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128 君は薔薇より美しい 無差別級
「おはようございます、先輩、最近早いですね」
「まあな。売り上げが厳しいからな」
北の大地、帯広営業所。先に出社していた黒沼に、織田は口角を上げた。
そして二人は、書類に目を通し、得意先へと車を走らせた。広大な大地の道を彼らは車を走らせていた。
「……そういえば黒沼さん。俺。部長に云われたんですが、新人戦ってなんですか」
「そうか。そんな時期か。お前達新人営業マンの九月の一か月の売り上げや成績を競うものだ」
「俺は、まだまだですよね」
「ばかやろう?俺が付いているんだぞ?まあ、見ていろよ」
得意先の病院に到着した黒沼は、後輩の織田と降りた。
「ちなみに。黒沼さんの時はどうったんですか」
「俺の新人戦か。同期に嫌―な奴がいてな。まあ、今も嫌な奴だけど。そいつのせいで万年二位だよ」
この話でこの嫌な奴が黒沼を苦しめている札幌にいる姫野岳人だと織田は悟った。
「じゃあ、俺のライバルは風間か?なるほど」
「大丈夫だ手は打ってある。俺達であの二人をとことん叩きのめそう、すみません、夏山愛生堂です」
二人は広いエリアの帯広地域の病院を営業で回った。
夏山愛生堂には多くの営業マンがいるが、黒沼省吾は三本指に入る男だ。
身長180センチの長身で小顔。うっすらと日焼けした肌に大きな瞳。ストイックに鍛えられた身体。これに大人の雰囲気を漂わせるセクシーな渋い声と甘いマスクが多くの女性を魅了していた。
彼の後輩の織田勇人は今年入った新人で身長は177センチ。悪戯そうな顔つきだが真面目な性格。
しかし、興奮するとハイテンションになるので、周囲の人にモノマネされていた。
このコンビは、夏山イケメンコンビとして帯広の街では有名だった。
そして仕事を終えた二人は、帯広営業所に戻った時、所長に会議室に呼ばれた。
「俺達に、合コンですか?」
「ああ。これは街おこしなんだ……」
帯広所長の水前寺の話によれば、これは市の政策であり、少子高齢化対策の事業ということだった。若い黒沼と織田もこれに参加し、会を盛り上げてほしいと所長は話をした。
「私の妻もボランティアで世話人をしているんだが、どうだろう。無理にとは言わないが」
社員に訴えられたくない上司は、仕事と親切のギリギリの線で、部下に声を掛けた。
「……参加するだけでなら」
「黒沼さんがそういうなら。俺も出ます」
こうして二人は参加する事になった。
帯広プリンセスホテルのパーティー形式の立食の食事会。40歳未満の未婚の男女が集い、賑わっていた。
黒沼は壁の花になりたくてそっと隅でノンアルコールビールを飲んでいた。
「あの……お話しいいですか?」
……若い女性。デコルテを強調した夏のワンピース。派手なネイル、香水……でも断るのも悪いか?
「いいですよ。今夜は賑やかですね」
嬉しそうに微笑む女性を伴い、黒沼は他の参加者のいる会場の真ん中へ移動した。
「お仕事は何をしてるんですか?」
「営業ですよ」
本当はここから話を盛り上げていかないといけないのは彼もよーくわかっていたが、気の乗らない相手にエンジンが掛からなかった。
「私は普段は……」
懸命に話をしてくれる彼女にうんうんと頷く彼だったが、心はどこかフェイドアウトしていた。
そして飲み物を取りに行くふりをして彼女から逃れた。そこには真面目そうな男性が水割りを飲んでいた。
「ど、どうも」
「こちらこそ」
この気の弱そうな男性は、黒沼に話しかけて来た。
「いいですね。そうやって話かけることが出来て。自分は女性と話なんかしたこと無いので」
「営業の仕事をしていますで」
「ちょっと黒沼君!」
すると黒沼を誰かがぐっと掴んだ。
「な、何ですか?」
世話人であり帯広所長夫人の水前寺正子に黒沼は会場の隅に引っ張られた。
「……黒沼君が話をしていた彼は、あっちの赤い服を着た女性と話をしたいのよ。何とかならない?」
「そんなの。彼が話かければいいじゃないですか」
正子と面識のある黒沼は面倒臭そうに髪をかき上げた。
「そう言う事ができるなら、こんな会は必要ないでしょ?あなたには簡単なことでも、他の人には難しいの!ほら、行って!」
正子に背を押された黒沼は仕方なく、先程の彼に声を掛けた。
「あの、宜しければ、あの赤い服の女性とお話ししてみましょうよ、さあ」
そして女同志で話をしていたところへ、黒沼は割って入った。
「お話し中すみません。ちょっと赤い服の方、お話ししていただけませんか?」
「私とあなたが?……はい」
夏山愛生堂のナンバー2の黒沼に、頬を染めた彼女はうっとりしながら彼らの元に来てくれた。
「ええと、こちらの男性は……」
「わ、私は佐々木と申します。自営業を営んでおりまして、土地もたくさん所有しております」
「……だ、そうです、失礼ですが、あなたは?」
「私はパン屋さんでアルバイトをしています」
「そうですか。私はパンに目が無いんですが、お薦めのパンは何ですか?クロワッサン?」
「うちの店は、メロンパンが人気で」
「佐々木さん、メロンパンだそうですよ、お好きですか」
「はい!大好きです、あの……パン屋さんのお仕事は朝早いんですか」
「ええ。当番で……早い時は5時です」
「そうですか。あ、私は向こうに呼ばれてしまったので。お二人はお話しを続けて下さい」
こうして二人を強引にくっつけた黒沼は、正子の元に戻ってきた。
「……良し!次はこの二人よ」
「まだやるんですか?」
「何を言っているの!織田君はもう、三組をくっつけたのよ。黒沼君は、この人達よ」
「その釣書を見せて下さい……。わかりました、はあ」
こうして黒沼は、恥ずかしがり屋さん達を次々と紹介し、強引にくっつけて行った。
男性軍はたしかに中年であるが、高収入や親と別居が保障されていたので、まずはお友達から、という関係が成立していった。そして正子の仕切りで、会はお開きになった。
「すごいわ?カップルが99パーセント成立よ!」
「はあ……良かったですね、あ。織田は?」
すると正子はニヤリと笑い腰に手を当てた。
「幼馴染みの女の子がいたって、仲良く帰ったわよ」
「全く……では俺も帰ります」
あきれた黒沼の腕を正子はむんずと掴んだ。
「まだよ。彼女を送って頂戴!」
「彼女って。どこにいるんですか?」
「あそこにいるでしょう」
正子の指す所には、大きな大きな後ろ姿があった。
「あの人はスタッフですか?」
「参加者よ。美咲ちゃーん」
振り返った彼女は、口に何かを頬張りながら、どすどすとこちらにあるいて来た。
「嘘だろう……?正子さん、これ。三桁はありますよ?」
「いいからいいから。こっちよ美咲ちゃん」
こうして黒沼の元にやってきたぽっちゃり女子の河合美咲は、頬を染めた。
「水前寺さん。この方は?」
「あなたを送ってくれる黒沼君よ」
「いや!無理です!正子さん!!」
「……そんな事いわないでよ。美咲ちゃんはこの会にもう9回参加しているんだけど、まだ誰も送ってくれないから可哀想なのよ」
「それ以前の問題だ……。第一、こいつ車に乗れるんですか?」
黒沼はそういって美咲を見下ろした。
「乗れますけど……あの、正子さん。私一人で平気です。こういうの慣れてますから」
「美咲ちゃん……」
「やっぱり男の人は見た目が一番大事なんですね……では、これで失礼します」
美咲はぺこと頭を下げると、出口に向かって歩いて行った。水前寺は哀しくつぶやいた。
「……あの子だけ一人で帰すなんて残酷よ。黒沼君、悪いけど、私の代わりに反省会の話だけ聞いてくれない?私、あの子を送って行くわ」
そういって正子は自分の荷物を取りに戻ろうとした。これに黒沼も降参した。
「わかりましたよ!送ればいいんでしょう。まったく……」
「そう?頼んだわよーーー」
どうにも仕組まれた気もしないでもないが、黒沼はホテルの玄関前にいた美咲に声をかけた。
「おい。そこの女、お前だよ、そう!ふくよかさん!」
私?と自分を指した美咲は目を見開き、彼と駐車場まで歩いて行った。
「そこ。段差があるからな。足を上げて歩け」
「もう少しゆっくり歩いて下さい。あ。この車ですか?かっこいい」
黒沼の愛車インプレッサを見て、美咲はきゃと手を叩いた。
「待て!今、後部座席を片付けるから」
「いいですよ。助手席で」
「お前が乗ると、横が見えないだろう」
「椅子を後ろまで引けば見えますよ?」
しかたなく黒沼は彼女を隣の席に乗せた。
「……止まるか?シートベルト」
「苦しいですが、なんとか、えい!」
発車するまでかなり時間を要したが、こうして黒沼はぽっちゃり美咲を乗せ夜のドライブとなった。
「しかしお前……太り過ぎだろう」
「自分でもそう思います。これはさすがにまずいですよね」
見た目と違って案外上品な彼女に営業職の彼は違和感を抱いた。
「ちょっと病気をしまして。療養していたんですが、薬の副作用と、美味しい物をたべすぎて、気がついたらこんなになっていたんです」
「気が付くのが遅すぎだ……。お前の家に鏡とか体重計は無いのか?」
「両親や周囲の人は私を気遣ってくれていたので。でも、今日からダイエットします」
「しろ!今だって、ほら、空気椅子をやれ!」
「……黒沼さんは今日の参加の女性の一番人気だったのに。やはり見た目で人を判断してはいけないわ」
そういって美咲ははあと溜息をついた。
「そもそもな。お前、仕事は何をしているんだ」
「今は無職ですけど。明日面接にいくんです」
「なんでもいいからやれ!その時間、食べずに済むんだから」
「それもそうですね?なるほど」
おっとりしている美咲に黒沼はイライラしていた。
こうして到着した美咲の家は結構大きな家で、彼女はチャイムをならし親を呼んだ。
「おかえり美咲……お父さん!大変よ、美咲が、美咲がイケメンを連れて来たわ」
「母さん、なんだよ、大きな声を出し……え?君は」
「私は通りすがりで名乗るような者ではありません。お嬢さんをお届けしたので、どうぞ」
「まあ。ご親切に……夢のようだわ。美咲にこんな彼が」
エプロン姿の母の目はうっすらと涙ぐんでいた。
「彼ではありません!私の事は忘れて下さい、では、これで」
すると美咲が車まで追い掛けて来た。
「黒沼さん……今夜はありがとうございました」
「ああ、いいから家に入れ!」
「はい……どうぞお気をつけて」
そういった彼女の顔も見ず、彼は河合家を後にした。
そして翌日。帯広営業所の一室。黒沼はイライラしていた。
「織田!昨日は一体なんだんだよ」
「やっぱりあのジャイアントが残ったんですか?」
しかも黒沼が家まで送ったと聞き、織田は腹を抱えた。
「くそ。だからお前はさっさと帰ったんだな」
「そんなに怒らないで下さいよ」
その時、営業所の奥の部屋のドアが開いた。
「では明日から、よろしくね」
「はい。清掃用の服は、自分で用意しますね」
事務の課長と和やかに話している大きな後姿に、黒沼はビクとした。
「お前……ここで何をしている?」
「黒沼さん?まあ、ここにお勤めでしたの?夕べはお世話になりました」
「夕べって、黒沼は彼女と知り合いか?」
課長に聞かれた彼は首をブンブンと横に振った。
「課長、こいつは?」
「ああ。明日からうちに来ることになった清掃員だよ」
「ぶ!マジで?」
織田が笑う中、美咲はどずどずと黒沼の前にやってきた。
「ふう。黒沼さん、どうぞよろしくおねがいします」
そういって丁寧に頭を下げる彼女に、彼は目を瞑った。
「本気でここで仕事をする気か?」
「はい。掃除の仕事なら出来そうだし」
「言っておくが俺はお前なんか知らないからな!ぜったい、話かけるな!行くぞ、織田!」
背を向けて行ってしまった彼を美咲はきょとん、と眺めていた。
「先輩、少しいい方がきついんじゃないですか」
「うるえ。俺が自分の体型を維持できないような意志の弱い奴が嫌いなんだよ」
そういって黒沼は営業車に乗り込んだ。
帯広は今日は暑くなるとラジオが話していた。
彼らの車は広いヒマワリ畑の一本道を、進んで行った。
完
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