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130 初めてのホストクラブ
「鈴子……塩川夫人に頼まれた事が合ってな。相談に乗ってもらいたいんだ」
「そういえばフリーマーケット以来お会いしていませんが、私に何を?」
小花の家で夕食を御馳走になっていた姫野は、彼女が作った梅干しをご飯に載せた。
「ススキノの迅さんのホストクラブの件なんだが。塩川クリニック系列の介護施設もあそこにデイケアで利用していて」
「BoySビルでしょう?大人気なんですってね。はい。この塩辛もどうぞ」
高齢の女性の息抜きとして姫野プロデュ―スのこの企画は札幌全部のデイケアサービスが利用している程の大盛況だった。
「……美味そうだな。ああ?話が逸れたが、それでな……」
姫野の話しによると塩川クリニックの整列の『ひまわりホーム』の、塩川夫人の姑も利用しているという。
「その塩川の大奥様がな。ホストに入れ込んでいるようなので、嫁として心配していてな。鈴子に様子を見に行って欲しいと言うんだよ」
「どうして私が?」
姫野の対面に座った鈴子は、彼に首を傾げた。
「……大奥様は同行している介護職員に圧力をかけて口止めさせているらしい。だから塩川夫人はお前にこっそり監視して報告して欲しいと言うんだ……」
そう言って彼は、不機嫌そうにご飯に口に運んだ。
「塩川夫人はご心配なのでしょうね……迅さんのお店で、傍で見ているだけならいいですけど……姫野さん?」
「ん?」
「どうしてそんなに怒っているの?」
「……だってな。迅さんはカッコいいし……お前がホストのいる店に行くって聞いただけで……なんか、こう……ものすごく嫌なんだ……」
姫野は塩辛を不必要にかき混ぜながら、彼女を上目遣いで見た。
「でも。姫野さんは、私に行って欲しいんですよね?」
「仕事上ではな……でもプライベートでは行って欲しくない」
イライラしている姫野を目の前にした彼女は、以前だったら悲しくなる所だったが、さすがに彼に慣れてきた事もあり、これの対応を素早く取った。
「姫野さん……鈴子はちゃんと……姫野さんの所に戻って来るって約束したでしょう?」
「そうだけど……。お前可愛いし、優しいから。男はみんな勘違いするんだ」
「勘違いしているのは姫野さんよ?鈴子は……姫野さんが一番好きです」
「は?」
驚く姫野に、彼女は頬を赤らめていた。
「意地悪ですけど……お優しいし。頼りになるし……だから私、早く卒業できるように勉強をしています。だから……あの。信じて欲しいの」
これを聞いた彼は、箸をすっとお椀に置いた。
「鈴子さん……すみませんでした!!」
彼女の気持ちを疑ってしまった自分を戒めるように、姫野は自ら頬を張った。
「まあ!姫野さん?」
「……済まない。どうも周期的に疑う気持ちが発生するようなんだ。もう……大丈夫だから」
「姫野さん」
彼女はそういって彼に背後からギュウと抱きついた。
けれど彼女が定時制の高校を卒業するまで告白をしないと誓っている彼は、この行為に身を固くし、じっとこらえた。
「鈴子。もう少ししたら告白するからな」
「お待ちしてます」
そう言って二人は頬を寄せた。
「だから早く卒業してくれ、な?」
「うん!今度のテスト頑張ります!」
こうして二人はこの世も楽しい夕食を過ごし、姫野も彼女の頭を撫でただけで、この夜も自宅のマンションへ戻った。
そして塩川クリニック系列の介護施設ひまわりのバスがホストクラブしか入っていないBOYSビルにやってきた。
やってきた高齢女子達は、それぞれ介護職員を伴い店に入ってきた。
「ようこそ!マイスイートハニー!」
「迅君。また来たよ!」
シャツの胸をはだかせた社長の迅は、本日の客一人一人に笑顔をぶっ飛ばして行った。
「ようこそ。そこの段差気を付けてください……。あ、杖はこちらでお預かりします。時間で薬を飲む方は、私に言ってくださいね……あ、おトイレは大丈夫ですか?……」
ホストクラブにあるまじき気配りであったが、彼の親切に老女達は嬉しそうに彼を挨拶をを交わしていた。
「なあ。小花ちゃん。御絞り配ってくれないかい」
「はい。お任せ下さい」
本日の小花は塩川夫人と姫野の依頼を受けて、ホストクラブの臨時ウェイトレスとして参上していた。
この計画を聞いた迅は、彼女にバニーガールの恰好をさせようと企画したが、これを聞いた姫野に今度一切縁を切ると怒られて、結局モノトーンスタイルで落ち着く事になった。
「皆さま、こちらをどうぞ」
「もう。若い女なんかどうでもいいんだよ。私は迅さんからもらいたいの!」
そうだ、そうだ!という老婆達の声に圧倒された小花に、すっと迅はやってきた。
「はいはいみなさん!それでは乾杯しましょう、カンパーイ!」
時はおやつの三時の時間。老婆達はおはぎを食べ始めた。
「はい。アーンして……どう美味しい?」
「うん、美味い。もう一度!」
若いホストにおはぎを食べさせてもらっている老婆は口の周りを彼に拭いてもらっていた。
「あのね。このお茶、ぬるい!もっと熱いのが良い!!」
「でもさ。君が火傷をしないか、って俺、心配なんだよ?」
若いホストにうるうるした目で見つめられた老婆は、思わず彼の手を握っていた。
「優しいわ。うちの倅とは大違い」
その横でも老婆が接客を受けていた。
「お綺麗ですね!」
「はい?なんだって?」
「ええと。マイク、マイク……お綺麗ですね!!!」
耳の遠い女性に専用マイクで語りかけたホストに彼女は嬉しそうに微笑んだ。
その向いでも老婆が接客を受けていた。
「膝も腰も痛いんですか?」
「ああ。首も痛いし目もクラクラだよ……。最近は歯も病んでいるけど、今日は来たのさ」
「あの、病院に言った方が良いんじゃないですか?」
「……どうせ医者は年のせいって言って、痛み止めと湿布だけでおしまいだし。それにここに来た方が治るもの」
「治るんですか?ハハハ。それは僕も嬉しいです」
この和やかな様子に、小花もホッとしていた。
「どうだい。なかなかなもんだろう」
「そうですわね。皆さん楽しそうですもの」
「それよりも。君のターゲットはいいのかな?」
「あ。そうでした?塩川の大奥様は……あ、あの方?」
部屋の隅に、ピンク色の車椅子に乗った老婆が若いホストと話し込んでいた。
小花はそっと彼らの背後に進み話を聞いた。
「……だから。何度も言ったでしょう。水割りはそうじゃないって」
「うるせえな、ババア。今やってんだよ……」
御茶会のはずなのに、二人のテーブルにはウイスキーのボトルやグラスが置いてあった。
「あ!」
金髪ホストがグラスを倒しこぼしたので、慌てて小花はタオルを持って拭きだした。
「あんたは落ち着きが無さ過ぎるよ。もっと丁寧に」
「しつこいな。どうしてそんなに俺に構うんだよ!ほっておいてくれよ」
そういって彼は御絞りを床に投げ捨て部屋の奥に行ってしまった。塩川大奥方はため息をついた。
「まったく。若い子は短気でどうしようもないね。ああ、拭いてくれてありがとうね」
塩川大奥方は肩を落とすと、小花にそう呟いた。彼女は夫人を見つめた。
「失礼ですけど。どうしてこんな事を?」
「あなたもウェイトレスの見習いか……こっちに座りなさい。美味しい水割りの淹れ方を教えてあげるから」
小花の事を勘違いした塩川は、今度は小花にレクチャーし始めた。
「奥様?私は別に」
「黙って言う事を聞きなさい!ほら、これを持って」
有無を言わさない彼女の圧に負けた小花は、仕方なくグラスを持った。
そして細かい指導を聞きながら、小花はウィスキーの水割りを作って行った。
「いいんじゃないの。飲んでみなさいよ」
「私は未成年です」
「面白くない!迅さん。飲んで」
「……はいはい……おお?小花ちゃんが作ったのかい?」
彼は一口飲み、ふうと息を吐いた。
「美味しいよ。ありがとうございます、塩川さん」
「あの。奥様。どうしてこのように教えて下さるんですか?」
すると夫人は、車椅子の背にもたれて話し出した。
「今まで誰にも言って無かったんだけどさ。私は若い時、生活が苦しくてね。ススキノでホステスをしていたんだよ……」
当時ナンバーワンだった彼女は、エリート医師に見染められて結婚したが、そこから信じられない苦労をしたと話した。
「……私は無学だったから姑にバカにされてさ。くやしくて夜学に通い直して、子育てしながら短大まで出たんだ」
「御苦労なさったんですね」
「誰でもこんなもんだろう?でもね。私が結婚した時に、実家に病気の弟がいたんだよ。でも弟の事が知れると結婚できなくなると親が心配してさ。弟を遠くの病院に入れたんだけど、そこで亡くなったんだよ。17歳だったのに」
「まあ」
めそめそし出した夫人の話を小花は聞いた。
「可哀想に……楽しい事も何もしないうちに死んでしまって……もう私しか憶えていないんだけど。さっきの若い子がさ、どこか弟に似ていてね」
「そう、でしたか」
目を真っ赤にした夫人は涙を拭った。
「つい、老婆心で……世話してやりたくなってさ、バカだろう」
「なんだよ。婆さん。勝手に俺を弟にすんなよ……」
この話しを背後で聞いていた金髪ホストは涙を拭った。
「JOY君?」
「あんた、聞いていたのかい」
「お、俺は死なねえぞ……ほら、もう一回教えろや。言っておくけど俺は最高に頭が悪いんだからな!」
そう言って彼は小花の横に座りマドラ―を手に取った。この様子に目を赤くした塩川と小花は顔を合わせて微笑んだ。
「では……そろそろお開きの時間かな」
ヤダ――!とお決まりの婆ちゃん達の声だったが、迅はまあまあと手で制した。
「又来てください。では職員の方、用意の方を」
塩川と話をしていた小花も帰り支度を手伝おうと立ち上がろうとした時、ドアから彼が入ってきた。彼は迅と話をしていた。
「お嬢ちゃん。あの男はここのナンバーワンかい?」
「いいえ。夏山愛生堂のセールスマンです」
「私をからかっているのかい」
「いいえ。ご紹介しますか?姫野さん!」
呼ばれた彼は彼女の元に馳せてきた。
「お呼びですか?お嬢様」
「冗談はやめて下さい、塩川様。こちらが姫野さんです。このホストクラブサービスを考えた人です」
「初めまして。夏山愛生堂の姫野と申します。息子さんの塩川先生と奥様にはお世話になっております」
「……薬屋か。いや、私とした事が。それにしても」
立派な姫野に塩川はびっくりしていた。
「私の顔に何か?さあ。鈴子も帰るぞ」
「……お嬢ちゃんはホステスの見習いじゃないのかい」
「彼女は見学です。本当の様子を知りたくて私が頼みました」
「そうかい……」
するとここに迅がやってきた。
「姫野君。大盛況で嬉しい悲鳴なんだか。人手が足りなくて困って来ているんだよ。冗談じゃなくて君にシフトに入ってもらいたいよ」
「冗談いわないでくださいよ」
この男達の話しに、塩川がつぶやいた。
「あのね。迅君よ。昔のホストを呼んだらどうだい?案外受けるかもよ」
「昔のホスト?でも、どこにいるんですか」
塩川はススキノでタクシーをしている人を知っていると話した。
「そいつももうとっくに定年だし、それに東京のはとバスは熟年バスガイドでウケてるそうじゃないか?ススキノの老年ホストもウケるかもよ?みな暇だろうし」
「さすが奥様。さっそく俺が手配します。よければ姫野君も手伝ってくれよ」
「これでホストをやらずに済むならお安御用ですよ。あ、鈴子は大奥様をバスまで送ってくれ」
姫野に指示をされた小花は、夫人のピンクの車椅子を押しエレベーターまでやって来た。
「ということはお嬢ちゃんは、夏山の事務員かい」
「いいえ……私は、夏山ビルを清掃している者です。今日は手伝いで、私も奥さまと同じ、定時制の学校に通っているんですよ」
「そうかい。あんたも夜学か。わけありだね」
すると小花は声が詰まってしまった。
「……すみません。私、亡くなった母を思い出して……ダメですね。いつまでもメソメソしたら」
開いたエレベーターに車椅子を進めた彼女は、1階のボタンを押した。
「いいんだよ。悲しい時は我慢しないで、メソメソしたっていいんだよ。私もずいぶん泣いたもんだ……泣いて泣いて、その涙が今の中島公園の池になったんだよ」
「ウウウ……奥さまったら……御冗談ばかり?……ウフフ」
泣き声が笑い声に変わった彼女を塩川は見上げた。
「さあ。笑顔が見えた!そうだ。お嬢ちゃんにお願いだよ。もう一つ私の我儘を迅とあの姫野とやらに伝えておくれ」
彼女に伝言を残した塩川夫人は、職員の手を借りてバスに乗り込んだ。やがてビルから出てきたホストに見送られて『ひまわりホーム』のバスは去って行った。
そして迅の店に戻って来た小花は帰り支度を終え、待っていた姫野と迅に声を掛けた。
「お待たせしました。姫野さん帰りましょう」
「では迅さんこれで」
二人に迅は目を細めた。
「今日はありがとうございました!……さあ、俺はこれから本番だけど、給料日前なんで、今週は誰も来ないんだよな」
「そういうことでしたら……少々お待ち下さい」
姫野はどこかへ電話をし始めた。
「はい、そうです……二次会の後で結構ですよ。あ、お待ちください……迅さん、ここにお客さんは何人入りますか?」
「支店もあるし、他の店にも紹介できるから、何人でもいいよ」
「何人でもいいそうです。百人来ても大丈夫ですよ。はい……」
電話を切った姫野は、今夜ここに得意先のナース達が女子会の打ち上げで来ると話した。
「え、ナース?飲むんだよな……用意しなくちゃ。ありがとうな、姫野君」
「どういたしまして。では自分は帰りますので、後は頼みます。ほら鈴子帰ろう」
「迅さん。そして皆さま。本日はお世話になりました。ごきげんよう」
「……ありがとう。いつも……」
こうして二人はBOYビルを出てきた。
「まだ6時か。どうする?何か食べるか?」
「実はうちの冷蔵庫に大量のホタテがあるのです。よければ召し上がって欲しいわ」
「よし。帰るか」
二人はコイン駐車場に向かって歩き出した。
「でも鈴子は驚きました。迅さんは存じていましたがお仕事をしている所を見たのは初めてですの」
「俺も接客しているのを見たのは初めてだ……どうした?」
彼女は彼の顔をじっと見ていた。
……姫野さんがホストをしたら、どうなるのかしら。
「鈴子?」
……きっとモテるでしょうね。
「どうした。宿題があるのか」
「ありますが、それはまだよ」
「すぐやれよ」
「わかっています」
そして夜風に腕を組んだ二人はススキノの喧騒の中をゆっくり歩いて行った。
「塩川様はね。ここに来ることができない人もいるから、介護施設の慰問を考えて欲しいっておっしゃっていましたわ」
「人出が足りないからな……まあ、元ホストのカムバック次第だな」
「姫野さんはダメですよ。迅さんのお手伝いはしないでね」
「する気もないが。理由を聞いていいかな」
……私は彼女じゃないのに、束縛はダメ、よね。
「ごめんなさい……姫野さんはご自由にどうぞ」
「鈴子?」
「ホタテもすみません。他に日にしましょう……」
哀しく腕を解こうとした彼女の腕を、彼がぐっと締めた。
「あのな。俺はそんな事を言わせたかったわけじゃない。お前が嫉妬してくれたようで嬉しかったんだ」
「嫉妬してません」
「わかった。それはもうどうでもいい。それより、そうだホタテはどうやって食べようか?いや、何でもいい。そうだ、俺が焼くぞ」
「……うん」
「俺に任せておけ、な?笑え、ほら」
……これはホストは無理ね、ふふふ。
夏の熱を帯びたアスファルトは、日の落ちかけた北の繁華街の人々を熱くさせていた。
そんな中、二人は誰よりも熱い想いを抱きながらビル風に吹かれていた。
完
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