135 恋ゴルフ 6

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135 恋ゴルフ 6

「ねえ。菜々子さん、聞いているの」 「聞いているわよ。事務服でしょう」 「そう。だってありきたりなんだよ?ずっと変えてないんだから」 慎也の打った球は落下し、落ちていた球に当たって、ビリヤードのようにカツーンとはじけた。 「古い物にも良さがあると私は思うけど。それでどうする事にしたの」 パコーーン! 「……いい感じ。女子社員に好きな制服を着せて、社員と来訪者にインスタにいいね!付けてもらって選挙で決める事にしたんです」 パコーーン! 「熱心ね。私は制服なんかどうでもいいと思うけど」 そういって菜々子は慎也の他のクラブをタオルで拭いていた。 「そうかな」 パコーーン! 「ナイスショット!でも、男の人はやっぱりそういうのは気になるのか……」 菜々子はそういって考え込んだ。 「女の人だって気になるでしょう?カッコいい人の方がいいだろし」 「私はそんな細かい所まで見る余裕は無いもの」 「じゃあ、どこを見てるんですか」 「全体的な雰囲気。服とか持ち物とかどうでもいいわ。だってそういうのはいくらでも取り作る事ができるから。でもその人の性格っていうか考え方って誤魔化せないもの」 パコーーン! 「ふーん。じゃあ菜々子先生は、男の人の外観とかはどうでもいいの?」 「清潔ならね。私は見た目よりも、私を大切にしてくれる人がいいな」 慎也のクラブを拭きながら話す彼女の言葉に、慎也は思わずドキとした。 ……本当に中身は乙女なんだよな、この人。 そんな年上の女性にゴルフを教わった彼は、今度菜々子の職場であるプリンセスホテルで開催される医療フォーラムに行く事を伝えた。 「それって確か。軽食付きでしょう?私、シフトに入っていたわ」 「ふーん。じゃあ逢うかもな」  すると菜々子は時計をみた。 「さあ、今夜はもう帰りなさい。明日の仕事があるんでしょう」 「まだ大丈夫ですよ」 すると菜々子は首を横に振った。 「健康管理も仕事の内よ。ちゃんと睡眠を取って下さい」 そういって彼の帰り仕度をした。 「菜々子さんは。まだ仕事なの?帰るなら送るけど」  優しい声だったが、恋愛経験ゼロの菜々子は、甘える事ができなかった。 「……うん。まだやることがあるから。慎也君は帰って下さい、あ、カードを通すね」 スロットが回る、慎也が押すが今夜もはずれだった。 「惜しかったわね。はい、これ」 「本当にまだ掛かるんですか?俺、待ってますよ」 優しい声だったが、やはり菜々子はこれに甘える術を持っていなかった。 「良いから!お帰んなさい、慎也君お疲れ様でした」 こうして彼を返した菜々子は雑務をこなし、一人バスで帰った。 帰宅した一人暮らしの部屋。今日も仕事とゴルフの練習で汗をかいた彼女はお風呂にお湯を張り身を沈めた。 ……待ってますよ、か。 今夜の慎也の事を想い、彼女は湯船で手足を伸ばした。 ……でもな。年下だし。社長さんだし。 自分はゴルフの師匠として慎也に信頼されているのは自覚していた。 ……私がしてあげられることは、社長として恥ずかしくない程度までゴルフができるようにしてあげられる事くらいだよね……。 自信のない彼女は、この初恋を実らない方向へ持って行こうと思っていた。 その週末。プリンセスホテルで夏山愛生堂も参加する会(『46話 夏の成人式』です)が始まった。 高明な先生が来て参加者を前に講釈を始めた。スクリーンにパワーポイントの資料を当てて紹介するため照明を落としたこの鳳凰の間は、参加者の眠りを誘っていた。 『それではここで、世代によって感じ方が異なるという研修を行います』 ここで菜々子は指示通りに照明を明るくした。 『まずこの色をご覧ください。何色に見えますでしょうか、口に出さずお手持ちの紙に書いて下さい。はい、終了です』 そして講師は参加者に訊ねた。 『そこのあなた、この色は何色でしたか?』 指された風間は。 「ラベンダー色です」 すると今度は松田が指された。 「すみれ色ですね」 今度は石原と渡が指された。 「藤色です」 「自分はあけび色で」 二人の古臭い発想は参加者の笑いを取った。 そして次の色。講師はまた各自に書かせ、夏山の四人に答えさせた。 「サンドカラ―」 「ベージュ」 「黄土色」 「……尿?」 参加者はすっかり渡の答えを期待するようになった。 その後も。 「チョコレート色」 「ワインレッド」 「あずき色」 「乾いた血の色にしか」 「ライムグリーン」 「若草色」 「抹茶色」 「ショウリョウバッタ」 ……助けて?もう色の名前じゃないよ……。 会場内で待機していていた菜々子は、夏山愛生堂の社員の答えに笑いをこらえるのに必死だった。 『もういいでしょう。こういう風に同じ物を見ても世代によって感じ方が異なります。これを頭に入れて医療の現場も……』 こうして研修会は終了した。 『皆様に申し上げます。隣の会場で軽食をご用意しております。ささやかですが歓談を行いたいと思いますので、移動をお願い申し上げます』 司会者の声に、参加者は立ち上がり移動を開始した。この誘導に菜々子も出て来た。 「お忘れものはございませんか?あ、あの、こちらの赤いハンカチは」 「あ?俺のだ。ありがとうな」 そういって石原はうれしそうに受け取った。すると菜々子は声を掛けられた。 「あの。私の靴を知りませんか?」 「え?靴ですか?」 渡に聞かれた菜々子は、彼の言葉を疑った。 「靴って履いていた靴ですか」 「ええ。靴がきつかったのでこっそり脱いでいたのですが、いざ穿こうとしたら行方不明でして」 すると慎也が手を振ってやって来た。 「いた!ねえ、この靴、渡さんの名前が書いてあったけど、みんなに踏まれてぐちゃぐちゃ」 「いえいえ、初めからこんな感じでしたでお構いなく!すまんですな。社長に手を煩わせて」 「本当だよ!全く」 「よ、よかったですね。フフフ」 背を向けてコロコロ笑う菜々子に、慎也は口角を上げた。 「あのね。菜々子さん。うちの社員のおトボケはこんなもんじゃないから覚悟してよ」 そう話す今の慎也は、クールビスのスーツ姿。いつもゴルフ練習場に来る彼とは違って、社長の顔でカッコよかった。 ……やっぱり本物の社長さんなんだわ。 「わかりました。お客さま。靴は履けましたか?そうですか、では隣室に移動になります」 そういって彼女は渡を連れて行った。慎也はそんな仕事姿の彼女を見ていた。 ……プリンセスホテルの制服姿も可愛いな。 「よっと」 慎也はそんな彼女の写真を撮った。でもこれは誰にも教えなかった。 そして隣室。立食スタイルの会食が始まった。セルフで料理をとるが、一部の料理はホテルの従業員が皿に乗せてくれた。 「すまないが、このサラダに塩辛を乗せてくれないかな」 「ちょっと!石原部長、恥ずかしいからやめて下さいよ」 石原を風間は注意した。ここに松田が顔を出した。 「風間君、ちょっと来なさい」 背後からやってきた松田は風間を会場の隅に連れて来た。 「あのね。部長と一緒にいちゃ駄目じゃないの!仲間だと思われるでしょう」 「あ?そうか」 「風間はまだまだだな………」 そこへサンドイッチを持った姫野は眉をひそめて石原を見た。 「そうだ?あのね、私、着物姿の小花ちゃんを見たわよ」 「俺も。なんか爺さんと一緒だった」 「何だって?」 「成人式の写真の前撮りって言ってたわよ。日本人形みたいで綺麗だったな」 「……行ってくる!」 そういって姫野は風間に皿を渡し、会場から出ようとした。 「おお?姫野君じゃないか。久しぶりだね」 「先生……」 得意先の先生に捕まった彼は、簡単に挨拶を済ませて、会場を後にしようとした。しかし失敗した。 「おお。姫野君じゃないか?どうした最近は」 「先生……」 またしても先生に捕まった彼は、今度も簡単に挨拶を済ませたが、次から次へと話掛けられとうとう会談の終了までここから出ることができなかった。 「うううう。鈴子……」 「おい!姫野」 「姫野君。大丈夫?」 彼が見上げるとそこには菜々子がいた。 「菜々子先生、あ。そうかここにお勤めでしたね。しかし、なぜ慎也社長と一緒なのですか」 「フフッフ。姫野、菜々子さんは俺のコーチをしているんだぜ」 「え?菜々子先生、本当ですか?」 円山ゴルフ練習場は確かに姫野が慎也に紹介したが、まさかこんなに通っているとは彼は思っていなかった。 「そうなんです。最近は毎日のように通っているんですよ」 姫野と面識のある菜々子はそう微笑んだ。この様子に姫野は思わずつぶやいた。 「しかし驚きですね。菜々子先生は、慎也社長みたいな男性が一番苦手ではなかったですか」 「おい姫野!なんでお前、そんな事知っているんだよ?」 「慎也君!姫野君は昔から通っているから気が付いていたのよ。そうなんでしょう」 「まあ。姫野じゃなくてもあんなにあからさまに避けられては誰でも気が付くけどね」 「うう。すみません……」 思わず小さくなった菜々子に、慎也はふと思い出した。 「いいだよ別に謝らなくても。そう言えばお前、知ってる女の子が成人式の写真を撮りに来てるんだって?菜々子さんに聞けばどこの部屋がわかるんじゃないか」 すると姫野は興奮して菜々子を壁ドンした。 「菜々子先生!今すぐ教えて下さい」 「キャ……」 「バカ姫野!」 慎也は二人の間に入り、悲鳴をあげそうになった菜々子を背にした。 「黙ってなよ菜々子さん。姫野、お前興奮しずぎ!」 「は?これはすみません……」 「し、慎也君。成人式の化粧ルームはこの部屋の真向かいよ」 「行ってみます!」 「あ。俺も見てみたい、じゃあな。菜々子さん!」 菜々子はそっと二人に手を振った。 「おーい星野。そろそろ手伝ってくれや」 「すみませんでした、南先輩」  菜々子は南に謝ると部屋の片づけを始めた。 「あの人達はお客様だからあのくらいの世間話はいいけどさ。お前って男嫌い直ったの?」 「いえ。まだ。あの……。さっきの人は知り合いなので」 「ほお」 「な、なんですか?」 「いや。平気な男もいるとわかって先輩としてほっとしたところだ。あ、それ重いぞ一緒に持つか、せーの……」 こうして菜々子は仲間と仕事をしていった。 ◇◇ 「あ、先輩!あの着物の女の子は小花ちゃんですよ」 「何だって……?おい、小花!」 しかし彼女は返事をせず渡軍団に囲まれたままだった。 「ちょっと!渡部長!」 風間の声を完全無視して渡はエレベーターの扉を閉めてしまった。 「くそ!階段で降ります」 その時慎也が姫野を止め隣のエレベーターに乗り込んだ。 「待て。ほらこっちの方が早い。それにあの着物姿だ。早くは走れないから玄関で追いつくぞ……そうだ。風間、悪いけど俺の車、地下に停めてあるから正面玄関まで乗って来てくれよ。俺は姫野に話があるんだ」 そういって慎也は姫野と1階に下り、風間が車を持ってくるのを待った。 「いないね、彼女。やっぱりさ、お見合いかなんかじゃないの」 「確認します……でないな」 スマホを強く握りしめた姫野に、慎也は真顔で訊ねた。 「あのさ。本当のところ、菜々子さんの男嫌いってどうなの」 「ああ?その話しですか。俺は俊也会長から聞いていましたし、これでも一応営業職なので、菜々子さんについては男が苦手なんだろうな、と思っていただけです」 慎也よりも菜々子を良く知る姫野の言葉に、慎也は頷いた。 「他にはさ、奈々子さんって、なんか腰が痛そうな時はあるんだけど」 「ああ。それは引退した後すぐ手術のせいじゃないですか。今は完治されていると思いますが」 「フーーン」 「しかし菜々子先生に教わっているとは。かなりの幸運ですね。彼女、特定の人に教えることはありませんから」 「他にも俺以外に仲間が二人いるんだよ」 「そう言う仲間は貴重ですから仲良くされるといいですよ……ん、あの車」 小花を捜索で苛立つ姫野達の前にジーゼルエンジンの四駆車が止まった。 「山岳パトロール?このホテルに何の用があるんだ?」 その時、風間の運転する慎也のプリウスが到着し、運転席から風間が降りて来た。 「はい。鍵です、社長……あれ、先輩、あそこを見て。着物の生地が玄関のガラスに映ってますけど」 「し!黙れ。あの社長、俺達後部座席に乗りますけど、反対側から降ります」 「え?何すんの」 慎也の返事も聞かずに姫野と風間は車に乗ったとみせかせて、玄関の植えこみに隠れていた。慎也は姫野の指示で出発した。 「爺。この車に乗るのですか?」 「お嬢様……爺のクラウンはバッテリーが」 この二人の姿をみた姫野は疾風のごとく飛び出した。 「お嬢さん、そのお着物では無理ではありませんか」 「その声は……」  こうして姫野は彼女を捕まえたのだった。 帰り道を運転している慎也は、菜々子の事を想っていた。 ……制服姿、カッコ良かったな! その時、慎也のスマホが光った。途中、ガソリンスタンドに停まった彼は、メールを確認した。 「今日のポロシャツ、え?スカイブルー?海から空かよ。これは行かないと」 これに微笑んだ彼は、仲間が待つ練習場へと急いだ。 札幌の夕暮れは彼らの心を揺らしていた。 「恋ゴルフ6」完
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