいた義堂は、小花に笑みを見せた。 「どうしてここに義堂が?」 「お嬢様の最後の電話先が爺であったので、連絡を受けて参った次第です。軽い熱中症との事。御無理はいけませんぞ」 「そうだわ?お薬は」 「ちゃんと届いています。安心くだされ」 その時、静な病室にバタバタと足音がして来た。 「お姉ちゃん!済まなかったな、警察が信じてくれなくてよ」 「お嬢!申し訳ございませんでした」 メイクを落とした石原と渡が警官とやってきた。 夏山愛生堂とクリニックの証言により疑いが解けた三人は、狭い病室でようやく一息ついた。 「お姉ちゃん。こちらの人は?」 「私の昔からの知り合いで、義堂と申します」 すっと会釈をした義堂があげた面は、冷たい笑顔だった。 「……石原殿。渡殿。お二人は夏山愛生堂の部長をされている管理職の長でありながら、この失態はなんですか?ええ?良い年して化粧なんかして……バカたれが!」 「はい」 「すみません」 老齢の義堂は手を後ろに組み、部屋をウロウロ歩き出した。 「わかっておいでですか?お嬢様は夏山ビルの清掃の仕事なんですぞ?なしてこんな所でぶっ倒れなくてはならんのですか」 「爺!私がいけないの。お二人を責めないで」 「いいえ!容赦なりません!ゲンコツをくれてやりたいのです」 「やってください」 「はい。いっそ、その方が、気が楽です」 「お覚悟!それ」 そういって目を瞑って待っている石原と渡に、爺は『デコピン』をした。 「痛?」 「う!?」 「今日はこれで勘弁しておきますが。二度目はこんなもので済みませんぞ……」 「はい。肝に銘じます」 「心得ました」 義堂のお叱りに石原と渡は素直に従った。 「鈴子お嬢様は天然熱血少女です。正義のためにこのような無茶をするいけない所がございます。今度、お二人でこれを見張って頂きたいのです」 「はい!」 「命に従います」 その時、また廊下からバタバタと足音が聞えて来た。 「鈴子!大丈夫か?」 「今頃ノコノコ来るとは……恥ずかしくも無くまあ」 「爺!言い過ぎよ!」 「小花ちゃん。この爺さん、だあれ?」 すると姫野が風間を向いた。 「彼は、彼女のスーパーボディガードの義堂さんだ。知識人で、一人で何でもこなされるし、人生を卓越されていてな。畏敬の念を禁じ得ない、そんな立派な人だ」 「嫌みじゃわい」 「そんなこと無いわ。爺は立派よ」 ここで姫野は彼女の腕をつかんだ。 「いいから鈴子。本当に何ともないんだな?どれ熱は?おお、よしよし……」 仲良くベタベタしだした二人に背を向けた義堂は、きょとんとして立っていた風間をじっと見つめた。 「何ですか」 「……夏山愛生堂新人トップ、ススキノプリンス風間諒よ。今後もあの二人をどうか見張って下されや。石原も渡も頼りにならんのでな」 「言われなくてもやってますので、ご安心ください。あ?そうだ!俺、小花ちゃんにアイスを買って来たんだっけ?ええと今クーラーボックスから出すね」 「いずこのアイスじゃ?」 ガサガサ動く風間は義堂に説明した。 「最近ススキノにオープンした店です。でも本当はここの近くの手稲山のソフトクリームが札幌で一番なんだけど、今日は休みだったから。はい、これ小花ちゃん、皆の分もありますよ。どうぞ」 受け取った義堂は目を細めた。 「ほう。ススキノプリンスは真なり、か。ホッホホ、重畳、重畳……」 酷暑の昼下り。 夏山愛生堂はこうして今日も薬だけでなく、優しさも届けていた。 完
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