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125 I want you
「だから!私達が相応しいですよ」
「いや。うちで預からせてくれ!」
「何を言っているんだ!絶対うちに来て貰わないと困るよ」
「欲しい……家はこっちの方なんだろう?だったらうちだ!」
札幌市内の全所長が集まった会議で、彼らは一人の人物を奪い合っていた。
「姫野を呼べ!これじゃ収集着かないぞ!野口、ほら早く!」
「またですか?お待ちください……」
卸センターの大会議室で会議のコーヒーを出していた野口は、会議とは無関係の姫野に電話をした。
すると今は営業先で、ここに来るまで30分はかかると返事だった。野口はこの返事をそのまま社長の慎也に伝えた。
「そうか……まずもう一度落ち着いて話そう。じゃあ、説明を渡さんから」
「はい。ご説明させていただきます。きっかけは自動販売機でございます。これをご覧ください」
そういって渡は資料を配った。
「従来はドリンクメーカーに頼んで社内に自動販売機を設置しておりましたが、社長が以前提案されたので、自動販売機のジュースは社員が補充し、結果的にこの売り上げも夏山愛生堂の実績として計上しておるのです」
「うん、それで?」
「はい。それで『もっと自動販売機も増やしたらいんじゃね?』と言う事でガムや軽食、パンなどの売り上げも計上し、これが結構な額になりました」
「そうだろうね。夏山ビルだけでも結構社員はいるしね」
納得の慎也に渡は続けた。
「はい。さらに『もっと他の商品も増やしたらいんじゃね?』と言う事で……これから先は石原が説明します」
すると石原が老眼鏡を掛けて資料を読みだした。
「えーとですね。夏山ビルの社員は、従来、欲しい薬局商品が合った際は、知り合いのセールスマンに頼んで買ってもらっていた訳ですが、知り合いがいなかったり、互いに忙しいとやりとりが面倒という事がありました」
社員でありながら知り合いがいないと安い価格で薬局商品を買えないという悲劇物語に慎也は頷いた。
「うん。それで?」
「はい。ええとどこまで読んだかな……」
鼻に老眼鏡をかけた石原は上目遣いで応じた。
「ここか。はい!そこで今回、社員用の窓口というか、社内販売のための担当者を定めたのです。この人物に頼めばその日の内に品物が届くようにしたんです。な?渡」
「左様です。価格は原価にマージンを載せておりますが、その辺の薬局で買うよりは安いかな、という程度です。我々は当初、薬局で販売している風邪薬や目薬等の売り上げを想定しておりましたが、資料の裏面をご覧ください」
そこにはとんでもない品数と売り上げ金額が載っていた。
「なんでこんなに売れるの?」
驚く慎也に、渡も頷いた。
「確かに化粧品や、育毛薬が多いですよね。高額なので事務社員にとっては割安なんです」
「それにですね。ドリンク剤などは職場で買うと車で持って帰るのが楽とかで。大人気になってしまいまして」
渡と石原の説明に、慎也は椅子に背持たれた。
「それにしても……売り上げ金額がでかすぎだ」
「それは医療機器の売り上げも大きな要因です。自宅で家族が使用するので介護用品を購入する社員が多数おりまして」
「介護用品か、高額だもんな……」
大企業であるため夏山の社員が実は大きなマーケットだったという事実に驚くと慎也のに札幌西所長が手を挙げた。
「社長。しかも社員が購入しておりますので、当然代金の滞納もありませんし。債権も無いのです」
「この社員の買い物担当者は、このままいくと、うちの姫野を抜いて、社内トップのセールスマンになるな」
石原の声に慎也は驚いた。
「社内トップ?そんなに社員が買っているのか」
この時、北営業所長が手を挙げた。
「社長。この人物はぜひ、うちの営業所の社員扱いをして下さい」
「なぜ北なんだ?」
「この人物の自宅は、北の管轄です」
本社の社員販売の売り上げを営業所の成績に加えたい北所長に、豊平所長が首を振った。
「いやいや?うちに決まっています。社長。この者の出た学校は、豊平の管轄ですので」
「はあ?」
「違う違う!西でお願いします。うちの管轄でよくランニングをしておりますので」
「なんでこうなるの?渡さん説明して!」
困る慎也に渡は額の滝の汗を拭った。
「皆の者、落ち着け!あのですね」
渡は話始めた。
「あのですね。この者を自分の営業所の扱いにすれば、おのずと売り上げもその営業所に着きます。なので売り上げや利益が低い営業所にとっては、楽して売り上げが上がる絶好のチャンスですので、喉から手が出るほど欲しい、というわけです」
「喉から手が出るほど?そうか、喉から手が出るほどか……うーん困ったな」
このまま話をしても決着がつかないと見た秘書の野口は、ここで昼食タイムを入れた。
本日は卸センターからお弁当を配達してもらった札幌の所長達はこの会議室で食べていたが、慎也は自分がいては悪口も言えないと考慮しここを退席し、秘書室にて一人で食べていた。
……コンコン……
「どうぞ」
「失礼します、あ、ごめんなさい」
慎也がいると思わなかった小花はドアを閉めようとした。
「掃除さん。いいんだよ。もう食べ終わったから、それよりも掃除を頼むよ」
今日の小花は、青色の三角巾を頭に覆い、少し風邪気味なので大きなマスクをしていた。
……この恰好なら大丈夫かしら。
「では、あの。その御膳を下げますね」
「ああ。ありがとう」
慎也の前にあった御膳を廊下に出した小花は、ゴミだけ回収して帰ろうと思っていた。
「あれ?コーヒーがでない?」
「まあ。私がお淹れしますわ」
野口が用意しておいたコーヒーのポットの出し方が分からない慎也を見かねて、小花はカップに注いでやった。
「熱そうですね、ミルクとお砂糖はいかがなされます?」
「ブラックでいいんだ。ありがとう」
慎也の前に置いたカップからは湯気が上っていた。
……さあ、そろそろ行かないと……。
「あのさ。清掃員さんに聞きたい事があるんだけど」
ソファに腰掛けていた慎也は背を向けたまま、小花にポツと話しだした。
「な、なんでしょうか?」
「君ってさ、一人で暮しているんでしょう?姫野に聞いたんだけど……その、寂しくないのかなって」
自分を妹と知らずに話している兄の背がどこか悲しそうだったので、彼女はつい本音をこぼした。
「最初はそうでしたけど。今はここのお仕事と、色んな事が起きるので……寂しい時間が減りましたわ。あの、社長はいかがですか?その、お一人でお住いとか」
「ああ。俺も一人。でもさ、本当は家族がいるんだ」
……え?
「ちょうど君と同じ位の年の妹がいるんだよ。でもさ、訳があって今はいないんだ」
「そうでしたか……」
しんみりした部屋には時計がコチコチ動く音が響いていた。
「妹をずっと捜しているんだけど、見つからなくてさ……俺、嫌われているのかなって、落ち込んでいるんだ」
……お兄さまは、ご自分を責めているのね。
兄に追い出された小花と母はその後苦労し、母は病気で亡くなっている。これを兄のせいにして恨んだ時期もあるが、兄を見守り迷惑を掛けずに暮らして行くという母と交わした約束を彼女は守っていた。
これは意地でもあったが、この夏の日々、清掃員として兄と接しているうちに優しい人柄を知り、兄にも幸せになって欲しいと妹として心から願うようになっていた。
「妹さんには……何か深い事情があるのかもしれませんよ」
「え?」
「それに……困った事があれば、『お兄さま』を頼るはずですわ。きっと幸せなんですよ……妹さんは」
「……あのさ、今、何て言った?」
「え?深い事情」
しかし。慎也は目を伏せた。
「その後」
「困った事?」
「その次!」
「……頼るはず」
「何でそこを飛ばすんだよ?……頼るはず、の前だ……もう一度言って?」
そう言ってカップをテーブルに置いた慎也は、小花に振り向いた。真剣な顔だった。
「えーと………あの、その、私……困ります」
「ダメ、言って」
立ち上がり迫って来る慎也に、小花はじりじりと壁に下がって行った。
「ごめんなさい!私、失礼します」
「頼む……もう一度、今の言葉が訊きたいんだ。言ってくれ」
あまりに真剣な兄の顔を見て、彼がいかに己を責めているのかが伝わってきた小花は、その悲痛な思いに触れて、涙がこぼれて来た。
「ご自身をそんなに責めないでください……」
「君……泣いているの?どうして」
彼女の泣き顔に慎也は思わず細い両腕を掴んだ。
「……顔が怖いのですが……」
「ごめん!でも、君が悪いんだよ?お兄さまって言ってくれないんだもの」
「ううう……」
むせび泣く彼女を、慎也は気が付けば頭をなでていた。
「俺のために……泣いてくれているの」
「すみません……取り乱して」
こんなタイミングで、野口が部屋に入ってきた。
「社長?!何をしているんですか?小花さん?大丈夫ですか」
「……大丈夫です。あの、社長は悪くないのです、私が……勝手に泣いただけで」
「清掃員さん……」
悲しそうな顔の慎也に、小花の胸がズキと痛んだ。
……お母様。お兄さまは私達の事を忘れて無かったわ。
小花の涙はいつしかうれし涙になっていた。
「野口さん。本当です。私これで失礼しますわ。あの……」
涙を拭った小花は、兄をすっと見上げた。
「『お兄さま』。頑張ってくださいませ……では、失礼します」
そう言って退室した小花の背が、慎也の眼にはいつまでも焼き付いて離れなかった。
「……社長?社長!!こら!おい、社長ってば、うわあ」
「え?あ、何ですか?石原さん」
午後の会議が始まっているのに、慎也は先ほどの小花との出来事が頭から離れなかった。
「姫野が到着したので。先ほどの件の続きを始めます、では姫野。これを何とかしてくれや」
まったく関係無いのに呼び出された姫野は、この件を承知していたようで解決策をすらすら言いだした。
「最初に申し上げます。この社員販売のやり方は見直しするべきです」
「なんでだ?わが社の売り上げに貢献しているんだぞ?」
「いいですか?よーく考えてください」
本来は夏山愛生堂の得意先の薬局で買っていた社員が、直接夏山で買い求めるのは、薬局の売り上げに響くと彼は説いた。
「自動販売機はともかく。こんなアメゾンを利用するかのように気軽に買い物をされたら非常に迷惑だと相崎課長本人から聞いております」
「おい、姫野。その相崎課長って言うのは誰なんだ?データには夏山太郎になっているぞ」
「財務部の課長ですよ。ご存じなかったんですか」
元々自動販売機の管理をしていたせいで今回このゴーストセールスマンをしていた経理の相崎は、自分の業務に支障が出て来たので、密かに姫野に相談をしていたのだった。
「じゃあ。見直しというのは」
「何でもよいというのは虫が良すぎます。ですので購入できる商品をしぼりましょう」
そういって姫野は説明を始めた。
彼の案は、薬局で人気の薄い品や消費期限が近い品目を社員に勧め、これ以外は、地元の薬局等を利用するように社員に促すべきと話した。
「大手国産車会社でも社内販売がありますが、色は選べない等の悲しい制約があると聞きます。わが社も手こずっている商品を社員に販売すべきです」
「なるほど……そうするとして、その相崎君はどこの営業所扱いにするのかね?今は『その他』扱いなんだろう」
「いつまでも『その他』ですと、相崎課長の奪い合いが絶えませんので。これは中央第二に所属でいかがですか?渡部長」
「うちに?売り上げポイントになるので歓迎だが……なぜだ?俺が好きだからか?」
姫野はこれに首を振った。
「中央第二の事務所前に自動販売機がありますよね。この補充をして中央第二の社員に欲しいからです。相崎課長は本当にお困りなんですよ」
他の所長達は、相崎が欲しくて仕方なかったが、商品を絞る事を聞くと面倒臭くなってきて、彼は中央第二に所属する事で合意した。
「しかし、いいのか?中央第一でも良い気がするが」
慎也の声にお茶を一口飲んだ姫野が、ふうと息を吐いた。
「不要です。うちはもう売り上げは十分ですので面倒が増えるだけで」
「聞いたか諸君。あいつの大口を」
他の所長は憎々し気に姫野を見た。
「ああ……憎らしいが、返す言葉が見つからない……」
「くそぅ……言い返せない自分が口惜しい」
こうしてゴーストセールスマン相崎課長の奪い合いは決着が付き、姫野は会議室を後にしようとした。
「待て姫野。10分だけ俺にくれ、こっちだ……」
そういって慎也は会議室の廊下で誰もいない事を確認してから彼を向いた。
「あのな。俺、あの清掃員さんが欲しいんだ」
「……は?」
「だ・か・ら。お前の彼女の小花さんだっけ?彼女が欲しいんだよ」
あっけらかんと話す慎也を姫野は笑い飛ばした。
「いやいや……ご冗談ですよね?」
「本気だよ。欲しいんだ」
すると姫野は真顔で慎也を壁ドンをした。
「……今までお世話になりました」
「わけわかんないし?俺はね、彼女を正社員に欲しいんだよ。あんなに一生懸命、うちのビルを掃除してくれるんだもの。なあ、どうだろう」
慎也の目を見た姫野は、彼の真意がつかめずにいたが、ありのままを説明した。
「彼女は定時制に通う高校生ですので、中卒になります。それに派遣社員を直接雇用するのはマナー違反になりますので、今の時点では彼女を雇用するのは困難ですね」
……よし!これで諦めるだろう。
ほくほくの姫野であったが慎也は真顔で超えてきた。
「じゃあ彼女に今の会社を辞めてもらってさ。バイトで雇えばいいんだな?まあ準社員から始めれば問題ないだろう」
「あの……なぜそこまで彼女の事を?」
「よくわからないんだけど……なんかいるだけで明るくなるというか、みんなが元気になるような感じがあってさ」
女性にはあまり興味のない慎也がずいぶん固執しているのが気になるが、今の姫野には時間が無かった。
「内容は分かりました。この件は後日改めて考えましょう。では自分はこれで」
「ああ」
姫野が去った廊下にポツンと立っていた慎也は大きく息を吸うと、また会議室へと戻って行った。
廊下の大きな窓からふと外の景色を見ると、卸センターの若い女子清掃員達が集まりホウキを持って車道を清掃していた。
草をむしったり、ゴミを拾ったり、花壇の花に水をあげたりと外の作業を楽しそうにしている彼女達の様子を慎也はじっと見ていた。
……でも一番可愛いのは、やっぱり小花さんだ……うん。決めた。
昼下がりの所長会議。気の乗らない会議であったが、慎也は口笛を吹き部屋に向かった。
夏の卸センターの清掃女史達のおしゃべり清掃作業はそれは楽しそうで、通り過ぎる車も手を振っていた。
そんな彼女達のお掃除は、慎也の心の中のもやもやも拭き取っていた。
125話「Iwantyou」完
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