115 お掃除少女

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115 お掃除少女

「あのね。夏山さんの隣の会社に新しい清掃員が入ったんだけど、私、小花さんの事を聞かれたのよ」 「私の事?」 卸センターの地下の購買部で買い物をしていた小花に、売り場の女性は身を乗り出して話出した。 「そう。卸センターに小花すずさんてっいるはずだけど、どこの会社か知りませんかって」 「どんな人ですか」 「年はあなたと同じくらいで色が白くて美人だけど、どこか冷たい感じの女の子よ」 売り場の女性は、小花の事は個人情報だから答えられないと返答したと話した。 「でもね。あなたは有名だから、彼女もすぐ分かると思うわ」 「心配して下さったんですね?ありがとうございます。一応気を付けますね」 こうして小花は買い物を済ませて、夏山ビルへと戻って行くために地下通路を歩いて行った。 この札幌駅東エリアにある卸センターは、卸売り会社が並んでおり、その地下は全て繋がっていた。 今日は雨だったので、小花はこの地下通路で夏山ビルまで帰ろうとしていた。 「あ!小花ちゃん。あのさ、新しくやってきた清掃員さんに逢った?私、あなたの事を聞かれたのよ」 「紗里(さり)さんもですか?一体なんでしょうね……」 卸センター内のシューズ会社の女子清掃員の紗里は心配そうに駆け寄ってきた。 「彼女、たぶん他のビルの清掃員にも聞いていると思うわ。気を付けてね」 「ねえ。そこにいるのは小花ちゃん?」 すると、他の女子清掃員もここにやってきた。 「もしかして。あのつんとお澄まししていた清掃員の話をしているの?私も話かけられたのよ」 「明子(あきこ)ちゃんまで?」 「うん。私は秘密だって返事をしたの。それに真子ちゃんも聞かれたって言っていたわ」 他会社の清掃員仲間に気を付けてね、と言われた小花は、心当たりを想い浮かべながら夏山ビルまで戻ってきた。 そして5階の立ち入り禁止のドアを開けた。 「あ。帰って来た。あのさ、今度隣のビルの清掃員の女の子にATMにいた時に訊かれたんだけど小花ちゃんの事、訊かれたよ」 「吉田さんに?あの、その人の名前は?」 「ええと……私は人の名前を憶えるのが苦手でさ。あ。でもね……。ありがとうの意味なのか分からないけれど、右目の所に指で」 「もしかして。こうですか?」 小花は右手でピースサインを作ると、手の甲を自分側に向けて右目を囲んだ。 「そうそう!そんなポーズをしていたわ」 「……誰か分かりました。そうですか……」 小花はそういうと顎に手を当て、何やら考え込んでしまった。 こんな風にゾーンに入った彼女に何を言っても聞えないので、吉田は自分の仕事に行った。 そして夕刻の清掃の時も彼女は心あらずだった。 「おい、鈴子?おい!」 姫野の声も聞こえない彼女は黙々と掃除をしていた。この様子を危険と判断した石原は彼女を自宅まで送るように姫野に指示をした。 彼女の自宅方面に用事もあったので、姫野と風間は彼女を家まで送ることにした。 「もうそんな時間ですか?」 「良いから!車に乗れ」 駐車場に向かって歩いている時、外灯から長い影が小花に伸びていた。 「ひさしぶりね。すずちゃん」 「のんちゃん。やっぱり……のんちゃんなのね?」 全身ブルーの服に身を包んだ彼女は、小花に笑顔を見せた。 「逢いたかったわ、すずちゃん!」 「……のんちゃん」 小花をギュウと抱きしめた女性に、姫野と風間は目を見張った。 「あの、これはどういうことだ」 「フフフ。申し遅れましたわ。私はこういう者です」 彼女が差し出した名刺を姫野は読み上げた。 「……『派遣会社エクセレント。清掃員 郷のぞみ』って君はあの派遣会社なのか?」 「さすが夏山愛生堂トップセールスマンですね。弊社のスカウトマンの話通りですわ」 「のんちゃんは、エクセレントにいるの?」 「そうよ……。すずちゃん。まあ、しばらく会わないうちに、一層可愛くなったわね……」 うっとりと小花を見つめている彼女に危機感を察知した風間は、小花を抱き寄せ背後に隠した。 「先輩、これはヤバい感じのやつですよ」 「ああ。俺もそう思った」 「ホホホ。何をおっしゃっているの?すずちゃん。私、隣のビルで仕事をする事になったの。よろしくね」 「よ、よろしく」 そしてキラーーンと右目をピースサインで挟むポーズを決め、彼女は走り去って行った。 「一体これは?彼女は何者だ?」 「先輩。時間がないから車で聞きましょう」 こうして営業車に飛び乗り、姫野と風間は彼女の話を聞いた。 「のんちゃんは私と同じワールドの社員だったんです。でも辞めてしまって、連絡取っていなかったんです」 「向こうはお前とずいぶん親しいような感じだったが」 「一緒に研修していた時は仲良しだったんですけど、途中から意地悪してきたんです。だから私、あんまり好きじゃないんです」 「なんだろうね。その意地悪って」 「風間さん、私もそれがよく分からないんです。だって、のんちゃんて何でもできるんですよ?頭もいいし、車の運転もできるし。お綺麗な方ですもの。大きな会社の秘書をしていたこともあるんです。だからお掃除の仕事じゃなくても、いいはずなのに」 「お前をライバルと思っているんじゃないのか」 「鈴子をですか?なんでものんちゃんの方が上手なのに」 「……風間、これはしばらく見張らないといけないな」 「そですね。小花ちゃん。気を付けてね」 「はい……」 こうした翌日。総務の蘭がランチタイムに報告を始めた。これによると、隣の会社にISOの監査が入るので清掃のテコ入れということだった。 「ISOは大変だもんね」 「でものんちゃんは優秀な方ですもの。一人でも平気でお掃除しますわ」 「そんなに凄いの」 「はい。汚れを見ただけで正体を見抜き、自分で洗剤を作るんです。動きも早いし。私はまったく敵いませんの」 「朝、私に挨拶してくれたわよ。感じの良い子ね」 「そ、そうですね」 のぞみの狙いが良く分からない小花は、気が重かった。 その昼下り。小花は卸センターの地下の購買部に来ていた。 「あ。小花ちゃん。やっぱりのんちゃんって、意地悪してきたわよ」 「真子ちゃんに?何を」 掃除仲間の真子はにっこり笑っていたが目は笑っていなかった。 「……卸センターの清掃員はザルだって。全員で手を抜いて、全然掃除をしていないって。社員さんに言いふらしているのよ」 「うちもやられたわ」 やってきた紗里も鼻息を荒くした。 「ビルの外にゴミがぶちまけられていてね。掃除をしていないっていうのよ」 「お疲れ様!そのゴミの話だけど、うちもそうよ。見ていた人がいるんだけど、証拠が無いのよ」 明子も話に入って来たが、小花はすまなそうにうつむいた。 「明子ちゃんの所まで?あのね、のんちゃんは私を苛めようとして、みんなに嫌がらせをしていると思うの。だから私のせいなのよ……ごめんね」 少し涙ぐんでいた小花の頭を、紗里が優しく撫でた。 「ダメよ。こんな事でくじけちゃ。このままでは負け犬よ」 「そうよ。私達で力を合わせて掃除をして見返してやりましょうよ。ね」 「私も紗里ちゃんと明子ちゃんと同じよ」 「紗里ちゃん。明子ちゃん。真子ちゃん……ありがとう」 こうしてお掃除少女達は結託し、『意地悪のん』と全面対決する事になった。 各自、窓ガラスを汚される、ゴミを置かれる、花壇の花をむしられるなど、法に触れないような心を痛めつけるむごい苛めが続いたが、お掃除少女達は負けずに綺麗にして行った。 そんな日が続いたある日。卸センターの清掃員達にニュースが流れた。 「え?隣のビルに野良猫が入ったんですか?」 「そうみたいよ。ISOが来るって言うのに、捕まえるのに大騒動みたいだよ」 それは一匹ではなく十匹はいる可能性があるという。 「しかも社内でお産をした猫がいるみたいでさ。掃除が大変らしいよ」 「まあ。のんちゃんがそれを一人で……」 ISOの過酷さを知っている小花はいてもたってもいられずに、隣のビルにやってきた。 「まあ、小花ちゃんもきたの?」 そこには卸センターの清掃少女が集結していた。 「紗里ちゃん、明子ちゃん。真子さんまで……」 「ダメで元々よ、行ってみようっか?」 真子の号令でみなビルに入って行き、清掃の協力を申し出た。会社の人は喜んでくれた。 「よかった。清掃員さん一人で困っていたんだよ」 「お任せ下さい!私はこれでお掃除よ」 そういって紗里はホウキを持ち、猫が散らかしたゴミを片付け始めた。 「私は鏡を磨くわ。そおれ」 そういって明子は室内の鏡や窓を磨き始めた。 「私は猫を捕まえます、任せて……」 そういって真子はなにやら胸のペンダントをいじり、念仏を唱えていた。 これを背にした小花も担当者に告げた。 「私はISOの手の内を知っていますので。そこを重点的にお掃除しますわ」 そういって小花は部屋の隅をチェックし始めた。こうして卸センター清掃少女達の活躍により、あっと言う間に社内は綺麗になった。 「助かりました……手際が良くて、まるで魔法のようですよ。とてもうちの郷君だけでは無理でしたし。皆さんの会社には後でこちらから御礼の連絡をして置きますね」 御礼を言われた清掃少女達は、頬を染めて会社の外に出てきた。そこには彼女が佇んでいた。 「何で助けたのよ」 「のんちゃん……」 偉そうな彼女に紗里がかみついた。 「あなたね、その言い方」 「部外者は黙っていて。私はすずちゃんに聞いているのよ。どうして私に意地悪されているのに、そんなに優しくできるのよ」 すると小花は、ぽつぽつと話し出した。 「だって、同じ仲間じゃない。困っている時はお互い様でしょう?」 掃除少女達もうんと頷いていた。 「バカね……ううう」 のんは鼻をすすりながら語り出した。 「私は何でもできるって人には思われているけど、そんな事はないの。これでも必死にやっているのよ。それなのに、誰も私を……愛してくれないの」 「そりゃそうでしょう?そんな高飛車なあんたを誰が好きになるのよ」 彼女の本音をバッサリ切る紗里に明子も続いた。 「そいつの前では可愛い女の子の振りをしていても、人を見下しているじゃない。誰だって嫌いになるわよ」 明子の言葉に真子も頷いた。 「何を求めて彷徨って知らないけれど、愛されるなんて無理よ」 「ほら、私はひとりぽっちよ?うううう」 さめざめと泣きだした彼女に、小花は掛ける言葉を探していた。 「ううう……だけど愛されたいの。すずちゃんように」 「だったら簡単よ」 そういった紗里は仲間と肩を組んだ。 「実はね。私達も掃除の仕事をバカにされていたのよ。でもいつもすずちゃんのように笑顔で一生懸命頑張っていたら、愛と希望が湧きて来たのよ、ね?みんな」 紗里の言葉に、明子も頷いた。 「そうよ。シンデレラの気持ちになって頑張るのよ」 「明子ちゃんの言う通りよ。あかぎれで白い手に血が滲んだ時だって、笑顔で頑張るのよ」 「笑顔……」 「のんちゃん。あのね。のんちゃんが笑えば、みんなも笑顔になるのよ」 「すずちゃん?……みなさん……うううう」 涙をしくしくと流すのんを囲んだ清掃少女達は、優しく彼女を許してやった。 翌日の夕刻の中央第一営業所の社員は、小花の心配をしていた。 「その意地悪な清掃員の勤務は今日が最終日だろう、なんか仕掛けて来ないかな」 「姫野さんは心配し過ぎですわ。のんちゃんは涙を流して私達に謝っていたんですもの」 そういってゴミを回収する小花が心配でたまらない姫野は、すくと立ち上がった。 「鈴子。今夜は俺の家に泊れ」 「……おい。こんな部下のセリフを聞いた俺は、何て言えばいいんだ?」 「さあ?私もどうしていいかわかりません」 「度を越しすぎですよ?まったく……」 その時、営業所のドアがノックされ、誰かが入ってきた。 「失礼します。あ、すずちゃん。昨日はありがとう」 「のんちゃん?あ、それはどうも」 スーツ姿の彼女はつかつかと小花の元にやってきた。 「仕事中に失礼します。ねえ、すずちゃん。エクセレントに来ない?今よりもずっと待遇が良いのよ」 「のんちゃん。私は行かないわ」 一同が驚く中、彼女は続けた。 「なぜ?うちの会社はあなたを高く評価しているのよ?同じ仕事をするんだったら高収入の方がいいでしょう?」 「私はここがいいの」 「こんな古ビルを掃除したって何になるの?いくら綺麗にしてもキリがないじゃないの」 そういってのんは部屋を見渡した。小花はつぶやくように話した。 「確かにいくらお掃除しても、建物が古いから綺麗にならないわ。でもね、ここの人はこのビルを大切にしているの。だから私も精いっぱい綺麗にしたいの」 「……綺麗にして何になるのよ?どうせ明日には汚れるのに」 「汚れたのは皆さんがお仕事をした証拠だもの。だから嬉しいのよ」 「嬉しい?……」 「そうよ。それに私はのんちゃんみたく頭が良いわけじゃないから、せめてお掃除でお役に立ちたいの」 「鈴子……お前って奴は」 「小花ちゃん……」 この会話に黙っていられなかった姫野と風間は、一緒に彼女を抱きしめた。 「郷さんと云ったね。そう言うわけだ。彼女の事は諦めてくれ」 「そうだよ。これ以上は俺達が許さないからね」 「フフフフフ……ハーハハハッハ……やっぱり最高だわ、すずちゃんは」 そういってのんは、ビビっていた石原の肩をトンと叩いた。 「おじさん達。私はただ、すずちゃんと掃除の仕事がしたかっただけよ。だってワールドにいても別々に派遣されてしまうんですもの。だからエクセレントに転職したのよ」 「のんちゃん……」 「ところで。姫野さんと風間さんでしたっけ?私の大切なすずちゃんを傷つけるような事をしたら、どうなるか分かっているのでしょうね?」 「君の心配する話じゃない。俺は彼女を愛しているから」 「俺はそんな先輩から彼女を守っているんで、ご心配なく」 「そっか……じゃ、すずちゃん。邪魔をして悪かったわね」 そう言ってクルリと背を向けたのんに、小花は声を掛けた。 「のんちゃん!私、今度逢うまでにもっと、お掃除の勉強していますわ……」 「もちろんよ。ライバルのすずちゃんにだけは負けたくないもの?フフフ、またね」 そういって彼女は決めポ―ズをキラーンと決めて、出て行った。 これに一同はホッとしたが、姫野だけは違っていた。 「鈴子。やはり今夜は一緒にいよう。あの女は何を考えているのか分からんぞ」 「……一緒って。うちに泊まると言う事ですか?」 「先輩!何をほざいているんですか!そうだ?小花ちゃん、家においでよ。母さんが逢いたいって言っていたんだ」 「お二人は、今夜は宿直当番ですけど。あ?うちに来る?伊吹が逢いたいって」 「ダメだダメダメ!もっともダメだ。伊吹君の勉強の邪魔だ」 「鈴子はどこに行けばいいのですか?」 「弱ったな。そうだ!一緒に会社に泊まろうよ!それなら俺も先輩もいるし」 「よーし決まりだ。俺は鈴子と宿直室に寝るから、もう一人の当番とお前は寝ずの番をしろ」 「はあ……お前らな。本気で言ってるんだよな、それは」 石原はそういって立ち上がると、窓の外を眺めた。 背後ではあーでもない、こーでもないと、部下が騒いでいた。 「さ、お姉ちゃん。俺が送るから、帰ろうぜ」 「は、はい。お世話になります」 背後ではまだあーでもない、こーでもないと部下が煩かったが、石原は帰り支度を整えた。 ……夏山を大事にしている人がいるってか。まったく。言われた方は頑張らないとな。 夕暮の札幌はオレンジ色。強い風は夜の訪れを知らせていた。 古い会社、古いビル。勤める者もまた古く、その伝統を守っていた。 汚れは仕事の証。建物の古さは年輪のように歴史を物語っていた。 それを教えてくれた天使と会社を出た彼は半そでシャツでは肌寒かった。 しかし、心は温かかった。 完 *一心同体掃除隊シリーズ①
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