121 恋ゴルフ 3

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121 恋ゴルフ 3

「あの顔、会社の人に何か云われなかった?」 「ああ。あれ?評判になりました」 「ううう。ごめんなさい」  打席に立つ慎也に指導しながら、菜々子は手を合わせた。 「俺の顔にビンタを喰らわせた女の顔を見てみたいと言ってました」 「仕事に差し支えなかった?」 「まあ、大事な会議でしたが。あの顔のおかげで他の企業の方に顔を憶えて頂きましたよ。それよりもフォームを見て下さいよ」 パ――――ン! 「脇を締めて、頭はこのまま……」 パコーーン! 「お!今のいい感じ。よし、菜々子先生。休憩にしましょうよ。そうだ。お茶でも飲みながら打ち合わせをしましょう」 「わかったわ。こちらへどうぞ」 二人は練習場内のレストランへやって来た。 「ところで。菜々子先生って、向井君は平気なんですか?」  うんと菜々子は頷いた。 「彼は小柄で童顔だから。あんまり怖くないの」  店の片隅の席の慎也は、腕を組んだ。 「野村君は?」 「彼は体育会系でしょう。ああいう乗りは比較的大丈夫なの」  菜々子はストローでウーロン茶を飲んだ。 「で、俺は?」 「実は……」 菜々子は慎也が一番苦手なタイプだと告白した。 「なんかこうグイグイくる感じだし。背も高いし、話をしていても負けちゃうから……」 そういいながら彼女は身体を小さくすぼめた。 「じゃあなんで俺のコーチをしようとしたんですか?」 「だって。慎也君は夏山さんの息子さんで雰囲気が似ているから。私は安心だったのよ」 「親父を知っているんですか」 「そうよ。一緒にゴルフしたもの。物腰の優しいおじ様だったわ。お亡くなりになって本当に寂しいわ」 「そうか。親父を知っていたのか」 「だからあなた達三人なら、大丈夫かなって思って。でも私。慎也君を怒らせてばかりだわ」  そう俯く彼女に彼は眉間のしわを寄せた。 「あのね。菜々子先生。俺は普段から誰にでもこんな感じなの。それにこれはまだそんなに怒って無いレベルですから。いちいち気にしない下さいよ」 「……わかりました。私も言葉に気を付けます」 「いいですよ。気を使わないで。俺も使わないから」 「どういう意味?」 慎也は本音で話をしようと云った。 「本音でぶつからないと信用できないでしょう?俺の事、ヘタならヘタでいいですから。俺もその代わり菜々子さんにキツすぎ、とか。それは無いでしょう、って云いますから」 すると菜々子はうんと頷いた。 「わかったわ。では云わせていただくわね。あの、何か食べない?私ホッとしたらお腹が空いたの」 その顔に微笑んだ慎也はウエイターを呼び、自分もハンバーグプレートを注文した。 「俺も聞きたい事があったんです」 「ポロシャツ?」 「それは後!菜々子さんのお仕事です。ホテルって接客業なのに。若い男が苦手なんてどうしているんですか」 「ああ。それね」 現在は職場に配慮してもらい、宴会時のウエイトレスや昼のフロントにいると話した。 「ゴルフの海外ツアーに参加していたから少しは英会話ができるんだけど。それを生かせるまでに至らないの。それに本当は私、リゾートにあるプリンセスホテルが向いているんだけど、今は札幌のプリンセスホテルの人手が足りないから、ここに配属なのよ」 見た目は仕事がバリバリできそうなクールビューティーの彼女。でも心はガラスのハートの乙女の菜々子に、慎也はおかしくて思わず笑みをこぼした。 「なによ?本音で話せってあなたが云ったのよ」 「ハハハ。いや見た目と随分違うんで。思わず」 「お待たせしました。ハンバーグプレートです」  やっときた夕食に二人はナイフとフォークを取り、食べ始めた。 「お味はいかがかしら?慎也君」 「まあ、まあじゃないかな」 「そう?ふーん。まあ、まあ、ね」 彼女は意味ありげに頷いた。 「ところで。私ってそんなに生意気に見えるかしら」 「突然何を言い出すんですか?」  菜々子はパンをちぎりながら首をひねった。 「ほら慎也君がさっき。見た目とギャップがありすぎって言ったでしょう。私、今まで勝負の世界にいたからどうしても戦いモードになっちゃうの。女の子らしくしたいんだけど」 そう真剣に話す彼女に、慎也は思った。 ……本当にまっすぐなんだな。この人。 「そうは言っても。猫かぶってももたないですよ」 「ひどい……」 「あのですね。俺は何にも知らないのにいきなり社長になって。連日、百戦錬磨の他の社長達と戦っているんですよ。そんな相手にいくら虚勢を張っても、向こうには俺が小者だって見抜いていますからね。カッコなんか付けている余裕は無いですよ」 「じゃあどうすれば」 「別に。今のままの菜々子さんでいいでしょう。完璧な人なんかいないんだし。あ。お冷下さい」 「慎也君て、本当に社長なのね」 自分に目を見張った彼女を慎也は呆れて見た。 「ずっとそう言っているでしょう?まったくみんなで俺をバカにして……くそ。姫野の事を思い出してきた。ね、聞いて下さいよ、菜々子さん。俺の部下の姫野が……」 慎也は姫野がゲームの大会で優勝したので垂れ幕を用意してお祝いしようとしたのに怒られた話をした。 「それはそうよ。だってそれは私的な事だもの」 「他にも提携したアメリカのマサチューセッツ工科大学って、うちの社員は言えないんですよ?」 「あれはアメリカ人にも難しい発音よ。そんな言いにくい大学と提携した慎也君が悪いんじゃないの」 「うるさい。後、これを見て下さいよ。うちのクールビスの写真」 「ゴルフコンペ?」 慎也は首を振った。 「これがクールビスなんだって」 「プ!うちの小林コーチを見て欲しいわ……」 こうして楽しく食事をした慎也は、菜々子とLINEを交換し、次回の練習日を相談するようになった。 そんなある夜。 「あ?あれは」 小林コーチのポロシャツは慎也の好きなサーモンピンクだった。 「あの色って。なんか暗い場所で見ると、裸に見えますね」 向井はそういいながら野村の為に写真を撮った。 「ハハハ。確かにそうだな。それよりも仕事の方はどうだい?」 「おかげ様で。先日乗って来た黒い車はここのお客さんにすぐ売れました」 「すごいな」 「たまたまですよ。それよりも最近、菜々子先生の雰囲気が変わったと思いませんか?なんかこう、丸くなったというか」 「そうかい。まあ、あんなもんでしょ」 何も知らない向井の口から菜々子の変化を聞いた慎也は、くすと笑った。 「それよりもなによりも!ポロシャツだよ」 「そうでした?一体どうして紫からサーモンピンクに」 「わっかんねえよな……あ。菜々子先生」  慎也はやって来た菜々子にポロシャツの色について訊ねた。 「あれはコーチの奥様のコーディネートなのよ。私もこの法則をよく理解できていないけど。今回は紫がだんだんピンクへ移行したパターンでしょうね」 「では菜々子先生は、今後の色を予想できるんですか」  向井は驚き顔で彼女を見た。 「奥様は奇想天外なのよ。もしかしたらサーモンから何か発想される可能性もあるわ」 「サーモンって事は、生き物名ですか」 「ラクダ色とか。ネズミ色とかかな」 「慎也君のそれマジでありそうじゃないですか?やばい野村君に知らせないと」 向井はあわててメッセージを送った。 「そんな事よりも練習です!さ、慎也君打ちましょう」 パカ――ン! 「いいわよ。その調子」 パカーーン! 「腰をもっと入れて。そう」 パコーーン! 「菜々子先生……今のは」 「いい感じですよ」 「楽しいな……ちゃんと当たったら」 その嬉しそうな横顔に菜々子は、ドキとした。 ……どうしてドキドキするの? 自分でもわけのわからない菜々子はこのときめきを必死に隠した。 ……楽しい、か。 一人暮らしのマンションに帰った菜々子はお風呂の中で今日の出来事を振り返った。 ……私が楽しかったのは始めた頃だから、そうか。慎也君は今がそうなんだわ。 湯船で手足を伸ばし、ゆったりとした。 こうして風呂からでた菜々子はスマホのメッセージを確認した。 「慎也君?」 そこには夏山愛生堂のホームページを見て感想を送って欲しいと合った。 「なんなんのよ。まったく」 そう思いながら彼女は検索した。 ……まあ。よくある感じだけど。こんなもんじゃないのかな。 「『ありきたり』と。さ、寝よっと」 彼女は彼に感想を送りベッドに入った。 翌日。夏山愛生堂の慎也は部下に命じてありきたりのホームページを工夫せよと指示していた。 そんな事を知らない菜々子はホテルのフロントにいた。 「いらっしゃいませ。ようこそプリンセスホテルへ」 「時計台に行くにはどうしたらいいんですか」 若い女性の質問に彼女は笑顔で応じた。すると今度は、若い男性が質問して来た。 「白い恋人パークには、どうやっていったら」 ……う。ちょっと苦手な感じ。 しかし彼女は、自分に言い聞かせた。 ……怖くない。怖くない。そうだ、この人を慎也君だと思えばいいわ。 「お待たせしました。こちらの地下鉄をご利用いただくとこうなりますよ」 「助かります、ありがとう」  お客のお褒めの言葉に彼女はぐっと拳を作った。 こうして少しだけ克服していた彼女は、今夜も練習場に行くのが楽しみだった。 「え?ホームページをリニューアルすることにしたの?」 「だって。菜々子さんは『ありきたり』だって送って来たじゃないですか」 「確かに送ったけど。何もそこまでしなくても」  白い球を打つ彼を菜々子は呆れてみていた。 「俺はべストを尽くしたいの。他の会社と一緒じゃ嫌なの!」 「……そんな我儘いって。社員の人も困っているんじゃないの」 「菜々子さんは俺の考えに反対なんですか?」 「そうは言ってないけど。ホームページを見る人って入社を希望している若い人くらいでしょ。見るのは。だからそういう人向けに工夫すれば十分かと」 「それだ!?そうか、そういう発想か……ありがとう!菜々子さん」 そういって慎也は菜々子の頭をポンと叩いた。慎也に取って何気ない仕草であったが、菜々子にとっては刺激的な事だった。 これのせいでしばらく彼女はぼうとしていた。 「菜々子さん、どうしたの」 「あ?慎也君、ごめん。どうぞ続けて」 ……私。どうしちゃったのかな。 カーーーン! 「うわ。ダメだ。どうしても当たんないよ」 「落ち着いて。まずは深呼吸しましょう」 「嫌だ!ガンガン打つ!」 カツーン! ガシ! ボコッ! 「痛?くそ」 「ほらね。そうだ。室内練習場に行きましょう。パターも打ってみようよ。さ。こっちよ」 イライラしている彼の背を彼女はそっと押して室内へ移動した。無意識だったが、彼女が自分から異性に触れたのは初めてだった。 これに気が付かないほど、彼女は慎也が怖くなくなっていた。 夜風のゴルフ練習場は夏の恋を応援するように照明が輝いていた。 完
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