134 私を写真館に連れてって

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134 私を写真館に連れてって

「……好き!好き!良子(よしこ)ちゃーん、良子ちゃん。好き好き、はあ、こりゃこりゃ、と」 自宅の部屋で掃除機をかけていた良子は、かがんでソファの下に掃除機を突っ込んだ。 「うわ?なんだろうこの封筒……」 スイッチを消し、封筒を見るとそれはマイナンバーに関する書類だった。以前これを受け取った事をなんとなく思い出した彼女は、掃除を終えた後、封筒を開けた。 「何だって……ああ、マイナンバーをカードにするってか。ふーん」 札幌市から送られていたマイナンバーカードをまだ写真付きのカードにしていなかった良子は、この件を明日、会社で相談する事にした。 そして翌日のお弁当タイムでこの話しをした。 「私もまだそのままですよ。番号だけしか使わないから」 「うちも。家のどこにあるんだろう」 総務部のくせにいい加減な美紀と蘭の意見を無視した良子は、リスペクトしている小花に訊ねた。 「ねえ、ねえ。小花ちゃんは?マイナンバーカード作ったの?」 「はい。以前掃除していたビルのオーナーさんが写真屋さんで。モデルになって欲しいと言われてついでにマイナンバー用の写真を撮って下さったんです。だからその勢いで作りましたわ」 「へえ?プロに撮ってもらったんだ」 うんと頷いた小花は、茹で卵にフォークを刺した。 「そこの写真館は老舗でススキノのホステスさんとか、美人ママさんの予約でいっぱいなんです」 「なしてそんなに人気なの?カメラマンがイケメンとか?」 蘭の言葉に小花は目をパチクリさせた。 「どうしてかしら……。看板には『実物よりも綺麗に映します』ってあるから、それかしら」 この言葉に良子は食いついた。 「ねえ!小花ちゃん!お願い、私をその写真館に連れてって!」 「いいですけど。多分、お高いですよ」 「何を言ってんのよ!ここはお金を掛ける所じゃないの。ああ……どうしよう?エステの予約をしないと……」 「ウフフ。写真屋さんは逃げませんわ。ではまずは、お弁当を食べましょうね」 こうして和やかにランチを済ませた小花は、この後、良子の都合を聞き、写真館に予約を入れた。 そして当日。二人は写真館で待ち合わせをした。 「良子部長、こちらへどうぞ。ここで一度スリッパに変えてくださいね。うん!やっぱりそのスーツがお似合いですわ」 着る服を散々悩んでいた良子に、小花はこの千鳥格子模様のスーツが一番良く似合うと勧めていた。 「ありがとう……小花ちゃん。皆さま。今日はよろしくお願い申し上げ(たてまつり)ます……」 余りの緊張で『奉る』などとおかしな事を言い出した良子にカメラマンの社長は、微笑んだ。 「緊張されているのですね。ええと良子さんとお呼びさせてくださいね。まずは、イメージを確認させてください。どうぞこちらへお掛け下さい」 通された部屋で良子は女性アシスタントの質問に応えた。 「事前に小花さんから伺っておりましたが、今回はマイナンバーカードのお写真と、プライベートのご自宅用のお写真ということで宜しいですか?」 「はい!そうです!」 「後ですね。お写真にも色々ございまして……例えばこちらの美魔女コースというのがございます」 アシスタントの説明によると、写真を加工修正してくれるものと言う事だった。 「お見合い写真や、最近ですと婚活用のお写真にご利用いただいております。具体的に申しますと、顔のエラを小さくするとか、あとは顔のほうれい線を消すとか」 「美魔女コースで!ええと、財布は」 「お金が後で結構ですよ」 こうして撮影に入る前に、美魔女コースに付いているメイクも施してもらった良子は、カメラマンがスタンバイしている間、小花と控室で待っていた。 「ねえ、小花ちゃん。さっきの部屋に見本の写真が飾って合ったんだけど、あの『少しでも若いうちに撮りましょう』って書いてあるのはどういう意味なの」 すると小花は、優しく教えてくれた。 「お歳を召した方って、ご自分に何かがあった時のために写真を撮りにいらっしゃるんですが。そういう時って、病気になった時とかその……具合が悪くなってからお越しになるようなんです」 「確かにそうよね。すると元気のない姿になっちゃうか」 小花は頷いた。 「そうなんです。ここは老舗でわりと高齢のお客様が多いので、社長さんは健康なうちに好きな服を着て、少しでも若くて元気なお姿で写真を撮って欲しいと、願いを込めていらっしゃるの」 遺影の話をしている小花の言葉に良子は感動で目を輝かせた。 「良い話しじゃないの!気に入ったわ」 「お客様。ご用意ができました」 この時、スタジオからアシスタントが呼びに来た。 「じゃ、行ってくるけど……ねえ、やっぱり小花ちゃんも来て」 「いいですわよ」 こうして良子の写真撮影がスタートした。 籐の大きめな椅子に腰かけた良子は、アシスタントの細かい指示に従いポーズを取った。 「足は、こっちと。ここはこうで」 美しく見せるポーズは現実的な動きではないので、良子の足は引きつりそうだったが、美のために彼女は笑顔を作った。 「……右手をもっと……そう。左肩が下がっているので上げて……。いいかな。撮りまーす!」 三脚に立てたカメラで何枚か撮ったカメラマンは、室内にあるモニターで写真を確認した。 「どれかな……五枚目か。どうかな?小花ちゃん」 「私もこれが良いと思います」 「後はこっちで修正するから。はい。お疲れ様でした」 カメラマンがにこやかに声を掛けたが、良子は椅子に座ったままだった。 「あのぅ。すみません。もう一枚、お願いしたいんです」 てっきり別ポーズを希望していると思ったカメラマンは、いいですよ、と椅子を片付けようとした。しかし。その時、良子が控室から大きな紙袋を持って来た。 「お恥ずかしいのですが、この子と一緒に撮っていただきたいのです」 そういって彼女は紙袋から薄汚れた古そうな熊のぬいぐるみを取り出した。 「良い年をして、とお思いかもしれませんが……」 良子は恥ずかしそうに語り出した内容は、この熊のぬいぐるみは、幼い頃に亡くなった父親が自分に買ってくれた宝物だということだった。 「今まで何度も捨てようと思いましたが愛着がありまして、こうして何年も部屋に置いているんです」 「恥ずかしい事なんかありませんよ……この子の名前は?」 「え?あの……くうちゃんです。熊のくうちゃん」 「良い名ですね。さあ、くうちゃんと撮りましょう。背景はどうかな。ちょっと待ってください」 老舗写真館の二代目社長の愛に、胸がジーンときていた良子の元に小花も寄って来た。 「もう!どうしてそんな大事な事を言って下さらないのですか?」 「ごめん!だって笑われるかと思ってたの。でも、さっきの『若いうちに撮りましょう』の話を聞いてさ、何か勇気が出てさ」 「何を言っているんですか?さあ、撮りましょうね。くうちゃんと」 こうして良子は膝にくうちゃんを載せた写真も複数撮った。こうして撮影を終えた二人は写真館を後にした。 「さあてと。御礼に御馳走するわよ、っていうか。ホッとしてお腹が空いてさ」 すると小花はわざと怖い顔をして良子を睨んだ。 「ダメですわ。まず、くうちゃんをお家に返してあげないと」 「そうか?ごめんね……くうちゃん」 二人は地下鉄に飛び乗ると、あっという間に良子の住むマンションにやってきた。 小花はマンションのエントランス内で食事をする店を探していると言い、ここで待っていた。 「お待たせ!くうちゃんは部屋でお休みさせてきたし、ついでに着替えて来ちゃった」 「いいですわよ。さあ、行きましょうか?」 小花の見つけたフレンチの店は、今夜彼女が良子を連れて行こうとした写真館近くのフレンチレストランの姉妹店だった。この店が良子の住むマンション近くにもあるので、二人は歩いて十分程で店にやってきた。 「今晩は。……予約はしていないのですが」 「少々お待ち下さい」 他にも数組の客達が、席が空くのを待っていた。 やがて順に呼ばれたが、用意された席が不服で窓側の席が良い、と中年の客はこの席を拒否していた。 「あの。私達はどこでもいいですよ。その席で結構ですわ」 この小花の声に店員は反応し、この席は小花と良子が座る事になった。 「そうか。この席はお手洗いが近いんですね」 「いいのよ!行きやすいじゃないの。さあ、何食べようかなー」 この時、店員がお冷を持って来た。 「お客様。実は先ほどコース料理をキャンセルされたお客様がいらっしゃいまして。料金はこちらでサービスさせていただきますので、ぜひいかがかと、シェフが申しております」 「私は何でも結構ですわ」 「うん。私も好き嫌いないし。それを下さいな」 「承知しました」 こうして彼女達のテーブルにはコース料理が次々と運ばれてきた。 「……鴨肉のローストでございます」 「美味しそうですわ。あ、良子さんにワインのお代わりをお願いします」 「はい。お味はいかがですか?」 「鴨肉だから硬くて臭いかなと思ったけど。柔らかいし……鳥肉の美味しさがぎゅうと詰まっている感じ!このソースも赤ワインが効いて美味しい…あー幸せ」 嬉しそうに食べている良子に、店員も口角が上がった。 やがて最後のデザートの時に、オーナーシェフ自らワゴンを押し、彼女達に振る舞うスイーツを運んで来た。 「本日はご利用ありがとうございます。最後にこちらのお菓子を好きなだけお選び下さい」 「好きなだけ?どうしよう、小花ちゃん」 「さすがに全部は無理ですね……ええと私は……」 「私は決めたぁ!これとそれとあれ!」 彼女達にお菓子を切り分けながらシェフは楽しげに話しだした。 「突然ですが、お客様は『座敷童』ってご存知ですか?」 「古い家にいる子供の妖怪ですか?」 「お若いのによくご存じで。これは悪い妖怪ではなくて、むしろ幸運と言われています」 シェフは笑みを浮かべた。 「実は以前、この店に来た霊能者がここに座って、『座敷童がいるから、この席は無くしてはならない』と言うんですよ」 「え!ここが?!」 「まあ、でも何もいませんわ」 驚く二人に彼は謝りながら話した。 「すみません。でもここは見ての通り良い席ではないので普段は使用しておりません。しかし。今夜はお客様をお待たせしていたので、私も許可したのですが、不思議な事に、この席で良いと言ってくれるお客様が毎回必ず現れるのです」 「それが今夜は私達だったってこと?」 「たまたまですのにね」 疑う良子にシェフが微笑んだ。 「そうなのです、しかもです!」 座った客達は、告白して成功したとか、試験に合格したとか、ラッキーな事があると彼は話した。 「でもこれは自らここに座ったお客様だけに起こる事なのです」 「じゃあなに?私達も素敵な事があるってこと」 「良子さん。もうあったでしょう?今夜のコース料理」 「えええ?なんかこう、もっと宝くじ的なものがいいわ」 そんな強欲な良子に彼は皿を並べた。 「さあデザートです。そちらのスプーンとフォークを御使いください」 こうして楽しい食事を済ませた二人は会計でもめたが、今夜も良子が自分が払うと男前に決めた。 「今夜はコース料理でしたが、他にも千円以内の一品料理もありますので」 「美味しかった……私、近くに住んでいるので。今度は一人で来ます!ああ、ごちそうさまでした」 良子が見送りのシェフに挨拶した後、小花も挨拶をし、店を後にした。 「はあ。お腹一杯。さて帰ろうか」 「帰りにラスクをお土産にくれましたわ。はい、これ良子さんとくうちゃんに」 「ええ?くうちゃんにもくれるの」 うんと小花は笑顔を浮かべた。 「だって。くうちゃんも頑張ったじゃないですか?褒めてあげてくださいね。それではお休みなさい!」 そういって彼女は自分が貰った分を良子に渡して帰って行った。その後、一人暮らしの自宅に帰って来た良子はいつものようにくうちゃんに話しかけた。 「ただいま!あのね。くうちゃん……。小花ちゃんがね、頑張ったくうちゃんにお菓子くれたよ」 良子は上着を脱ぎながら、ぼつと呟いた。 「は、初めてだね。物なんかもらったの……良かったね。くうちゃん……」 こんなぬいぐるみを大事にしていることを、どこか恥に思っていた良子は小花の愛とワインの酔いで声が詰まった。 「は、はい。どうぞ」 涙で声が詰まった良子は、ラスクをそっとくうちゃんの前に置いた。一人暮らしの部屋はどこか寂しく、けれど温かった。 その頃。小花は食べ過ぎを解消しようと地下鉄に乗らず、徒歩で家に向かっていた。やがて小一時間かけて中島公園近くの自宅に戻った彼女は、家の前に車が停まっているのに驚いた。 「どうなさったんですか?姫野さん、風間さんまで」 「どうしたのって。知らないの小花ちゃん」 「お前。今夜は写真館のそばのフレンチに良子部長と行ったんじゃなかったのか?」 やけに焦っていた姫野と風間に小花は首を傾げた。 「行きましたけれど、一度良子部長の自宅に戻る事になりまして、その店ではなく、他のお店に行きました」 「はあ……」 「小花ちゃん!良かった」 「え」 姫野は小花の両腕を掴み、風間は背後から彼女の肩に手を置いた。 「な、何か遭ったのですか?」 「高齢者の事故だ。あのフレンチレストランに車が突っ込んだんだ」 「そうだよ。結構被害が大きくてさ。怪我人が緊急配送されたって夏山のメールが着てさ。俺が紹介した店だったから。小花ちゃん電話もでないし」 「ごめんなさい?バックの奥に入れっぱなしだわ」 すると姫野は恨めしそうに彼女をじっと正面から見つめた。 「お前、一体どこで何をしていたんだ……」 「良子さんとお食事を」 すると彼女の背後から風間は耳元に呟いた。 「こんな時間まで?それにやけに汗までかいているし……」 心配でたまらなかった姫野と風間は、のんきに帰って来た小花に頭に来た。 「人がこんなに心配していたのに。お前と言う奴は!」 そう言って姫野は彼女をぎゅうと抱きしめた。 「きゃ?ちょっと姫野さん!」 「俺だって心配したんだよ!」 そういって風間は彼女を背後からふわと抱きしめた。 「もうお二人とも!離して下さい。怒りますよ」 「うるさい。俺達はもっと怒っているんだ」 「そうだよ。自覚が足りなさ過ぎ!」 これに根負けした小花は、すっかり脱力した。 「はあ。わかりました。心配かけてごめんなさい。姫野さん。風間さん」 分かればいいんだ、分かればと二人は呟き、彼女を解放した。 今夜は遅い時間だったので、二人は家には上がらず帰って行った。こうしてシャワーを浴びた彼女は、明日の天気を調べましょうとテレビを点けた。 「まあ。地下鉄って事故で止まっていたのね。ちっとも知らなかったわ」 濡れた髪を拭きながら彼女はスマホをチェックした。そこには姫野と風間から何度も連絡の記録が残っていた。それ以外に、良子からのメッセージが着ていた。 「『ありがとう』まあ?ウフフ。くうちゃんか」 椅子に足を投げ出して座りラスクを持ったくうちゃんがそこに映っていた。これを見た彼女は優しく微笑んで、スマホをテーブルに置き、窓辺に向かった。 窓から見える月に照らされた庭には桔梗の花が揺れていた。 ……あれは……お母様のお好きな花…… その脇には都わすれが咲いていた。 ……あれは、お婆様のお好きな花…… その向こうには花を落とした木が見えた。 ……あれはお父様がお好きな薔薇。あのラベンダーはお兄さまのお好きな香り…… 家族が会話しているような夜の庭を眺めた小花の頬には、いつの間にか涙が伝っていた。 ……会いたいな、みんなに。 両親は亡くなり、祖母は施設に入り小花の事は忘れてしまっていた。兄は近くにいるが、妹の関係ではなかった。 夜の自宅は虫の声が響き、小花は一瞬、独りぼっちになった。 ……ん?また連絡が来た……姫野さんだわ。早く寝ろって。 これを読むことで眠れないと思った、小花は思わず笑みをこぼした。 ……そうよ。鈴子はひとりぼっちじゃないわ。うるさいくらい心配してくれる素敵な方達がいるのだもの。 小花はカーテンを閉め涙を拭った。そして髪を乾かすために洗面所に向かった。 月が照らす夏の夜。庭に咲く思い出の花達に囲まれた彼女は、今夜も一人眠りに着いた。 完                            
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