120 洋子あらわる

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120 洋子あらわる

「おはようございます!え?小花さんて、もう来てるの?」 「おはよう洋子ちゃん。今日もよろしくね」 松田の車に便乗させてもらっていた洋子はもう掃除を終えた小花に驚いた。 「早いうちに済ませないと、みんな来てしまうから。おはようございます」 「おはよう。洋子ちゃんもおはよう」 爽やかに入ってきた姫野に洋子も挨拶を交わした。今朝の洋子は母に用意してもらった白いブラウスに紺のタイトスカートを穿いていた。 「ところで鈴子。夕べのコロッケだがな。あれは本当に美味かったぞ」 「褒めていただいて嬉しいですけど。もうございませんわ」 「あんなに合ったのに?」 「今朝、ご近所さんに分けてしまいまして。材料のジャガイモがゼロになりました」 「くそ……。じゃあ。イモが有ればいいのか?」 「揚げ物は当分お休みですわ。お掃除が大変なんですもの」 「ううう。まだ食べたかったのに……」 姫野は不要の紙をぐしゃとひねりつぶしたのを洋子はじっと見ていた。 「はいはい。朝のラブタイムは終ったかしら?洋子ちゃん、今日もお手伝いお願いね?」 「はい!」 その時、遅れて伊吹も部屋に入ってきた。 「みなさんおはようございます。姫野さん、今日も宜しくお願いします」 今日も伊織の服を借りて来た伊吹は大変凛々しい好青年ぶりで、社内の女子社員が一緒に写真を撮って欲しいと頼んでくる人気ぶりだった。 「ああ、今日は昨日よりも件数が多いので覚悟してくれ」 「はい!」 二人は風間や石原を待たずに早々に出かけて行った。 「ふわ……おはよう」 「おはようございます。う。くさい?」 石原の口臭に洋子は顔を背けた。 「洋子ちゃん、窓を開けて!部長……あっちでうがいと、薬飲んで下さい!早く!」 石原を追いだした松田は、部屋に消臭スプレーを撒き、空気を入れ替えた。 「まったく。毒ガスで殺される所だったわ……あ、風間君おはよう」 「おはようございます。洋子ちゃんもおはよう」 「おはようございます」 このゆるゆるで穏やかな風間に一目置いていた洋子はさっと冷たい麦茶を出した。 「洋子ちゃん。私ちょっと総務に入って来るから、留守番お願いね」 「はい!」 「冷たくて美味しいよ。ありがとう、洋子ちゃん」 こんな優しい言葉をすらすら口にする風間だが、洋子には腑に落ちない事があった。 ……男の人はみんな小花さんにデレデレになるのに。この人だけ普通なのはどうしてかしら。 「あれ?俺に変なメールが来てる……英語だからわかんねえな」 「私読めますよ、どれどれ……。これは間違いですね。機械の説明だもの」 「そう?じゃ、無視しよ……。あれ?俺のスマホってどこいったかな」 「今持っているのがスマホですよ」 「そうだね?アハハハ」 ……大丈夫かな。この人。 そして営業所の電話が鳴った。 「嫌だな……洋子ちゃん出てくれない?俺ならいないって言って」 「え?も、もしもし」 『恐れ入りますが、風間さんはお出ででしょうか?』 「申し訳ございません。まだ出社しておりません」 『携帯にもでないんですよ』 「そうですか?運転中かもしれませんので、はい。ごめん下さい……ふう」 「ありがとう!洋子ちゃん。ああ。助かった」 この後風間のスマホが鳴っていたが、洋子もこれを無視した。 そして松田が戻り、風間と石原は出かけて行った。洋子は昨日と同様に事務仕事を手伝い始めた。そんな時、松田の内線が鳴った。 「はい。中央第一の松田です、え?いますけど、お手伝いですか?ああ、それなら出来ますね。分かりました……洋子ちゃん、悪いけど、三階の給湯室に急いで!コーヒーを淹れるのを手伝ってあげて」 行けば分かるから!と言われて洋子は現場へ急いだ。 給湯室ではギャルソンエプロンを付けたやけにカッコいい男の人がコーヒーを淹れていた。 「私は野口と言います。……忙しい所すまないね。急にたくさんのお客様が見えたので、私だけでは大変なので」 「いいえ。ところで何人分ですか?」 「50人。カップはそれです」 「紙コップじゃないんですね。うわ。これは大変だ……」 驚く洋子の首に野口は背後からすっとエプロンを下げた。 「それは普段小花さんが使っているものです。気にしないで使って下さい」 「わっかりました!では戸棚からカップを出しますね」 洋子は野口の指示通りに用意をし、会議室へ運んだ。熱いコーヒーを中学生に扱わせるわけにはいかないと、配るのは彼が行った。 「はあ……助かりました。さあ。こちらへどうぞ」 とりあえずコ―ヒーを出し切った野口は、洋子を秘書室に連れてきた。 「お疲れさんです!君も、ありがとうな!」 「まったく。人に気も知らないで……こんなにお客さんを連れてくるなんて」 「仕方がないでしょ?社長が言い出したんだから。あ。君!洋子ちゃんだっけ。こっちに座りなよ。休め、休め!」 のんきな西條は目をキラキラさせて洋子をソファに座らせた。 「アーモンドチョコ食べる?ほら!」 「……洋子さん、すみませんね。うるさいでしょう」 野口はそういって洋子にコーヒーを出してくれた。 「いただきます……美味しい?酸味が無くて、甘い香り……」 「ほお。若いのに、この味が分かるのですか?嬉しいですね」 初めて見せた野口の笑顔に、洋子は眉を上げた。 「うん。美味しい……これは豆じゃない……水だわ。美味しい水ですね」 「おっと?洋子さん。それ以上はダメですよ……私を困らせないで下さいね」 そういって野口は洋子に頬をつんと触った。 そして会議が終った頃、秘書の二人は忙しそうだったので、洋子はカップを洗い戸棚に戻すまでの仕事をした。 「野口さん。終ったので私、戻ります」 「本当に助かりました。ありがとう」 「サンキューな!」 イケメン秘書に御礼を言われた洋子は、中央第一に戻ったが、このままお昼にしようと松田に言われた。昨日は松田と中央第一営業所でお弁当を食べたが、みんなと仲良くなるために今日は小花と一緒に休憩室で食事をした。 「へえ。高校受験って大変なのね。で、あんたは勉強を諦めて、こういう社会体験やスポーツの成績で入ろうって魂胆なんだ?」 「魂胆は失礼ですよ?良子部長。今は一芸に秀でている人って優遇されるんですから」 蘭に言われた良子はふーんと話を聞き流していた。 「そうですよ。スポーツの成績だって、成績の一つだもの。武器として堂々とアピールしていいですよ」 美紀の加勢に洋子は思わず口角を上げた。 「若いっていいわね。あ、そうだ?一緒に来ている伊吹君だっけ?洋子ちゃんって彼女なの?」 「違いますね。そんなんじゃありませんよ」 「……あっさりしているわね。面白くないわ」 中学生にそんな事を言う良子に、女子社員達は片思いの彼との進行状況を質問攻めにし、彼女を懲らしめた。 そして午後。 中央第一で大した仕事のない洋子は暇を持て余していたのに、お客さんがやって来たので松田は彼女に5階の立ち入り禁止の部屋に行くように言った。 「失礼します……あれ?」 そこでは吉田と小花が崩れるように眠っていた。 「私も早起きしたから眠いな?ふわぁ……」 洋子も座布団を集めて来て、ここで昼寝をした。 そして14時頃。 内線の音に洋子は目を覚ました。 「……小花さん、吉田さん!もう仕方ないな、もしもし」 電話の主は野口で社長を捜して欲しいと伝えてくれと言っていた。 「二人とも!起きて下さい、ほら!社長を捜すんですよ!」 揺すって起こした洋子に、吉田が一緒に来てくれと腕を取った。 「……いいかい。ここに奴がいるんだけど。一瞬で入るからね」 サッと開けたシャフト室の奥には、ちょこんと布団が敷いてあった。 「ほれ!起きろ、こら!」 「むにゃむにゃ……」 布団と捲っても慎也は起きなかった。すると洋子は慎也の右耳下の首に手をすっと当てた。 「うーん……」 「起きてください」 「今何時……君、だあれ」 いつもよりも早く目が覚めた慎也に吉田は驚いた。 「こうすると、目覚めもいいんです。あの、私戻りますね」 洋子は中央第一に戻ってきた。そして簡単に雑務をこなすと、松田に言われて夕方を待たずに家に帰った。 そして最終日。 配送の担当者が医薬品の入ったダンボールを倒し中身を壊してしまったので、これの選別作業を手伝いや小花の掃除を手伝い時間をつぶして行った。 この夜は打ちあげの食事会だったので、洋子もこれを楽しみに会場へやってきた。 「え?野口さんも来てくれたんですか」 「せっかくですので」 珍しい参加者の目的は腕の中の小花であると見抜いていた姫野は、眉をひそめたが、これも相手は見抜いているので、互いは笑って澄ましていた。 「夏山愛生堂にはーー?」 愛がある!と乾杯を決めた彼らは食事を始めた。 「洋子さんのお父さんはカナダ人ですか」 「そうです。日本語が分からないから大変なんですよ」 「だから君は若いのにしっかりしているんですね」 野口に褒められた洋子は珍しく頬を染めた。 やがて野口と姫野は元々仲が良いので二人は話しに花を咲かせて行き、洋子の隣には風間が来た。 「……洋子ちゃん。お疲れ様。これウーロン茶だよ」 「ありがとうございます。あのですね、風間さん、最後に一つ訊いてもいいですか」 「なに?」 「……小花さんって、優しくて美人で可愛らしいですよね。だから男の人が夢中になるのは私もわかりますけど、風間さんだけ、違いますよね」 小花と嬉しそうに話をしている伊吹を見て、洋子は焼き鳥をかじった。 「違うといえば、違うのかな……俺はね。まず、小花ちゃんに認めてもらうために、姫野先輩をけちょんけちょんにしてやろうと思っているんだ」 「ぶっ倒そうとしているんですね!なるほど」 「そう!俺の椅子にしてやろうと思っているんだ。だから今はそれを頑張っているわけだよ」 野口と楽しそうに笑う姫野をみながら洋子はまた焼き鳥をかじった。 「だから小花さんにデレデレしないんですね」 「嫌われたら嫌だもの。それに今の俺って、かなり信用されているからそれも嬉しいんだよ」 「確かに。みんなギラギラしていたら、小花さん、可哀想ですもんね……。私、今回、夏山ビルで色んな人とお仕事しましたけど、風間さんが男として一番立派ですよ」 中学生に褒められた風間は嬉しそうに片膝を立てた。 「そうでしょ?分かってくれた?俺ずっとそう思っていたんだけど、誰も分かってくれなくてさ、洋子ちゃんだけだよ?……アハハ」 そういって二人はグラスをカチンと当てた。 「でも、そろそろ……お開きかな」 石原も腕時計を見ていた時、伊吹が立ち上がった。 「待って下さい!僕は勉強した成果をここでお披露目したいと思います、早く、小花さん」 御座敷の部屋の正面に、なぜか伊吹と小花が手を繋いで立った。 「せーの、伊吹と?」 「小花の!」 「「ショートコント!」」 「ぶ!?」 嬉々としている二人に姫野は頭を抱えていたが、訳の分からない野口はキョロキョロしてた。 「伊吹君、お手紙に封をしたいのだけど、貼るものはないかしら?」 封筒を持った小花は、伊吹に訊ねた。 「はるもの、はるもの……はい、これで!」 「これは湿布ですわ!これではありません!」 「はるもの、はるもの……はい、これ……」 「これは口紅よ」 「うん、母さんが毎年春に買う新色だよ」 「……これは春もの。違います?このはるものではありません」 「ギャハハハ」 「へえ?小花ちゃん、上手になってるし」 小花の突っ込みに石原は笑い、風間は感心していた。 「さあ!しまっていこー!」 「声を張ってもダメです」 伊吹は自分の頬をバンバンと叩いた。 「顔を張ってもダメダメですの!」 「フフフ」 「ね。松田さん、小花ちゃん上手になっているでしょ?ハハハ」 そしてコントは落ちへと向かって行った。 「伊吹君、私はこの封筒を綺麗に閉じたいの」 「綺麗に?夏山愛生堂を綺麗にしているのは……小花さんじゃないですか?」 「「ちょっと待った―」」 まだ告白していないのに、姫野と風間はコントにストップを掛けた。 「これは何だよ、姫野?」 「お待ちください、決着付けて来ますので」 不安げな野口に青いオーラを輝かせた姫野はそういって立ち上がり小花に向かった。 「……おい。松田?今日は誰が部屋を暗くする係りなんだ?俺は知らないぞ?」 「私も聞いていないです。あの子、一体何を考えているのかしら」 そんな大人の心配をよそに伊吹はガンガン飛ばして行った。 「小花さん!いつもありがとうございます。これからもずっとそのままの小花さんでいてください」 「小花ちゃん。最近の先輩は調子に乗っているから、今日だけは俺を選んでください!」 「鈴子。これで終りにしよう」 「伊吹君、風間さん、姫野さんまで……」 一人からの感謝の言葉と二人からの愛の告白を受けて困っている彼女に三人はそっと手を伸ばした。 「あ?暗くなった?」 そしてパッと明るくなった部屋に、さっきまでいなかった人物が立っていた。 「ハーイ!小花!」 「ミスターバーマン?ナイスミーチュー!」 再開した二人は嬉しそうに手を握り、英語で話し始めた。この会話を洋子が同時通訳始めた。 「……えー。小花さん、先日の脱出ゲームは大変エキサイティングで、スリリングでした……私もとても楽しかったです。それにまたお目にかかれて……嬉しいです」 今度は小花の話を同時通訳して行った。 「それは私も同じですわ……バーマンさんは犠牲になって私達を助けてくれました、これはとても勇気のある事で……感動しましたわ、です」 小花語で通訳した洋子に一同は拍手をし、コントは終了となった。 「……まったく伊吹ったら。バーマンさんが来るならそう言ってよ」 「ハハハ。でも楽しかったでしょう?」 「……姫野達の食事会って、いつもこうなのかい?」 「野口さん、その通りです」 洋子は父が小花と楽しそうに話をしているのを見ながらスイーツのプリンを食べていた。そんな洋子に風間はつぶやいた。 「俺のもあげるよ。はい、どうぞ。お父さんと小花ちゃんて仲良しなんだね」 「小花さんは誰とでも仲良くなる人ですもの。でも私も負けませんよ」 「ん?小花ちゃんと勝負するの?」 「……フッフフ。風間さんも姫野さんを越えようとしているんでしょう?だから私は、スポーツで小花さんと勝負したいと思います」 「えー?でも俺は小花ちゃんの応援だよ」 「構いませんよ。これからは洋子の本気をぶつけていきます。だって小花さんが好きなんですもの」 「そ、か」 美味しそうにプリンを食べている洋子に風間は微笑んで、石原の分も持って来た。 時計は8時。上司や仲間はまだ騒がしく話をしていた。 ススキノプリンスは愛しい彼女と、そのライバルのために今宵の宴をお開きにしようと、静に立ち上がった。 ……本気か。俺も頑張ろう。 そして密やかに会計を済ませた風間は玄関の外をみつめた。夏の終わりの風はどこか寒そうで、どこか穏やかで、どこか優しかった。 完
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