131 またアサッテNO・1!

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131 またアサッテNO・1!

「中島公園1丁目――――ファイ」 「「「ぉぅ……」」」 「声小さいわよ?何それ」 「だって」 腰に手を当て怒る猪熊に、知子が反論した。 「だって。猪熊さんだけでしょう、歌うのは」 「そうだよ。私達関係ないし」 知子の話しに樹里も頷いた。 「5日後のカラオケ大会に出場するのは猪熊さんだけだもの。円陣は要らないでしょ?」 「気分よ、気分。さあ、始めるわよ。小花ちゃんお願いね」 小花は猪熊の命通りにリモコンをピっと押した。 ……♪♪…… ピアノの調べで優しいイントロが流れ、カラオケボックスの一室で猪熊が歌いだした。 ……涙をふいて……君のそばへ…… 目をつぶり陶酔しながら歌う猪熊に、知子と樹里はうんざり気味だったが、小花は一人テレビ画面を見ていた。 ……わがままばかりで……ごめんね 「本当だよまったく。ね?樹里さん」 「早く終わらないかな……」 こん感じで猪熊は名曲フォオユーを歌いあげた。 「どう?今度の点数は」 「……ダメですね。今度は音程がずれましたし。加点が少ないですわ」 カラオケボックスの機械で思ったよりも点がでない猪熊は、ソファにぐたと倒れ込んだ。 「くそう!どうしてなんだよ!」 そういって椅子を拳で叩く猪熊を見ながら知子はすくと立ちあがった。 「私先に帰るね。猪熊さんもそろそろお終いにしなよ」 「私も帰る。疲れているのに歌っても点数でないよ。じゃあね」 付き合わされていた二人は先に帰ってしまった。 「小花ちゃんはまだ大丈夫でしょう。遅れて来たんだから」 「呼び出されましたからね。ふう、私ドリンクバーで飲み物を頂いてきますわ。猪熊さんはコーラでいいんですよね」 そういって部屋を出た小花の耳に、聞いた事のある声が聞えて来た。 ……若いうちは、やりたい事………なんでもできるぜー 小花は恐る恐る声のするボックスを覗いてみた。 ……WHY?M?。やっぱり! それは西條であったが、彼は友人と来ていたようなので彼女はそっと猪熊の部屋へ戻った。 「さあ、得点がでるまでやるよ」 「待って下さい。これ以上は喉を痛めますわ。それより作戦を立てましょう。まず『こぶし』と『ビブラート』はとても出ているんですよ。問題は『しゃくり』と『フォール』です。これが全然でないのです」 「そういう曲じゃないもん」 「よければ私が歌います」 猪熊の歌を手本にした小花は加点重視で歌い始めた。 ……もしも、逢えずにいたら…… この小花の歌唱に猪熊は身体を揺らし始めた。そして小花はアレンジを炸裂させた。 ……話さない、きっと――――――――――――――――――君が欲しい…… ノーブレスで歌うという凄技に猪熊は驚いた。 「ひぇ――ーすごいビブラート?小花ちゃんすごい?」 その時、誰かが部屋に入ってきた。 「よ!やっぱり小花ちゃん?聞いていい?」 歌いながら頷いた小花は、歌を続けた。 ……愛が、全てがほしいー…… 「ありがとうございました」 「すっげ?小花ちゃん最高!」 拍手する白いスーツの西條を猪熊がジロリと見ていた。 「あんた誰?」 「猪熊さん。この方は夏山の社員さんです」 「初めまして。いつも小花ちゃんに世話になっている西條です。しかし、感激だぜ!あ。点数見ようぜ」 ビブラートを炸裂させた小花は高得点を叩きだした。 「すごい!う、コーラーをこぼしちゃったわ」 「でもね西條さん。私『しゃくり』とか『フォール』っていうのがよく分からないんですよ」 「フッフフ。俺に任せときなよ。今の曲でいこうか?」 すると彼はマイクを取り、キーを自分に合わせて調整し歌い出した。 ……涙をふいて…君のそばへ…… 最初の涙の「な」と、君の「き」の時にフォールを出した西條に猪熊は鳥肌が立った。 ……もしも、逢えずにいたら…… 「もしも」だけでフォール、こぶし、しゃくり、ビブラートの加点を出した彼に小花も拍手をした。 こうして一番だけしか歌わなかったのに、ものすごい点数を出した彼はニコと白い歯を見せた。 「すごいわ!ねえ?好きになっていい?」 割れんばかりの拍手を太い腕で送る中年猪熊に西條は首を振った。 「アハハ。丁重にお断りします!ねえ。小花ちゃんどうだった?」 「素晴らしかったですわ。私、歌を聞いてこんなに感動したのは初めてで」 西條の歌のテクニックと、情熱のこもった渾身の歌唱に、小花は涙ぐんでいた。 「バカだな?これくらいで泣くなんて、これじゃ鼻歌も歌えないじゃないか?それよりもどうですか?参考になりましたか」 マイクを西條から受け取った猪熊は真顔でスクリーンをみつめていた。 「……やってみるから。聞いて下さい、フォウユー……」 そして何度も曲を止めながら小花と西條にレッスンしてもらった彼女は上達して行った。 「加点がでるようになりましたが、何といいますか、点数を出すための歌唱法なのでちょっとムードが出ないような気がします」 「まあね。猪熊さん。カラオケ大会の採点は、機械だけですか?」 「……確か、それプラス審査員の点も入るはずよ」 「だったら私にいい考えがあります。あのね……」 意味は分かった猪熊はとりあえずその方法で歌ってみようとした。その時、西條のスマホが鳴った。 「やべ?置き去りにしてって怒っているし?ごめん、俺自分の部屋に戻るね!お二人とも頑張ってください」 そういって彼はじゃ!!と手を上げて、部屋を出て行った。 「ふう。私もう一度ドリンク飲もうかしら。あ、あれ?」 「ちわっす」 「この部屋暑いっすね」 今度はこの部屋に鉄平と拳悟が入ってきた。部活帰りなのか、Tシャツにジャージ姿だった。 「こんばんは。母さんが小花っちを迎えに行けってさ」 「猪熊さん。もう良いでしょう?小花っちを解放してくれよ」 鉄平と拳悟はそういって彼女の両脇に座った。 「人聞きの悪い事……そうだ?まだ時間が残っているからさ、私が最後に歌う前に、あなた達歌ってよ」 猪熊は勝手にリモコンをピと押し、曲を勝手に入れてしまった。 「何してんだよ?……歌う訳ないだろう」 「おい。ほら帰るぞ」 しかし。イントロが始まると、いつのまにか拳悟はマイクを握っていた。 ……あした私は、旅に出ます……君の知らない人と…… この甘い声にびっくりした小花の背後からは、鉄平の切ない声が聞えて来た。 ……行く先々で思い出すのは……君の事だと分かっています…… そして二人はゆっくりと立ちあがった。 ……♪♪……私は旅立ちーますー…… 兄弟ならではのハーモニーに小花はあっけに取られてしまった。 「凄いですわ……なんていうか。お二人のハーモニーに心を奪われてしまいました」 歌い終えた二人に彼女はまだ拍手を送っていた。ここで猪熊はどや顔でコーラを飲んだ。 「そうでしょう。この兄弟はちびっこのど自慢で優勝した事があるんだからさ」 「猪熊さん。マジでもういいでしょ!帰りますよ」 「小花っちも帰るぞ」 「待って。鉄平さん、拳悟さん。最後に猪熊さんの集大成をどうか聞いてほしいの」 「小花っちがそこまでいうんなら」 「ああ。じゃ。ほら。歌え!」 そんなやり取りの間にすでにイントロが流れていた。 本日の小花と西條のアドバイスで、加点が異常に付いている猪熊に、兄弟は目を見張った。 ……話さない、きっと~~~~~~~~~~~~――君が欲しい……」 「嘘?ノーブレス」 「俺、鳥肌立った」 こうして情感たっぷりの大声で歌いあげた猪熊の得点を皆で見つめた。 「98点?マジで」 「これで優勝間違い無しですわ。はあ。もう時間ですね」 少し寂しそうに呟いた小花に気が付いた拳悟は、理由を尋ねた。 「私。今度会社のお友達が結婚したので親しいお友達でパーティーをするんです。その時に歌を歌うから、今夜ちょっと練習をしたかったの。でももう帰る時間ですものね」 そういって部屋を片付け出した小花の腕を鉄平は掴んだ。 「まだ時間残っているからさ。小花っちも歌えよ」 「そうだよ。猪熊さんはもうアウトだけど。ほら、早く」 猪熊もそうしてくれと言うので、彼女は気を良くしてマイクを握った。 「この曲は三人で歌うし、私は脇のコーラスなんですけど。当日他のパートの人がお酒を飲んで歌えなくなるかもしれないから、ボーカルも練習したくて、お聴きくださいね」 ……真っ赤なトマトをほおばる♪♪…… 可愛い振付で歌い出した小花に兄弟は、ドキドキして来た。 ……年下の男の子! 「「すずちゃーん!」」 彼女の歌に兄弟は掛け声を掛けて行った。 ……忘れんぼで、いじわるで、わがままだけど好きなの…… これは歌なのに頬を染めた兄弟の手拍子は弾んで行った。 ……私の事、好きかしら……今すぐ聞かせて…… 「「すずちゃん大好きILOVEYOU!」」 息の整った掛け声を決めた兄弟は彼女の歌を堪能した。 こうして小花の歌とダンスを見てあげた兄弟は、これで本当にお開きして猪熊とカラオケボックスをでてきた。 「私は車で来たから送って行くよ」 すると小花は首を横に振り、運動がてら歩いて帰ると言った。これを聞いた兄弟も荷物だけを猪熊に託し、彼女を真ん中にして自宅へと歩き出した。 「あーあ楽しかった。おかげで緊張がほぐれて来たよ」 「緊張?」 拳悟は兄が4日後に控えている試合に緊張していると彼女に話した。 「仕方ないだろう。大事な試合なんだもの。まあ、小花っちは緊張とかしなさそうだもんな」 「そんなことありませんわ。先日の数学のテストの時は、すごく緊張しましたの」 彼女は星空を見ながら話しだした。 「三角形の一辺の長さを求める問題で、私は式が分からなかったので、定規で問題にあった三角形の長さを測ってみたんです。そして他の辺の長さをよーく考えたら、長さがわかったんですよ」 「……いるんだよな。実際の長さを測る人。でも式は?」 「式なんて書けるわけがないですもの。だから答えだけ書いたんです。式が無くて0点でしたけど、先生は褒めてくれたんです。諦めずによく工夫したって」 「良い先生だな」 鉄平は隣を歩く彼女に目を細めた。 「はい。先生はおっしゃいました。テストではダメだけど、現実には答えを出せればそれでいいと。結果が全てだって」 「結果が全てか……」 拳悟も隣の彼女が髪をかきあげる仕草を本人にばれないようにそっと見ていた。 「そうです。だから鉄平さんもバレーのボールを相手コートに落とせばいいのです。サーブをサーブで返したりしてもいいですよ」 「サーブをサーブで返す?アハハ」 これを想像出来てしまった彼は、歩きながらサーブを打つ仕草をした。 「……そうだよな。結果が全てだもんな」 うんと彼女は頷いた。 「明々後日は本気で行って下さいね」 「おう!そうだ?一つ聞いて良いかな」 鉄平はこの場のノリでずっと気になっていた事を彼女に打明けた。 「小花っちってさ。風呂でうたっている歌があるよね。あれってトウモロォウでしょ。どうしてアレを歌うの」 彼女は母が好きだったからと答えた。 「そうか……実はさ。兄貴も俺もあの歌が好きだけどさ、『明日は幸せ』って歌詞があるだろう?なんかこう、今の小花っちは不幸なのかなって……」 「俺も。こう、寂しくなるんだ、向いに住む者としてさ……」 どこか寂しそうな二人を元気付けたい気分になった小花は、二人と手を繋いだ。 「私はそこまで気にしていなかったんですけど、今後は他の歌も歌いますわ」 そして中島公園1丁目まで歩いて来た若者はそれぞれの家に入った。やがて自宅の風呂の湯船に浸かっていた拳悟の耳には、彼女の歌が聞こえてきた。 「いつもと違うな……」 ……ワンツワンツー休まないで歩け…… 「フフフ。マジかよ……おい兄貴!外出て見ろよ!いいから!」 先に風呂をでた鉄平は弟の言う通りに庭に出て見た。 ……一日一歩、三日で三歩…… 彼女の家の風呂場から聞こえてくる歌に、自分を励まそうとしている彼女の優しさを感じた鉄平は夜空を仰いだ。 ……見守っているつもりが、また助けてもらったな。 自宅の庭で彼女の歌をひっそり聞いていた鉄平だったが、いきなり彼女の家の風呂場から大きな音がした。 「いたたたた……」 「小花っちか?どうした!」 「大丈夫か」 思わず庭から叫んだ鉄平に彼女は返事をした。 「……シャンプーしてたので、目をつぶって手探りでシャワーを出そうとしたら、間違って上からボティソープを落としたんです。大丈夫ですよ」 「ああ、気を付けて風呂に入れよ」 「はーい」 彼女と会話を交わした二人はほほ笑みながら星空を見た。 ……負けるわけにはいかないな…… 彼らの思いを和やかにしようと天空の光はずっと若い彼らを見守っていた。 完
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