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141 恋ゴルフ 7
「どうしたのその腕?大けがじゃないの」
夜の8時の円山ゴルフ練習場。包帯の腕が痛々しい慎也を見て、菜々子は口に手を当てた。
「もうそんなに痛くないですよ」
「……バカじゃないの!?そんな腕で練習したらダメでしょう?」
そういって彼女は慎也からドライバーを取り上げた。
「痛くないのに……」
「痛くなくても治らないでしょう。一体何をしたらそんな傷に……」
「棒倒しだけど、もう大丈夫だから」
すると慎也は練習場の椅子に座って、じーっと菜々子を見ていた。
「ところで菜々子さん。今夜は何時までここにいるの」
「そろそろ上がるけど」
「明日の仕事は?」
「シフトは夜から。ねえ、どうしてそんなこと訊くの」
すると慎也は真顔で菜々子に向かった。
「……ちょっと付き合ってくれませんか。たまにはいいでしょう」
せっかく練習場に来たのに練習もできない彼は、いつもよりも元気が無く菜々子も心配になった。
「いいわよ。そろそろ次の練習の話もしたかったし」
こうして菜々子は慎也の車に乗って、食事に行くことになった。
「ところで。どうしてそんなに落ち込んでいるのよ。腕のケガと関係あるの」
「……あのさ。菜々子さん。お腹空いている?」
「まあまあだけど」
慎也はこのまま海までのドライブに付き合って欲しいと言った。彼の目に悲しみが見えた菜々子は、今夜のディナーをドライブスルーのハンバーガーに決めて、彼と供に夜のドライブに行く事にした。
札幌と小樽を結ぶ高速道路で夜の小樽を目指した。
押し黙っている慎也の横にいた菜々子は仕事の疲れと満腹感でいつの間にか寝てしまった。
「菜々子さん。着いたよ」
「……ごめん。寝ちゃたんだね」
慎也が停めたのは小樽の浜辺。遠くでは海水浴の客が浜辺でキャンプをしている明りが見えた。
慎也が停めた駐車場の外灯と海に浮かぶ月の明りを頼りに、二人は砂浜を歩きだした。
「ほら。手をつなごう。大丈夫、何もしないから」
波の音しかしない暗闇の砂浜を、慎也の差し伸べた手を掴み彼女は波に進んだ。
「急にごめん。どうしても今夜は一人でいたくなかったんだ」
「どうかしたの」
「……俺さ。すごい取り返しのつかないことをしちゃってさ」
慎也は手を離し、波に向かって進んだ。菜々子は慎也の横に急いだ。
「母親が俺のせいで死んだんだ」
「お母さんって。俊也社長の奥さんの事?」
「そう。親父の後妻の真子さん」
波風に慎也の髪は乱れた。
「親父が死んだ時に、彼女は妹を連れて家を出て行ったんだ。俺は元々この再婚に反対していたから、真子さんにはお金を払って居なくなって欲しかったんだ」
慎也は興信所を使い、父親の再婚相手の女性と、その連れ子の女性の行方を探していた。最近になって慎也は再婚相手の真子が亡くなっていたと知ったのだった。
「……」
「でもさ……。真子さんは……財産を放棄しててさ、一銭も受け取って無かったんだよ?俺全然知らなくてさ……」
泣きだした慎也を、菜々子はじっと見ていた。
「俺、その事、最近知ってさ、真子さんと妹を捜していたんだよ、そしたら、真子さん、ガンで死んでたんだ……」
「慎也君」
嗚咽する慎也を菜々子は抱きしめた。
「これってさ。俺が殺したようなもんだよね……」
「違う!?違うよ」
「……いいや。俺だ。親父が死んで俺が真子さんと妹を世話してやらなきゃいけなかったのに、どうして……う、うううう」
「慎也君……慎也君」
菜々子も泣きながら泣きじゃくる彼を、ずっと抱きしめていた。
「ごめん菜々子さん。どうしても、どうしても受け止めきれなくて……」
「いいよ。何でも吐き出しなさいよ。全部……」
どのくらい時間が過ぎたのだろうか。二人は疲れ果てて、砂浜に座りこんだ。
北の浜は潮風が寒かった。二人はくっついて座った。
そして黙って暗い水平線を見ていた。
「……妹さんはどうしているの」
海の向こうはだんだんと明るくなってきた。
「まだわかんない。捜しているけど、俺の事きっと恨んでいるよな」
やがて水の向こうは輝き出した。
「恨まれても。ちゃんと捜して謝ろうよ?そして妹さんを助けようよ」
「許してくれないよ……」
「それはそうよ。私なら絶対許さないもの」
菜々子はすくと立ち上がった。
「そもそも。許してもらおうなんて考える方が間違っているわ。でもね、それでも……慎也君には俊也さんや真子さんの代わりに、妹さんを幸せにしてあげて欲しいな」
「菜々子さん……」
座っていた慎也は涙をこらえた菜々子を見上げた。
「俊也さんだったら、そう、言うと、思う。……ほら立って!」
菜々子は慎也の手を引いた。水平線には朝日が見えて来た。慎也は菜々子の手を握る力を強めた。
「分かった……。俺、頑張るよ」
隣の菜々子はうんと強く頷いた。
朝日を見届けた二人は早朝の札幌に戻ってきた。
「私は夜から仕事だけど。慎也君はどうするの」
「……俺も今日は夜の飲み会だけだから、会社はサボろうかな。それよりも腹が減ったな」
「確かに。でもこんなに砂に汚れていたらお店にも入れないわ」
「着替えてから出直すか」
時計はまだ朝の5時だった。
「……う、うちで朝ご飯食べる?何か作るけど」
慎也の落ち込む姿に菜々子は勇気を出した。
「マジで?いいの?」
「作ったものに文句言わないでよ」
「やった……!で、車はどこに停めればいいの?」
こうして慎也は菜々子のマンションにやってきた。
「へえ?女の人の部屋ってこうなっているんだ」
「じろじろ見ないで。慎也君なら彼女の家くらい行くでしょう。それよりも、その服……。ああ。いいや。シャワーを浴びて!ほら早く」
部屋に上がらせる前に菜々子は慎也を浴室へ叩き込んだ。
……さっぱりした方がいいよね。
そして。痴漢防止用にたまに外に干す男性用の下着とハーフパンツを浴室に置き、彼に声を掛けた。
……朝ご飯か。
菜々子は冷凍してあった白米と鶏肉を解凍し、その間に玉ねぎを刻んだ。
慎也が出てくるまでこれらを炒めていた。
そこへ頭にタオルを巻き、菜々子の用意した服を着た慎也が出て来た。
「ねえ。なんで男物の服があるんだよ」
エプロン姿でフライパンを片手にしている菜々子の背に慎也は文句を付けた。
「女の一人暮らしだから……痴漢防止用にそれをたまに外に干すのよ。今話しかけないでよ……行くわよ?」
菜々子はそういうと、フライパンでくるんと黄色い物体をひっくり返した。
「お皿に……よっと!ほら綺麗にできた!どうだ、この実力!」
「すげ。オムライスだ……」
子供のように目をキラキラさせた慎也に菜々子はケチャップを渡した。
「はい。好きなように掛けてください。私は自分の分を仕上げるから」
そういって彼女はもう一度、くるんとチキンライスを卵で上手にくるんだ。
「ああ?さっきの方が上手くいったわ。くそう」
「見て見て菜々子さん。俺のオムライス!」
そこにはケチャップでLOVEという文字を筆記体で書こうとした形跡が合った。
「何これ?LOVEのつもり?」
「そう!写真撮ろっと!」
元気になった彼はパシャと何枚も撮っていた。
……良かった。
「さあ。ワカメスープを置くから場所を空けてね。あ、私のオムライスに勝手に書かないでよ」
慎也は勝手にカタカナでナナコと記した。
「不味そう……えい」
菜々子は自分のスプーンでケチャップ文字を消した。
「ひど!せっかく俺が書いたのに」
「いいから。食べましょう。いただきまーす」
「ダメ。俺が先に食べるから。いただきまーす。ん?チーズが入ってるよ。菜々子さん」
美味しい美味しいと食べる慎也に、菜々子はほっと胸を下ろした。
「ゴルフのアメリカツアーに参加していた時にね。ずっとこれを作って食べていたんだ」
「ねえ。もう無いの?」
「ええもう食べたの?仕方ない、私の半分食べていいわよ。ええと冷蔵庫にパンがあるから……慎也君。フレンチトーストとピザパンのどっちがいい?」
「どっちも!」
そして食べ終わった食器を洗っていた菜々子は、やけに慎也が大人しいな、と思った。
「ね、慎也君あの……ええ?寝ちゃったの」
慎也は勝手に菜々子のベッドで眠ってしまった。どうしよう?でも仕事は夜からだって言ってたし……。
まだ涙の跡が残る慎也の寝顔に、菜々子は諦めて彼をこのまま寝かせることにした。
そんな菜々子もシャワーを浴びて着替えをした。時計はまだ朝の8時だった。
菜々子は床にクッションを敷き詰めて出勤時間まで、眠った。
ピピピピ……。
「起きなくちゃ……そうだ、慎也君は?」
ベッドを見ると彼はいなかった。スマホには彼のメッセージで仕事に行くとあった。
これに微笑んで菜々子は出勤した。
翌日。円山ゴルフ練習場にいつもの慎也の姿が合った。
「慎也君。今夜も絶好調ですね」
「まあね。そうだ、向井君。車はその後、売れてるの?」
「はい。ここの練習場に来るようになってウソみたいに売れてます」
「一体何がそうさせるんだろうな」
「たぶん。みんな乗ってるから自分も乗りたいって感じじゃないですか」
「俺も買うかな」
「いいんですよ、無理しなくて。それよりもポロシャツです」
「そうだった?ええと。ブルーの季節は終ったんだよな」
「はい。午前中ここにきた野村君の話では、茶色っぽい色だったようですよ」
「青い空から、地面に下りて来たか……」
「はい!お喋りはそこまで。手を動かしましょう」
二人の元に菜々子がやってきた。
「今晩はよろしくおねがいします……」
向井が打つ様子を菜々子がじっとみていた。
パコーーーン!
「いいけど、引っ張り過ぎかな。次、慎也君」
パコーーン!
「どうですか?跳んだでしょう」
「僕よりも跳びましたけど、曲がってますよね、菜々子先生」
「そうね。全然ダメだわ。もっと練習して」
「ひど?あのさ……菜々子さん。俺は褒めて伸びるタイプなの、もっとこう、優しくさ」
ふざけて菜々子に近寄ってきた慎也に菜々子はドキドキした。
「ぜ、善処します。では二人で練習してください」
そしてこれを隠そうと回れ右をして、受付に戻った。
「お疲れ様です、菜々子先生」
はい、と小林コーチは飲み物を菜々子に渡した。
「いいえ。でもあの二人、上手になりました」
「あなたの指導のおかげでしょう」
「そんなことありません。私の方こそ勉強させてもらっています」
小林と菜々子は二人が戯れている様子に目を細めた。
「若い人は良いな……年寄りには眩しいですよ」
「何を言っているんですか?小林コーチはまだまだじゃありませんか」
「私の正体を知っているくせにひどい人だ……」
「すみません」
するとここに向井がやってきた。
「すみません。機械の故障でボールがどんどん出て来ちゃんです」
「大変!私行きます」
向井の背を菜々子は追った。その先ではどんどん出てくるボールを、ふざけてどんどん打っている慎也が見えた。
そんな子供のような慎也に、菜々子は笑いが止まらなかった。
完
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