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122 たぶん先生
「えーでは京極。現在のヨーロッパ連合の通貨は?」
「どこの国ですか?」
「EUだよ」
「イーユー?そんな国あったっけ……」
しばらく考え込んだ京極は答えをひねり出した。
「ビットコイン!」
「全然ちがう!では小花君、小花君?」
教師ははっとした顔の小花の教科書を取り上げた。
「何を書いていたんだ?……なになに?懸賞ハガキ?ダメじゃないか?今は授業中だぞ?」
「すみません。締め切りが近くて」
「こういうのはね。早めに出さないと当たりませんよ!」
「そうなんですか?」
「全く……君達はこういう事も知らんのかね」
教師は黒板にすらすらと書きだした。
「京極君。君が懸賞ハガキを集めて、当選者を決める係りになったとするね。すると当選者にプレゼントを送る手配をする事になるのは分かるかな?」
「はい。当たった人に送らないといけないですもんね」
すると教師は二種類の住所と名前を書いた。
「そうだ。その際だね。右に書いたように当選者の住所が異常に長かったり、名前がパソコンで変換しても出てこないような漢字だったら、面倒だと思わないか」
「思いますね。小花もそうだろ」
「はい。嫌ですわ」
「そうだろう?では反対にだ。左に書いたように住所がシンプルで、名前がひら仮名の人物なら、どうだ?」
「そっちの人の方が送るのが簡単ですね」
「だよな。それに加えてだな。小花君、締め切りが月末の金曜日とするよ。その時君は土曜日や日曜日に届いたハガキも確認して当選者を決めなくちゃならないだろう。でももし他の仕事もたくさんあったら、月曜日まで待つのはどうかな」
「面倒ですね。金曜日に届いたもので処理したいですわ、あ?もしかして……」
小花はここで恐ろしい事に気が付いてしまった。
「なした。小花、震えているけど……」
「京極君。では聞くが、締め切りギリギリに届いた住所の長―い、漢字も難しい名前の人物のハガキって、担当者はどうするだろう」
「もしかして?闇に葬られる……」
「し!それ以上言うんじゃない!これはあくまでも先生の私見だからな」
そういって教師は黒板の文字を消した。
「これ以上に、文字が雨に濡れて読めなくなったとか、字が下手すぎるのもダメだろうな」
「では先生!ハガキは綺麗な文字でシンプルに書いて、早目に送った方が良いのですね?」
「良くできました。みんな小花君に拍手!」
褒められた小花は頬を染めていた。その時、キーンコーンカ―ンコーンとチャイムが鳴り授業が終了した。
「ところでお前。何がそんなに欲しいだよ」
「テレビですの」
「無いのかよ」
「壊れてしまったんです」
二人が歩く渡り廊下には夜風が吹いていた。
「最初は買おうと思ったんですけど。無い生活になれてしまって。今では無くても平気なの」
「じゃあお前何を見ているんだよ?」
「FM北海道を聞いているんです。この懸賞もラジオで知ったの」
「はあ……これは姫野先生、知ってんのか?」
「いいえ。だって言っていませんもの。それに最近忙しそうなんですもの。だから懸賞も当たればラッキーくらいなんです」
「そうはいってもな」
テレビを買いに付き合ってもいいが、嫁の手前と姫野の顔をつぶすと思った京極は、一先ず姫野に伝える事にし、この日は話しを終えた。
翌日。授業前に小花は広告を手にしていた。
「やっぱ欲しいんじゃねえかよ」
「だって。見たい番組が始まるんですもの」
彼女の手にした広告にはすでに赤い丸が書いてあった。
「これが欲しいのか」
「はい。今のテレビと同じメーカーなんです。リモコンのボタンが同じの方がいいの」
「年寄りみたいな事言うなよ……ま、値段も手ごろだしな」
「でもですね、持ち帰りできないでしょう?配達になると来週って言われて、明後日のテレビに間に合わないの」
「じゃ、どーすんだよ?」
「今日授業が終わったら、買って、タクシーで持ち帰ろうと思います」
「……先生は出張だしな……」
密かに姫野にSNSでこの件を伝えていたが、あいにく出張先だと返事が来ていた。
「しゃーねーな。明日俺と買いに行くぞ。車だし俺が配線までするから」
「いいの?本当に」
こうして翌日の夕刻。授業の無い二人は電気屋に来ていた。
「これか、よし、小花、値切れ」
「わかりました……すみません。このテレビなんですけど」
中年の店員は愛想よく小花に駆け寄ってきた。
「いらっしゃいませ。こちらですか?」
「はい、私、子供の頃から電化製品は四菱と決めているんです。だから、これが欲しいのですが、もっと安くして欲しいのです。でも大切に使いますから」
「お待ちくださいね……これはお持ち帰りですか?」
「はい。この展示品でもいいです。自分で綺麗に掃除して使いますので」
「アハハ。お待ちくださいね……店長!」
走って店長に確認した店員は、この展示品を破格の値段にしてくれた。
「嬉しいわ、でも、こんなにサービスして頂いて、店員さんは怒られないですか?」
「私の心配を?大丈夫ですよ!またご来店くださいね」
こうして京極の出番無しでテレビを買う事が出来た二人は、軽トラの荷台にテレビを載せて小花家にやってきた。
「あれ、誰かいるわ、風間さん?」
小花の家の駐車場に停まっていた車から風間が下りてきた。
「なんか先輩が手伝って来いって、あ、どうも」
「先生の後輩か、俺、京極っす」
こうして男二人で新しいテレビが小花家にやってきた。
以前から壊れたテレビは、玄関まで運んであったので設置は簡単に進んで行った。
「良し。配線は俺がやるんで、風間さんは映るかどうか見てください」
「オッケー!」
その間、彼女は夕飯の用意をしていた。
……グツグツグツ……。
「くそ……なんだ!このいい匂いは?腹が鳴るじゃねえかよ」
「何だろう……イモかな?」
……ジュワー……
「あいつ……何かを揚げてるな」
油で何かを揚げている音に、京極は気が散って仕方なかった。
「風間さん。映った?」
「あ。ああ、ごめん?そうだね。後は設定か、これは俺がやるか」
そして男二人が仕事を終えた時、キッチンの換気扇も止まりキッチンが静になった。
「お世話になりました!これよかったらどうぞ」
そこには彼女の自慢のコロッケが大量に積んであった。
「……いいのかよ。これ食って」
「手を洗って下さいね。風間さんも、あ、もう行ったのね」
速攻で手を洗った二人は、テーブルに着き、いただきますと箸を持った。
「とりゃー!あ、熱?」
「俺も……ふが?でもウマ!」
京極と風間は競う様に食べて行った。
「由香里さんには許可を取りましたので、遠慮なく食べてくださいね」
「おう!お代わり!味噌汁も」
「俺も!味噌汁にネギ入れて!」
はいはい、と彼女は嬉しそうにお盆に空の茶碗を載せた。
「それにしても。俺、姫野さんしか知らなかったけど、風間さんみたいに頼りになる男もいたんすね」
「俺もびっくりしたよ。ずっと小花ちゃんて学校でどうしているのか不思議だったけど。京極君みたいなしっかりした同級生がいたんだね、安心したよ!」
アハハとすっかり意気投合した二人にお代わりを出した時に、小花の家にピンポーンとチャイムが鳴った。
「今7時でしょう?誰なの小花ちゃん、俺が出ようか」
「待って風間さん。あ、知っている人です」
そういってインターフォンに応じた小花は玄関に急いでいた。
「風間さん。俺、見て来ます」
「俺も行く!」
二人がこっそり玄関に行くと、そこには長身の若者が立っていた。
「……そうですか、知らない車があるので心配してくれたのね、でも大丈夫ですわ、そうだ!待ってね、鉄平君」
そういってリビングに小花が戻って来たので、二人は慌てて席に座った。
「どうしたんだ、小花?」
「知っている人なの?」
「はい。お向かいの家の高校生ですの。知らない車が合ったので、心配してくれたんですね、ええとコロッケ、コロッケ……」
彼女はいそいそとお皿にコロッケを載せると、玄関に戻ったので、京極と風間も玄関に着いて行った。
「今夜のランニングですか?そうね……8時過ぎかしら。いいえ、私一人で平気ですから、鉄平さんのお好きな時間に走って下さい。じゃ、久美さんによろしく……」
そして玄関の鍵を掛けた彼女に立ち聞きしていた事がばれないように二人は澄まして、食事を続けた。
そして食後。彼女がキッチンで食後のデザートを用意している時に、二人はようやく話を始めた。
「さっきの高校生ってさ。もしかしてこの近所で小花ちゃんを守っているのかな」
「ランニングがどうとか言ってもんな。フフフ」
「京極君?」
フフフと笑い出した彼に、風間は首を傾げた。
「すいません、ついおかしくて。だってさ、あいつが守ってくれって頼んだわけじゃないのに……。俺達つい、必死になっちまうじゃないですか?何でかなって思って」
「確かにね。それに姫野先輩もいるのにね」
「俺は嫁さんもいるんですよ?でも嫁も、あいつの力になってやれっていうんですよ」
キッチンからは小花はまな板で何かを切っている音がした。
「何でも一生懸命だよね、小花ちゃんて。俺なんか手を抜く事ばっかり考えているからさ、眩しいって言うか、頑張らないといけないなって思うんだ」
「俺もです。あいつに逢うまでは何でも適当だったんですけど、あいつを見てちゃんとやんなきゃダメなって思って」
「みんなそうなのかもしれないね……」
その時、彼女がパイナップルを切って出してきた。
「どうぞ!食べ頃だと思いますよ。でも、舌が痛くなるなら無理しないで下さいね」
「ハッハハ!俺は平気だよ、小花ちゃん」
「俺も!意味わかんねぇし」
そういって二人は完熟したパイナップルを食べ出した。
「ところで小花?さっきの高校生って何者?」
「高校でバレーボールをしているんです。有名みたいですよ」
「へえ。どういう関係なの」
彼女は彼ら兄弟がナイトランニングのお供だと説明した。
「弟の拳悟さんも一緒に走る事があります。ボクシングの減量は大変なんですよ」
「そうかそうか?……これはあれだね、風間さん」
「ハハハ。そうだね」
学校は京極、会社は姫野と風間。家の近所は高校男子二名が彼女を守っている事を二人は悟った。
「さあ、俺達は帰るか。じゃあな、御馳走さん」
「待って?由香里さんにコロッケを持って行って下さい。風間さんはお父様とお母様に」
慌てて用意している彼女に、二人は微笑んだ。
「おい。小花?姫野先生に残しておかなくていいのかよ?」
「そうだよ?無くなったでしょう」
すると彼女は、首を振った。
「いいんですの。又、作りますので……」
頬を染めた彼女に、京極と風間は天を仰いだ。
そして車に乗り込む時に彼女に見送りしてもらい、二人はここを後にした。
翌朝。
会社で姫野に逢った風間は、昨夜の出来事を報告した。
「ランニングのお供か。久美さんの息子だろう」
「……やっぱり。知っているんですね?京極君もたぶん、先輩は知っているだろういってました」
「まあな」
そういって平気な顔で仕事をしている姫野が風間は不思議だった。
「先輩って、不安じゃないんですか?小花ちゃんて、すごくモテるから」
そして車に乗り込む時に彼女に見送りしてもらい、二人はここを後にした。
「まあ、そうだが。大丈夫だろう?」
「何が?」
「……俺が一番彼女を愛しているからな。他の男には絶対行かせないって、どうした?」
姫野の話を無視した風間は仕事を始めた。
「いや、俺、うっかり忘れてました。先輩を叩きのめすんだっけ……。早く成績を上げないと」
「おい?無理だ?やめとけ?」
「うるさいですよ……首を洗って待っていて下さいよ」
「おはようございます、清掃です。まあ、姫野さん、首が汚れているんですか?」
風間の言葉を姫野は笑みを浮かべた。
「ああ。拭いてもらおうかな」
「小花ちゃん!タワシでよーくこすっていいからね」
「ホホホホ。お任せくださませ。どれどれ」
朝から賑やかな中央第一営業所には朝日が眩しく射していた。
その光は和やかな三人を優しく照らしていた。
完
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