123 影の勇者

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123 影の勇者

「姫野よ。お嬢が毎日違う方向に帰っているのだが、お前この理由を知っているか?」 「……その前にですね。渡部長」 え?とびっくりした顔の渡に、姫野は詰め寄った。 「あなたは鈴子を監視しているのですか」 「ばかな?俺は……ただ、どこへ行くのか見張って」 「それを監視していると言っているのです!ストーカーですよ、それ」 「俺が?お嬢のストーカー?……もっとも忌み嫌うものに己がなり下がっていたとは」 がっかりとうな垂れている渡に、姫野は続けた。 「許せません。俺はここまま鈴子に告げ口します」 「ちがう!?これは誤解だ!頼む……言わないでくれ……」 「先輩。苛め過ぎですよ」 「そうよ。自分もそれに近い事をしているくせに」 「風間に松田……もっと俺を擁護してくれ」 涙眼の渡に姫野は冷たく椅子に座り頬杖を付いた。 「……もういいです時間の無駄なので。それで。彼女の行動を報告してください」 「はい!」 夜7時の中央第一営業所に飛び込んできた渡は、部下である姫野に直立不動で話しだした。ここ三日程、彼女には縁の無いJRでどこかへ行っていると言う。 「うちの社員がこれを見かけております!」 「行き先は?」 「知りませんが」 これに姫野は立ち上った。 「一体何をやっているんですか?あなたはそれで監視をしているつもりですか?もういい!あとはこっちでやります」 せっかく教えに来てくれた渡に逆ギレした姫野を風間と松田は冷たい目でみた。 「ひどいですよ、せっかく渡部長が教えてくれたのに」 「まったく。渡部長、すみません、後で頭から水を掛けておきますので」 こうして渡を逃がした二人をじろりと睨んだ姫野は、仕事を終えた後さっそく小花の自宅へ寄ってみた。しかし不在であったので、これは明日彼女に確認する事にした。 翌朝。 姫野は清掃に来た彼女に遠回しに訊ねてみた。 「鈴子。新しいソフトクリームの店を発見したんだ。会社の帰りに行ってみないか」 「残念ですが、今日は予定がございまして。今度連れて行って下さいね」 「そ、そうか。では明日は」 「明日もダメです……失礼します……」 こうして退出した彼女に中央第一の一同は首を傾げた。 「……おかしいと思いませんか、松田さん」 「ええ。ソフトクリームに食い付かないなんておかしいわ」 「そうだな。お姉ちゃんソフトクリームに食いつかないなんて、今まで無かったぞ……」 風間と松田の話に見解を示した石原は新聞をばさ、と外し一緒に首をかしげていた。これに松田も凝った肩をストレッチした。 「それにしても……なんか、こういつもと違うような気がするのよね……なんだろう」 すると風間は卓上カレンダーを手に取った。 「待ってください。今夜は定時制の授業も無い日だな……これってぜったい小花ちゃんは何かを隠していますよ」 「そうか?また、町内会じゃないのか?」 石原の声に風間はスマホのスケジュールを確認した。 「いいえ。中島公園の首領(ドン)の猪熊さんは今週、旅行に行って北海道にはいませんよ」 「風間はずいぶん仕事が早くなったな……」 風間の成長に石原は目を細めていた時、松田もスマホで確認していた。 「待って下さい……伊吹も心当たり無いそうで、PTA関係も何も頼んでいませんよ」 「えっと。今、俺も確認しました。蘭さん達も心当たりは無いそうですし……京極君も知らないって」 この仕事の速さに石原は感心した。 「風間はその能力を仕事に向ければ天下を取れるのにな」 「プライベートだからこいつは発揮するのでそれは無理です。でも……そうか。わかった。この件、俺が預からせてもらいます」 こうしてこの日の姫野と風間は、やけに手際よく仕事を終え、夕刻会社に戻ってきた。 「ただ今戻りました!松田さん、鈴子は?」 「もう掃除を終えまして、もうすぐ退社です」 「行くぞ!風間!」 「はいはい」 彼女を心配しているという建前で、二人はこっそり彼女の後を付けて行った。 「どこに行くんですかね」 「……JRか、手稲方面だな」 そして札幌駅の一つ隣の駅にやってきた小花は慣れた様子で進んで行った。 「以前、市場に連れて来た事があるが、今時間は営業していないしな」 「先輩。ここじゃないですか?」 小花が入って行ったのは北海道大学病院だった。 「……え?」 絶句して立ち尽くす姫野の頭を風間はチョップした。 「先輩!ねえ!行きましょうよ!ほら、歩け!」 「あ?ああ……」 不安で頭が真っ白になった姫野は風間に連れられて彼女の長い髪を追った。 「こっちです……あ、やっぱりお見舞いだ。ほら」 小花が入っていたのは肛門科の入院病棟だった。 「肛門科……そうか、あの人か」 「心当たりあるんですか?」 「ああ。行ってみよう」 彼らがノックして入った大部屋の窓側には、驚き顔の小花が立っていた。 「まあ?姫野さん。どうしてこちらに?」 「たまたま仕事でここにいて、お前を見かけて声を掛けたんだ、なあ?風間」 「はい、先輩。小花ちゃん、僕らはそういう事です」 「ふん。嘘つきめ。どうせお嬢様の後を付けて来たくせに」 「義堂、そんな風に言ってはなりませんよ。二人は心配をしてくれているのですから」 ベッドには病着の義堂が点滴を受けていた。 「姫野岳人が心配しているのは鈴子様の事で、爺の事は芥子粒(けしつぶ)ほども気にかけてはおりますまい。そう顔に書いておりますゆえ」 「さすが義堂さん?真贋(しんがん)を見極める目をお持ちだ」 「ふん!口の減らない者とはこの事じゃ!」 この二人の会話を聞いていた風間は小花にそっとつぶやいた。 「……なんか爺さん、生き生きしているね」 「そうですね。今まで元気が無かったのですけど。姫野さんが来ていきなりこうなったわ」 義堂の横の椅子に勝手に座った姫野は、彼をぐるりと観察した。 「で、痔ですか。ガンですか?出血したんでしょ」 「アホめ?!本当にガンだったら、どうすんじゃ」 「どうせ腰痛の時に座薬を乱用していたから痔ですよね。手術は終えたんですか」 姫野の言葉が図星の義堂は悔しさを滲ませ、悔しそうに語った。 「何もかも見据えて嫌な奴……そうじゃ、終えた終えた。ガンは無かったわい」 「それはなによりで。ついでに他も検査してもらいましたか?」 「主に言われんでもやったわ!脳ドックも受けたわ!」 すると姫野は義堂の両手を握り、顔をじっと見つめた。 「何すんじゃ?」 ……目が少し白濁しているが、白内障の手術をする程でもないな……。脈も正 常だが、血圧が高いのか?……痩せすぎなのが気になるな……入院中に栄養指導してもらった方がいいかもな。 「姫野殿?」 ……頭はしっかりしている……だが痔の手術の後はどうしても術跡が痛むような気がして食事を控えてしまうからな、これは体重が増えるまで入院させた方がいいな。 「離せ!この」 ……力はあるな。これなら入院が長引いて歩けない、ということはなさそうだ。 「……わかりました。おい、鈴子、義堂さんには体重が増えるまで、もう少し入院をしてもらった方がいいな」 「お医者さまもそう言っていました。ね?義堂。言う事を聞いてね」 「無念じゃ……」 くやしそうにベッドに横たわった義堂に小花はそっと寄り添った。 「もうすぐお夕食ね」 「……あれは食事とは言えませぬ。汁です。それよりもお嬢様。今宵はこれでお帰り下さい。連日のお見舞いでお嬢様もお疲れのはず、爺には看護師がいるので心配無用じゃ」 「でも」 ここで義堂は目を伏せ、胸の上で指を組み瞑想のポーズになった。 「ええと……バブルを知らぬ平成生まれの寵児、姫野岳人、風間諒よ。鈴子お嬢様をどうかお願い申し上げます」 思い出すように話す義堂に姫野は頷いた。 「わかりました。今夜はこれで。さあ、行こう鈴子」 そういって姫野は風間と一緒に鈴子を病院から連れ出した。 この日三人はこの足で食事にやってきた。 風間の案内でやってきた店で、オーダーも風間任せにし、料理が来るのを待っていた。 「そうか。肛門科だったから秘密にしたかったか。しかし、痩せていたな、義堂さんは」 「そうなんですの、一人暮らしなので、食事の支度が面倒なんですね、心配だわ」 「分かった。この件、俺に預からせてくれ」 そういってビールを飲んだ姫野を見た風間は小花に囁いた。 「先輩って何をする気かな」 「無理やり食べ物を口に押し込むつもりかしら」 「人聞き悪いな……それよりも二人に相談があるんだ。海水浴の件だ」 姫野はみんなで海水浴に行こうと話し出した。 「鈴子が行った事が無い、というのでな。連れて行ってやりたんだ」 「そうなんだ?じゃあ、うちの親父の別荘使いますか?小樽の先の蘭島に釣り用の海の家があるんですよ」 「いいのか?鈴子はどうだい?」 「波が荒くないですか?」 「小花ちゃん。本当に海が初めてなんだね。あそこはファミリー向けの海水浴場だから心配ないよ」 「鈴子、以前、島武意海岸に行っただろう。あの海だよ」 父と観に行った海と聞いた彼女は、これに安心した。 「行きたいです。でも爺が元気にならないと」 「大丈夫だ?俺がなんとかすると言っただろう。なあ、それよりも安心した……」 姫野は隣に座っていた小花に寄りかかった。 「どうなさったの」 「小花ちゃん。先輩はソフトクリームを断られたから嫌われたと思って心配したんじゃないの」 「違う。鈴子が病気かと思ったんだ」 そう言って彼は彼女の手をぎゅうと握った。 「鈴子……俺を先に死なせてくれ」 「なんか酔ってるな」 「そうですね。甘えん坊になっていますもの」 「……料理が来るまで、少し寝る」 そういって姫野は彼女の膝に頭を載せて本当に寝てしまった。 「疲れているんですね。あ、お料理が来たわ」 「ほおっておいて先に食べよう!ね、海でやりたい事ないかい?先輩が寝ている内に教えてよ」 やがて15分で目覚めた姫野も楽しく食事をし、この夜も楽しく過ごした。 その翌日。 小花が義堂の見舞いにやって来ると、彼はノートに何やら書いていた。 「あ。お嬢様。助けて下され!」 「どうしたの」 「姫野岳人が午前中にやってきたのです。爺は褒め言葉を用意しておりませんでしたので、慌ててしまいました」 「まあ?仕事中に顔を出したのね」 義堂は頷いた。 「あ(やつ)は『また来る』と申しておったので、次のキャッチコピーを考えておるのです。これはもう嫌がらせじゃ」 困っている義堂に小花は落ち着いて、側に寄り添った。 「そんな事はないわ。忙しいはずだもの」 「……今晩は。どうですか?お加減は」 「え?来たのか?来るなと申したはずじゃ」 不敵な笑みを称えた姫野は、小花の肩をそっと抱いた。 「それで。お昼はちゃんと食べましたか」 「ああ、食べた食べた。早く退院したいのでな」 そして姫野は意地悪く食事の内容を尋ねた。 「デザートはヨーグルトですか。それはどこの製品でしたか」 「どこって。そ、それは」 「正解は四つ葉乳業ですよ。自分の口に入るものは覚えて下さらないと」 姫野の挑発に義堂は必死になった。 「……そ、それは当然じゃ。今回はたまたま見逃しただけじゃ」 「その意気です。さあ、鈴子、褒め言葉をもらって帰ろう」 「くそう。しばし待て……」 ここで義堂は看護師から受け取った「入院の注意」という冊子のメモ欄に走り書きをした自分にしか読めない文字を読んだ。 「ええと……『にっこり微笑む若人、姫野岳人』よ、鈴子様をお頼み申す」 「単純ですね」 「くそ……明日を楽しみにしておれよ」 こうして姫野は嫌がらせのように義堂のお見舞いをし、彼を刺激続けた。 そしていよいよ退院の許可がでた午前中、義堂の元に姫野がやってきた。 「さあ。これでようやく貴殿の顔を見なくて済むわい」 「そうですか。私は習慣になって来たので寂しいですが」 仕事の合間にやってきた姫野は、義堂と二人で話をしていた。 「いやいや。憎まれ口もネタが尽きて空っぽじゃ」 「まだまだです。限界を超えて欲しいですね」 二人は飲み物をすっと飲んだ。 「あなたが元気にならないと鈴子はソフトクリームも食べたく無いと言って、私も困っておりますから」 「やはり姫野殿は鈴子様の事しか考えてござらんの……フフッフ」 「義堂さん?」 「フフフ。それで良い。鈴子様の事だけ考えてくれる勇者を私はずっと待っておったので、ホッとしましたわ……」 そういって義堂はめそめそ泣き出し自分でティシュを取った。 「わ、わしなどは札幌市の足手まといじゃ……だが若い貴殿や鈴子さまに心配をかけぬよう、死ぬまで健康に務めますので……安心なされ」 若者の足手まといになりたくないと義堂は泣いていた。すると姫野はすうと息を吸った。 「……鈴子を守る影の勇者、義堂新之助殿」 「え」 姫野の言葉に義堂は顔を上げた。 「貴殿に命じる!今度もその力を持ち我と供に戦い、我と共に彼女を守れたし!ゆめゆめ油断なさるな」 この言葉に思わず義堂は頭を下げた。 「ははーー。御意にござる……って?どうしてお主が殿さま気分じゃ?」 「ハハハ」 「何がハハハじゃ?姫野殿!爺は貴殿の家来ではございません!鈴子さまの爺ですぞ!勘違いめさるな!!」 「その元気があれば大丈夫ですね、ではこれで」 「……姫野殿」 そういって部屋を出て行こうとした彼を義堂は呼び止めた。 「まだ何か?」 「生命保険の請求までしてくれて感謝しております。私は……体調の回復に努めますゆえ」 姫野一瞬考えた。 「あなたは鈴子にとって大切な人です……また何かあったら御遠慮なく」 すっと頭を下げて退出した姫野を見ていた義堂に、同部屋の若い患者達が話かけてきた。 「あの人。なんか時代劇みたいでカッコ良かったですね」 「俺もそう思った。義堂さんもすごいけど、やっぱりあの人すごいですね」 「じゃろう?すげえ嫌な奴なんじゃが、スーパーヒーローなんじゃ」 まるで自分は褒められた気分の義堂に若者が声かけた。 「けど、義堂さん。今日の決め言葉忘れましたよ。せっかく思いついたんでしょう?」 「ああ?そうだった。言い忘れましたな……ええと」 義堂はボロボロのネタ帳を広げた。 「えーと、『呼ばれて飛び出てジャジャジャーーン!姫野岳人は男前!』だめだ?こりゃ!」 アハハハと彼は同部屋の患者と笑い飛ばした。 「ハハハ。君達には本当に世話になった……ありがとうよ。おかげで楽しい入院じゃったわ。互いに痔を治そうな」 義堂はそういってネタ帳を閉じ、静に布団に横になった。 今日も真夏日の札幌の街。 午前中の回診を終えた病室は冷房が利き、静寂が支配していた。 そんな中で響く義堂の寝息は、安心に包まれていた。 123話「影の勇者」完
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