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「姫野君。ちょっと来てくれないか」
「何ですか先生」
得意先のクリニックの院長室で話をしていた姫野は、院長に頼まれて廊下の先の院長の自宅へ足を運んだ。
「こっちだ」
「お邪魔します……」
院長の示した部屋には茶箱が置いてあった。
「これなんだがね。妻の実家を整理したら見つかったんだが、中身を見てくれよ」
「失礼します……うわ……たくさん入ってますね。あの、なぜこれを私に?」
蓋を閉じた姫野をみて院長は、そばにあったソファに座った。
「悪いがそれを持って行ってさ。価値があるかどうか確認してくれないかな」
「自分は専門家ではありませんが……鑑定に出してみては?」
「金が掛かるじゃないか。それに価値がなかったらどうするんだ?じゃ、頼むよ」
そういって院長はクリニックへ戻ってしまった。
……そんな事を言われてもな。
「姫野さん。すみません。無理を言って……」
「奥様。お気遣いなく」
院長夫人は申し訳なさそうに姫野に麦茶を出してくれた。
「これ。少ないですけど鑑定料に使って下さい。私は価値が無いと思っているんですが、主人は話を聞かないんです。一度分かる方に見てもられば気が済むと思うので」
「分かりました。一まずお預かりします」
こうして姫野は謎の茶箱を夏山ビルまで持って来た。
「なんだそれ?何が入っているんだ」
「その茶箱。古いですね」
石原と風間は恐る恐る箱に手を置いた。
「早く開けてくださいよ」
急かす松田に石原は首を振った。
「怖くて開けられねえよ?」
「いいから!ほら!部長が開けてくださいよ」
風間はそういって石原の背を押し、茶箱に向かわせた。
「やめろ?うわーー!いやだーー」
「……いいから、開けろ!部長でしょ!」
押し合っている二人を無視して姫野はこれをパッと開けた。
「ギャあ―――目がつぶれる?」
「なんだ。紙?」
ようやく歩み寄ってきた松田も中身を覗き込んだ。
「……古文書ですか?これ」
うんと姫野は真顔で頷いた。
「触るのは手袋がいいですよね。サンプルで手袋が合ったはずだな……」
こうして姫野は茶箱にたくさん入っていた古文書を一つ取り出した。
「広げてみますね……保存状態はいいですけど」
「読めねえな」
「……ここの漢字は『秋味』って読めますね」
「風間はこれを読めるのか?」
「秋味?この時代にビールがあるのか?」
驚く二人を他所に風間は読み続けた。
「『秋味』は鮭の事です。『請負人』……『箱館』……。ここは人数だから……たぶん鮭の漁の為に函館からバイトに来てもらったっていう感じの内容だと思いますよ」
「すごい?!風間君!」
風間の意外な一面に拍手する松田につられて姫野と石原も拍手をした。
「昔、書道を習っていたので、なんとなくですよ。他にもたくさんあるんですね……でも他は読めないです」
「清掃です。失礼します……まあ、これを虫干しするんですか?」
「鈴子―ー――!」
古文書を掃除していると勘違いした小花があんまり可愛いので、姫野は背後からギュと抱きしめた。
「俺を……俺を干してくれ」
「先輩。水臭いじゃないですか?それは俺に言って下さいよ。ほら部長、先輩の足を持って!」
「私は頭を持つわ」
「私も持ちます。ええと、腕でいいかしら?」
「くそーー!俺から離れろ!全く」
誰も突っ込まないので、姫野は自分で開き直った。
「しかし。やはり専門家じゃないと詳しく分からないな」
するとモップを持った小花が、目をパチクリさせた。
「読める人を探しているんですか?私、知っています」
「鈴子――――!」
再度彼女に抱きついた姫野の頭を松田がコツンと叩いた。
「まったく。小花ちゃんの顔を広さには参るわね」
すると彼女はひとまず写真を撮り、相手に送って見るという。
「これで良しと。メッセージは……『読んで』っと」
これだけですぐ返事が来ると彼女は言った。
「本当か?あ、鈴子、電話だぞ」
「姫野さん。出てください」
彼女にはい、と渡されたスマホを姫野は耳に当てた。
『もしもし?お嬢様。なんですかこれは?爺に何をしろと?』
「義堂さんですか?姫野です。すみませんが、その古文書を解読して下さい」
『はああああ?なぜ貴殿がこの電話に?そうか……この古文書はお主の仕事先の依頼か』
「さすが義堂さん。頭の回転が異常に早い」
『うるさいわ?なんで私がそんな事をブツブツブツ……』
ここで電話が小花に代わった。
「もしもし、爺?あのね……そうよ、うん、そうなの。だから読んでね。はい、どうも」
電話を終えた小花は一同を振り返った。
「読むって」
「鈴子――ー――!」
「おっと?」
彼女に抱きつこうとした姫野に石原が抱きついた。
「お前……いい匂いするな』
「くそ!俺から離れてください、もう」
そういって姫野は自分の身体に消臭スプレーを掛けた。
「……さあ、運動終り!仕事ですよ」
こうして松田の声に目を覚ました一同は、午後の仕事に取り掛かった。
そして義堂から改めて実物が見たいと連絡が来たので、この茶箱を小花家に運び、義堂に鑑定してもらう事になった。
そして約束の夜。小花家に義堂がやってきた。
「……おやおや夏山愛生堂の星、北の狩人姫野殿がお出ましとは。貴殿の会社はよほど暇と見える」
「狩人ってなんですか?ちなみに自分がいなくても会社はなんともありませんし、それにこれは頼んだ話しですので。まあ、上がって下さい」
「ここはお嬢様の自宅ですぞ?まったくふてぶてしい」
そう毒を吐いた五本指ソックスでジャージ姿の義堂はスリッパを吐き、リビングへ進んできた。
「いらっしゃい!爺もお腹が空いたでしょう?」
夕飯を用意して待っていた小花に義堂は目を細めた。
「……この匂いは、海鮮カレーですな。後ほどいただくとしましょう。まずは古文書を」
姫野は義堂に手袋を渡しながらと奥の座敷へやってきた。
「ふんふんなるほどな……」
中から慎重に取り出した古文書をふわと読んだ義堂は、数日預かりたいと申し出た。中身の数を確認し合った二人は、同じテーブルでカレーを食べ始めていた。
「姫野殿。アレを読むにはもう少し情報が必要じゃ。まず」
義堂は所有者の住所、職業、出身。茶箱の合った部屋の場所などを聞いてきた。
「わかりました。確認してメールします。しかし、古文書が趣味とかですか?」
「古文書が趣味ってなんじゃ?お主はアホか?お嬢様、ライス少なめでお代わりです」
小花がキッチンに消えた時、義堂は姫野に呟いた。
「……姫野殿。古文書の事はお嬢様にはこれ以上話すな!よいか?」
「わかりました」
そこへ何も知らない小花がお代わりのカレーを持って来た。
「ウフフ。姫野さん。義堂は源義経の生まれ変わりだから、歴史に詳しいのよ」
「ハッハハハ。どうだ。参ったか?」
「聞き違いかな……すみません。もう一度言って下さい」
「あのね。義堂は源義経の生まれ変わりなのよ。姫野さん」
「そうじゃ。すげえだろう?アハハハハ」
あまりのスケールの大きな話に姫野はスプーンを置いた。
「まあ、そう怒るな。わしの実家は代々お堂を守っておってな」
そのお堂に義経の兜があるという。
「わしが子供の頃、さすらいの僧侶がお堂に泊まってな。彼は弁慶の生まれ変わりで、わしを義経の生まれ変わりと言ったのだ。それ以来わしはどんな前世占いをしても義経とでるようになったのだ」
「とても……そうは見えませんが」
「そうでしょう?でも、とにかく義堂は義経を研究しているの。だから古文書も読めるのよ、ね?義堂」
やけに仲良しの二人に姫野はちょっとイラっとした。そして食事を終えた義堂は、山岳パトロールの車に茶箱を載せて帰って行った。
「……さて、俺も帰るか」
「忘れ物はないですか?」
「ん?そうだった」
彼は正面から彼女をふわと抱きしめた。
「少しだけ。このままで」
「姫野さん」
数分後。充電完了した姫野は彼女の頬にキスをして小花家を後にした。
そんなこんなで義堂へ情報を送った姫野に、あっという間に解読したと義堂から連絡が入った。しかし。小花がいない場所で話をしたいという義堂の指示で、平日の午後、姫野は北海道立文書館にやってきた。
受付の人に姫野の名を告げると彼は奥の部屋に通された。
「あ。来たな。こっちですぞ。ぼけっとするな!駆け足じゃ」
「うるさいな。こんにちは……これは預けた資料ですか」
茶箱に入っていた古文書の内の数点はここで広げられていた。
珍しくスーツ姿でビシと決めた義堂は、姫野に読み方を簡単に説明した。
「……で、結論から申しますと。価値があると言うか、興味深いのはこの三通です。その前に、北海道の古文書の特徴をお話しするので、とくと聞け」
彼によると北海道は開拓の歴史があるので、道外からやってきた開拓者と供に古文書も北にやってきたと話した。
「まあ、国を出る時に一緒に持って来たんでしょう。だからあの茶箱にも色んなものがございました。後は、比較的新しい物が多いのです。江戸の末期が主になりますかな」
「でもその三通は価値があるのですか」
義堂は頷いた。
「色んなマニアがおるので一概に言えませんが。まずこれはススキノの御屋敷にあり、持主は産婦人科。合った場所は屋根裏部屋で間違いないですな?」
「奥様はそのように言っていました」
「……では説明するぞ」
『秋味』と読めた古文書は海運業に関する文書でありよくある古文書だと彼は話した。
「しかしながら、その墨をご覧あれ。それは蛸の墨でした。これは面白い代物だ」
「へええ」
北の海で暮す人々の大らかな様子がうかがえて面白いと義堂は話した。
「お次はな、伊達政宗の文じゃ。まあ、写し、いわゆるコピーだが、それにしても貴重じゃ」
「へええ?これが」
にわかに信じられない姫野は目を丸くした。
「これが津軽海峡を越え道外から持ち込まれたという事実もまた価値を高めておる。そして最後に。これです……」
そういって義堂は古文書を開いた。
「これも価値があるのですか」
すると義堂は悲しい顔をしながら説明した。
「……これは北海道のハマトンベツからススキノに売られてきた娘の契約書ですな。借入金や、死んだ時の事がここにあります。ここじゃ、ほれ『家ニ返スベカラズ』とあるじゃろう」
「……そしてこれが、金額ですか?……そうですか」
姫野はようやく小花がいない場所で話そうといた意味に気が付いた。
「他の古文書もこういう文でした。おそらく茶箱の持ち主はススキノで広く商売をしていたんでしょうな。海産物の料理も出す店を経営していたのかもしれん。そして伊達正宗の書は、借金の肩に手に入れたかもしれませんな」
「……悲しいですね」
「北の歴史はそんなもんだ。だからここに住む人は明るくしようとするのかもな。さあ、姫野殿。最初の二通はネットオークションで販売も良いが、貴重な文化資料としてここでも預かってくれます。それは持ち主に訊ねられよ」
こうしてしんみりした二人は、北海道立文書館から出てきた。
「義堂さん。私はこれを持って行きますが、後日時間を作ってくれますか?御礼に御馳走させて下さい」
「要らんわ」
「でも鈴子が」
「行くか。じゃあ、雨の日な!」
そういって義堂は去って行った。
そして嵐の夜。彼らは宮の森ガーデンでジンギスカンを囲んでいた。
「しかし。なぜ風間殿まで?お前も暇じゃの」
「いいじゃないですか?来ちゃだめですか?あ。小花ちゃん。お肉が焦げているよ」
仲良くラム肉を食べている小花と風間を義堂は目を細めていた。
「ご安心ください。彼女は夏山でああやって皆と仲良く仕事をしていますので、はい肉です……食べて体力付けて下さい」
「ふん。こんなの食べなくてもわしは脱いだらムキムキじゃ……。ところでお主。あの古文書はどうした」
「内容を知った奥様は、義堂さんの助言の通りにあの二通を道立文書館に寄付されて、残りは御寺で供養してもらったと話していました」
「そうか……まあいいか」
こうして食事をしている時、風間が義堂に義経の事を聞いてきた。
「無論事実じゃ。ほれ、ススキノに占いの館があるじゃろう?あそこの有名な占い師の『ススキノレディ』にもそう言われたぞ」
「あのススキノレディはめったに占いしないんですよ?すごいな、あれ……どうしたの?小花ちゃん」
「その女性ってもしかして。髪が七色で白い服を着た大きな眼鏡の女性ですか」
「そうです。お嬢様もご存じでしたか」
小花は占い館のビルを清掃していた事があったので、占ってもらった事があると話した。
「あの方、私の前世を見て下さったんですが、当たって無いんだもん。インチキですわ」
「お前、何て言われたんだ?」
「鈴子の前世はメロンだって言ったんですよ?失礼でしょう?」
「メ、メロン?」
「お嬢様、それは聞き間違いでは?」
「私もそう思ったの。でもメロンだって言い張るんですもの。もう」
プンプン怒っている彼女を、二人は笑ってしまった。
「ハハハ。ごめんよ?だって、メロンってさ。メロンはないでしょ!」
「フッフッフ。すまん!つい」
「……もう風間さんも姫野さんも。義堂!帰りましょう。今夜は義堂の家に参ります!」
そう言って彼女は立ち上がった。
「おい?鈴子、そんなに怒るなよ」
「ごめん!もう笑わないから許して!」
すると黙って聞いていた義堂は、小花に向かった。
「……北の大地に舞い降りた、花の妖精鈴子様。そのように怒ってはなりませぬぞ」
「でも義堂!」
「メロンでいいではないですか。最高の果物です 。前世がメロンとは幸せ者ですぞ」
「そうだぞ。俺は大好きだ」
「俺も好きだよ!夕張メロンもマスクメロンも!」
「でも」
義堂はまだ腑に落ちない小花ににっこりほほ笑んだ。
「政令指定都市札幌を代表するツートップセールスマンの姫野殿と風間殿がそうおっしゃるのです。さあ、デザートを頼みましょうか」
「よし。俺と選ぼうか、何にする小花ちゃん?」
義堂の機転で機嫌を直した彼女をみながら姫野が呟いた。
「しかし、何でしょうかね。メロンって」
「……もしかしたら悲しい過去が見えたのかもしれんが、メロンとはな。まあいい良しとしましょう」
「慧眼恐れ入ります……」
思慮深い義堂に姫野は頭を下げた。
「古文書もそうだが……文章だけでなく、その見えない背景も加味せねば真実は読めぬものよ。貴殿はまだまだこれからじゃ……」
「はい。それにしても義経の歴史を調査とは面白い趣味ですね?」
「じゃろう?だかな、静御前の史跡がみつからんのだ……」
彼の話しによると北海道には義経や弁慶の話はごろごろあるが、義経の恋人の話がちっともないと話した。
「本州では福島か、岩手までしか静御前の話はないんだが、わしは北海道にもあると思ってずっと探しておるのだ」
「そうですか。あの無関係かもしれませんが」
姫野は自分の実家のルーツを話した。
「我が家に伝わる話なんですけど、洞爺湖の水鏡で髪をとかしていた姫がいて、その姫を助けて嫁にしたので我が家は『姫野』という姓になったとありまして、家宝はこのスマホの画像にある櫛なんです……これ」
「櫛……古そうですな」
「まあ、嘘かと思いますが、以前本州から義経研究している人が家に来て、これは静御前の櫛だ、なんて言い出したので。今では貸し金庫に預けているんですよ。バカでしょう?ハハハ」
「お主が静御前の末裔?バカな?わしらは前世、恋人同士になるではないか?おお、寒気がするわ?ギャハハハ!!」
「こっちだってお断りですよ。ハハハハハ」
普段は喧嘩ばかりしている二人が仲良く話をしているので、小花も不思議になった。
「ねえ。見て風間さん。いつも喧嘩しているのに」
「そうかな?あの二人ってさ。いつも本音で話しているよね。ひねくれ者同士で気が合うんじゃないの」
「そうかもしれないわ。あ?デザート頼むの忘れてたわ?」
「おっと?すみませーん!あんみつお願いしまーす!」
四人が楽しんでいる間に雨はすっかり止み、店に流れる庭の木々からの風が心地よかった。
赤い三角屋根の宮の森ガーデンからは今夜も笑い声がこぼれていた。
143話「よめますか」完
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