132 君は薔薇より美しい 78kg超級

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132 君は薔薇より美しい 78kg超級

「おはようございます!」 「お。おはよう……」 夏山愛生堂の帯広営業所の彼女の挨拶に社員は驚きを隠せなった。しかし織田だけは笑顔でいつも通りに入って来た。 「おはよう。美咲さん」 「おはようございます、織田さん」 「今日は初日でしょう?無理しないでね」 「はい!ありがとうございます、あ。来た……」 不機嫌な彼が、会社に入ってきた。彼は自分の席に無言で座った。 「先輩!おはようございます」 「ああ。おはよう」 彼はそばにいる美咲に目もくれず、パソコンをチェックし始めた。 「先輩?あの、美咲さんが今日から」 「俺は清掃員に興味はない!いいからお前も仕事をしろ!」 ポッチャリ美咲を完全無視する黒沼を見て、彼女は織田につぶやいた。 「織田さん、良いんです。私、話かけるなって言われていますので」 「でも。挨拶くらいは」 すると美咲はにっこりと笑った。 「良いですよ!例え黒沼さんの背中に火が点いてカチカチ山みたく燃えても、私は命令通りに話かけませんので」 「え」 「では掃除して来ます!よいしょっと」 そういって彼女はモップを持って部屋の隅に行ってしまった。この言葉を黒沼は背中で聞いていた。織田は恐る恐る彼に尋ねた。 「……黒沼さん、後で消火器をこのデスクの傍に移動して置きますか?」 「いらねえよ!くそ!あいつめ」 大きな背中の彼女を黒沼はじっと睨みつけていた。 そんな初日の昼休み。美咲は休憩していた。 「良かったわ。美咲ちゃんみたいな元気な人が入ってくれて……」 「元気だけが取り柄なので」 「いいのよ、それが!」 帯広営業所の清掃の近藤は、嬉しそうに美咲の背を叩いた。 「でも近藤さん。今まで一人で掃除していたのは大変でしたでしょう?」 「まあね。だから全部を掃除できずにいたのよ」 「そうですよ。無理したら近藤さんの方が掃除できなくなりますね」 すっかり意気投合した二人の所に、女子社員がやってきた。 「はじめまして。私、吉田真理っていうんだ。他にも吉田っていう名字がいるから、私のことは真理って呼んでください」 二人の年が近いので、近藤は若い子同志で食べるように言ってくれた。 そして昼休み。美咲は真理とお弁当を食べながらこの帯広の話を良く聞いた。 「そうか。女子社員さんはみんなパートで、独身で正社員は真理ちゃんだけなんだ」 「うん。一応彼氏はいるけどね。眼鏡屋さんに務めているんだ」 「へえ。眼鏡ってそんなに需要があるの?」 「今はスマホ眼鏡っていってね、十代の人も使っているみたいよ」 「いいな、私もゲーム用に欲しい。お給料もらったら買いに行こうかな」 こんな感じで同年代の二人は意気投合していった。美咲は大きなおにぎりを食べながらしみじみ話し出した。 「私ね。持病があったせいもあってこんな体型なんだけど。今まではそんなに気にしていなかったの。でもね、ある人にものすごく侮辱されてさ、今は見返してやりたいんだ」 そういって美咲は食後のパンをかじりだした。真理はお茶を飲みながらそれを見ていた。 「そうか。でもさ。掃除のお仕事って身体を使うでしょう。運動になるよ」 「そうだといいけど、身体を使うからいつもよりもお腹が減るのよ」 「お茶だよ!お茶。これを飲んで胃を一杯にした方がいいよ!ああ、だめだよ?ポテトチップスは」 こうして美咲の掃除の仕事はスタートした。翌日からも黒沼には話掛けるな、と言われていたので、美咲はこれを徹底していた。 「おはようございます。おはようございます。…………。あ、織田さんおはようございます」 朝の会社。三人目の男だけをスルーしてた美咲は社員に挨拶をしていた。 「あの、これ。織田さん宛てのFAXが床に落ちていたので、机に置いておきました」 「ありがとう!美咲さん、仕事はどう?慣れたかな」 婚活パーティーで面識のあった二人は世間話をするレベルの間柄だった。 「はい。実はもう、8キロやせたんですよ」 「8キロも?へえ」 どこが?という声を織田はごくんと飲みこんだ、しかし彼が話し掛けてきた。 「おい。織田?この書類だけど、おっと。こんなところに壁なんかあったっけ」 「壁……」 黒沼は、そういって美咲を下から上までを見た。 「その割には低いな」 「……これだから『会社のナンバー2』なのに。あーあ。小さい小さい、器が……」 彼女はそういってモップを片手に掃除を始めた。 「甘いマスクで中身はサイテー。口を吐くのは毒言葉、か……。黙っていればいいのにな」 「プ!」 「何がおかしい織田!」 真っ赤になって怒る黒沼を他所に彼女は淡々と掃除をしていた。 「おい、お前。今の言葉、撤回しろ」 「話掛けるなって言ったり、話掛けてきたり……プライドは無いの?」 「……あのな、お前いい加減にしろ」 「それはこっちのセリフです!掃除の邪魔をしないでください」 「くそ」 こうして彼女は黒沼に関せず仕事を進めた。 そんなある日の朝。帯広営業所はざわついていた。 「真理ちゃん、何が始まるの?」 彼女は織田の新人戦の話を説明した。 「じゃあ、要するに。今日の夜6時までの売り上げや利益で、新人さんの営業トップを決めるのね」 「そうよ。織田さんは今の所2番なんだけど、僅差だし。黒沼さんのバックアップで今日の月末に大量の売り上げを上げる作戦なのよ」 「へえ。ちなみに1位はどこの営業所なの」 「札幌だよ。1位の人はススキノプリンスっていわれている有名人なんだって」 「ふーん。まあ、私には関係ないか……」 美咲は病院に医薬品を大量に買ってもらおうと必死に電話をしている黒沼をじっと見ていた。 しかし。本当に無関係であったので、美咲はとっとと清掃を終え、清掃員の近藤と昼休みの昼寝をしていた。 「ふわ……さあ、午後の清掃かあ」 うーんと伸びをした美咲は、とりあえず雑巾を片手に営業所に顔を出した。 「……先生、そこをなんとか。はい、ええ、有り難いです、はい、はい……」 受話器を置いた黒沼は嬉しそうに白い歯を見せた。 「よし!これで姫野をぎゃふんと言わせられるぞ……あ、なんだお前。向こうへ行け」 「私はそこを掃除するんです。そっちこそ森の向こうにでも行ってくださいよ」 「うるせえ。俺はどかないぞ!」 動かない黒沼の足元に、彼女は構わずホウキを突っ込んで掃除をし、ここの清掃を終えたのだった。 こうしてあっという間に夕刻になった。帯広営業所は切迫した空気が流れていた。 「真理ちゃん。織田さんの成績ってどうなの」 「こっちが利益を入力したら、向こうも利益を入れてくるみたいなの」 この日が締め日であり、売り上げをリアルで入力しているシステムだった。こちらが売り上げを入れると、向こうも入れるというシーソーゲームになっていた。 「向こうは本社でしょ?きっとホストコンピューターでこっちの情報が見えているんだよ」 「そうかもね。でもこっちは地方だから仕方が無いんじゃないの?」 「……そんなこと無いわよ。分かる人がやれば、こっちも向こうのデータが分かると思う……」 その時、いつの間にか二人の背後に黒沼が立っていた。 「お前、今何って言った?」 「……」 「今はそんなこと守っている場合じゃないだろう!お前、パソコン詳しいのか?」 「まあ、たぶんあなたよりは」 「くそ!こっちにこい」 そういって黒沼は美咲をパソコンの前に座らせた。 「大きい椅子だからいいだろう。さっき本社の人が、こっちでもリアルタイムで情報を見られる方法を教えてくれたんだが、巧くいかないんだ」 「これは社員の仕事でしょう?私は清掃員なのに」 これに黒沼はくそうと頭を抱えた。 「……お嬢さん、お願いします」 「そうやってイケメンを武器にしていますけどね。私は騙されませんよ?心の中では舌を出しているくせに」 するとこの場に汗だくの織田がやってきた。 「美咲さん?俺や風間のデータが見れるって本当?」 「織田さん……」 必死になって頑張っている織田を見て、美咲はにっこりとほほ笑んだ。 「はい、ただ今!ええと……お待ちください……これは古いシステムね。ええと、これでどうだ!」 美咲がEnterキーを押すと、画面がぱっと代わった。 「どけ!おお……これだ、見ろ、織田」 「よし。じゃあ、これにアレを入力したら、ええと……」 功労者の美咲をどかして椅子に座った黒沼と織田だったが、彼らは仕事に夢中になっていた。 織田は美咲が入った時から優しい人だったので、彼女はこの無礼を許し、帰り支度をした。 そして帰ろうとした時、営業所はまだ興奮中だった。 ……そうか。あと十分で勝負は終りか。 締めの時間まで利益を入力することが可能であった。美咲は勝手に事務所隅のパソコンから先ほどの画面にしてリアルな様子を追っていた。 ……この動き。絶対最後の1分が勝負だな。 美咲が黒沼と織田を見ると、やはり最後に何かをしようとしているようだった。 「あのですね。ここのパソコンは旧式だから、ギリギリ入力は止めた方が」 「うるさい!部外者が口を出すな」 黒沼がピリピリしている営業所はまるで爆弾のスイッチを押すタイミングを待っているくらい緊迫していた。 ……こんな雰囲気じゃ……帰ろう。 こうして美咲は一人、結果を待たずに営業所を出て帰路についた。 翌日。社内はどよんとした空気が流れていた。 「おはようございます。おはようございます…………。あ、織田さんおはようございます」 三人目は無視をしたが、織田はにこといつもの笑顔だった。 「おはよう。昨日はお世話になったね。ありがとう」 「そうですか?もう少し早く分かっていれば、もっと力になれたんですけど」 「そうだ。あのさ。美咲さん、最後の入力は止めろって言ったけど、あれはどうしてなの」 織田は疲れも見せず美咲に尋ねてきた。 「だって。向こうも入力するからです。でも向こうはホストコンピューターだから、同時でも処理は向こうが優先なんですよ」 「お前な?そこまで知っているならどうして言わないんだ」 すると美咲はスマホを取り出して、再生した。 『……ギリギリ入力は止めた方が……うるさい!部外者が口を出すな……』 後半の自分の声に、黒沼は耳を塞いだ。 「黒沼さんが自分で招いたミスです」 「う、うるさい」 「私に聞けばすぐだったのに。織田さん、ごめんなさい」 「いいんだよ。美咲さん。あ、そうだ、これ良かったら食べて見てよ」 そういって織田は彼女にダイエット関係のサプリメントをくれた。 「うわ。優しいな!私、頑張って綺麗に痩せて見せますね」 「ハハハ。無理しないでね」 「おい、お前ら、ふざけるのもいい加減にしろ……」 こんな和やかな雰囲気の中、黒沼は怒りを抑えられなかった。 「織田もだ!風間に負けたくせに、何をそんなにへらへらしているんだ?悔しくないのか」 あまりの大きな声に、社員が集まってきた。 「そんな弱腰だからお前は風間に」 「弱腰とは何よ!」 この美咲の一喝に黒沼は頭が一瞬真っ白になった。 「へ?」 彼の前には美咲が仁王立ちしていた。 「織田さんはね。顔で笑って心で泣いているのよ。あんたに気遣って笑顔を作っているのがわからないの?」 「……そうなのか、織田」 「まあ、そんな感じです」 「そもそも。そんな狭い心ではナンバー1には程遠いわ。月末になっておたおたして。私に言われたくらいで怒鳴ったりしてさ。今回の負けは全部黒沼さんのせいよ!」 「美咲さん、いい過ぎじゃ」 「離して!私はどうせクビだから言わせてもらいます!美人にはデレデレ。私のような女にはぼろくそ。確かに見た目も大事だけどそれは魅力の一部であって、全部じゃないの!」 「一部であって、全部じゃない……」 「そうよ!織田さんは黒沼さんのために、こうして元気な振りしてきてくれたのよ?それがわからないようじゃ、あんたは一生負け犬よ!」 美咲はそういうと奥の事務室に入って行き、すぐに上着を着替えて出て来た。 みんながあっけに見ている中、ペコとお時儀をして玄関を出て行った。 「すげ」 「何か……かっこいい」 この誰かの呟きに、黒沼は立ちあがった。そして玄関の外に走って行った。 彼女は風の中、歩いて行ったのが見えた。 「おーい!待てよ……はあ、はあ」 「なんですか。慰謝料請求ですか」 黒沼は上がった息を整えていた。 「確かにな。そうか、お前って頭いいんだな……」 「用がないならこれで」 「おっと」 すると黒沼は彼女の腕を掴んだ。 「済まなかった。謝る。この通り!だから戻ってくれ」 「離せ!もう、しつこい……」 「いいから黙って戻れ!な?この俺がここまで言っているんだぞ!」 「その態度がダメだっていってるのに」 美咲は彼の腕を払った。 「それに!これって、自分の体面で言ってるんでしょう?自分のせいで私が辞めたとなったら、評判落とすから引きとめているくせに」 「ハハハ。お前、すごいな!」 「開き直り?まったく最低、非道男!」 怒る美咲に黒沼は目を細めていた。 ……こんなに今まではっきり言ってくれる人は初めてかもな。 自分でも外面が良い事は自覚していたが、それについて他者がどう思っているいるのかずっと気になっていた黒沼は、美咲にはっきり指摘され今は嬉しくなっていた。 「私の事なんかほおっておいて!」 「いいから、いいから。戻るぞ!ほら、美味しいカステラ食わしてやるから……」 「私はダイエットしているんですよ!バカにしないで!」 朝日の中で腕を引き合っている二人を帯広営業所の社員達は会社の窓から見ていた。これに水前寺所長が気が付いた。 「おい織田。なぜ黒沼は清掃員とあんなところで相撲を取っているんだ?」 「ふふ。はははは!確かに」 ……そうだよな、俺もくよくよして居られない。 織田は社員を前に振り向いた。 「みなさん!昨日は僕の応援をしていただき、ありがとうございました」 今の今までは織田は営業所の人達に、昨日の敗戦を謝ろうと考えていたが美咲と黒沼を見て感謝に切り替えた。そんな織田の笑顔に一同は、注目した。 「一番にはなれませんでしたが、年間売り上げの戦いはまだ残っています。これからもどんどん仕事をしますので、どうぞ楽しみに応援してください」 いいぞと社員達は拍手をした。 「ありがとうございます。では、さっそくの仕事であの二人を連れ戻してきます。では!」 新人戦で僅差で負けた織田がいる営業所は、いつもの雰囲気に戻っていた。夏の訪れの大平原は笑顔の花が広がっていた。 完     
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