144 君は薔薇より美しい 70kg級

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144 君は薔薇より美しい 70kg級

「交換研修っていうのは、織田が札幌に行くんですか(41話をご覧ください)」 「そうだ。中央第一の風間君と交換だ」 「じゃ俺は、風間と仕事をするって事ですか」 帯広所長の水前寺所長に呼び出された黒沼と織田は本社から来た通達を手に取った。 「……では俺は、姫野さんのところか」 「なんだ。不満か」 「いえ?光栄だなって、うわ!」 すると隣に立っていた黒沼が、風間をヘッドロックした。 「お前な……そんなに嬉しそうな顔することないだろう!」 「ギブ!ギブアップ!……はあ」 技を外した黒沼は面白くなさそうに腰に手を当てて、資料を眺めていた。 「一週間か。ま、考えようによっては、面白いかもな」 その意地悪そうな顔に、織田は怪訝そうな顔で見つめた。 「止めて下さいよ、風間を苛めたりするのは」 「黒沼!いじめは絶対ダメだぞ。うちの営業所のスローガンを読んでみろ!ほら!」 水前寺は掲示された書を指さした。 「……『なかよし!帯広』……」 「忘れるなよ?ではそういうことで、よろしくな」 こうして了承した二人は、自分の席に戻ってきた。すると事務の真理が、回転椅子をクルリと回し、彼らを向いた。 「織田さん!いつから札幌に行くんですか?」 ものすごく早い情報漏れに、思わず織田は肩を落とした。 「どうしてそれを?」 「ここは狭い営業所ですし、所長が大騒ぎしていましたから」 「そうか。二週間後だよ。ああ、仕事を片付けないとな」 こうしてバタバタと二週間が過ぎ、いよいよ明日、札幌に行くことになった。 「はあ……あ。美咲さん。お疲れ様」 「織田さんこそ。お仕事を整理するのは大変でしたね」 「まあね……でも今は向こうで過ごすのがちょっと不安でさ。札幌の姫野さんっていうのが、超クセ者で難しい人みたいなんだ」 そういって織田は珍しく弱音を吐露した。 「それは誰から聞いたんですか?」 「黒沼さんだけど……何がおかしいんだい?」 ぞうきんを片手に持った美咲は不敵な笑みを浮かべた。 「こんな大きな会社でトップの成績の人でしょう?そんなわけないじゃないですか?黒沼さんの、焼きもちですよ。織田さんが楽しそうにしているから」 「俺、そんなに楽しそうにしてた?」 すると美咲はまた掃除の手を動かし始めた。 「織田さんはそんな事は気にしないで。札幌で良い勉強してきて下さいね」 「ありがとう。いつも悪いな。愚痴を聞いてもらってさ」 「いいえ。みんな織田さんを応援してますから、あ?帰って来ちゃった……お疲れ様です」 そういうと美咲はささと清掃をし、奥の部屋へ消えて行った。 それと行き違うように営業所に入ってきた黒沼は、どかと自分の椅子に座った。 「お前ら……また俺の悪口言ってたろ」 「……自分は言っていません」 「くそ!」 こんな感じで、織田は帯広を後にした。 そして月曜日。 帯広営業所に風間諒がやってきた。 「えー。みんなに紹介する。本社の中央第一営業所の風間諒君だ。一週間うちで研修をすることになった。さ。風間君。挨拶を」 すると風間が一歩前に出た。 「本社札幌から参りました風間諒です。右も左も、前も後ろもわかりませんが、どうぞよろしくお願いします」 前評判通りのほんわか優しそうなススキノプリンスの、おトボケ挨拶は、女子社員のハートを鷲掴みし、彼女達に激しい拍手をさせた。 「もう、いいかな。では君の席はあそこだ。黒沼、よろしくな」 「黒沼さん。風間です、どうぞよろしく……あの、何か?」 礼儀正しく挨拶した風間に、黒沼はニヤニヤしながら握手を求めた。 「……いやいやこれは……こちらこそよろしくな!相棒!」 そして背中をバーンと叩いた様子に、女子社員達は眉をひそめていた。 「ねえねえ、美咲ちゃん。どう思う?」 「意地悪する気満々だよ」 「確かにカッコいいもんね。じゃあさ、私達で守ってあげないとね、だって」 そう言って真理は所長の頭の上にあるスローガンを指した。 「『なかよし!帯広』か……わかった。私も協力する!」 こうして風間の初日がスタートした。 午前中。彼は社員一人一人に挨拶したいといい、これに時間を割いた。 そして昼には黒沼の得意先に同行し、夕刻、社に戻ってきた。 「いいか、風間?明日は早く出発するぞ。俺の得意先の範囲は広いんだ」 「ふあーい。あ、真理さん。お茶ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」 「え?……今までそんな御礼、言われたこと無いし?」 「そうですか?あと。俺、事務の人にこの辺の地図をコピーしてもらったんですけど。さっき忙しくて御礼を言ってないんですよ……あ、あの人だ」 そういって彼は席を外した。これを黒沼は頬杖を付いて眺めていた。 「……すみません。ゴミを回収します」 「おい、おい、俺を掴むな!なあ……お前の目からみて、あいつってどう思う?」 珍しく黒沼から美咲にまともな話をしてきた。 「どうって……爽やか好青年ですよ」 「違うな。絶対猫かぶってる」 その時、風間がここに戻ってきた。 「あ?もしかして清掃員さん?挨拶が遅れてごめんね。初めまして、俺は風間諒です。よろしく。うわ……帯広にもいるんだな……」 急に目をキラキラさせた風間は、美咲の周囲をくるりと眺めた。 「君って……とっても元気で……力強そうで素敵だね?名前を聞いていいかな」 「はい!私は河合美咲っていいます」 「『かわいみさき』さんか。女の子らしくてキュートだね!あのさ、アドレス交換してくれないかな。俺、こっちのこと全然わからないんだよ」 「もちろんです!何でも聞いて下さいね……はい、これで」 この二人の様子に黒沼は立ち上がった。 「おいおいおいおい、お二人さん?なんだその急接近は?」  するとスマホの操作を終えた風間は、ケロリとした顔で応えた。 「別に。これくらい普通ですよね?」 「そうですよ。どうしたんですか?黒沼さん」 ポッチャリ清掃員の美咲に、親しげに話しかける風間の心理がまったく読めない黒沼は、この後風間を連れて他の営業マンと一緒にささやかな歓迎会をした。 彼の立ち振る舞いからこぼれる王子様オーラに、同席の同僚のみならず、店内の客までは彼を芸能人と間違えて写真を撮るくらいだった。 そんな彼を宿泊するホテルで降ろした黒沼は、どうにも納得いかない気分だった。 そして翌日。 黒沼は出社前に風間をホテルに迎えに行った。 この日は会社へ行かず得意先へ直行していた二人は黒沼の得意先に連れまわした。 「黒沼さん……まだ行くの?俺、疲れた」 「バカ言うな?まだ半分も行ってないのに」 助手席の風間はぶうと膨れていた。 「帰りたい、お家に帰りたい……」 「マジかよ?お前は研修に来たんだぞ?」 すると風間は、膨れた顔で説明し始めた。 「俺だって来たく無かったのに。慎也社長がどうしてもって。だから俺は何もしませんよ、って社長に言ったのに……」 この我儘に呆れた黒沼だったが、仕事を半分にしてやり、この日は早めにホテルに送って行った。 そして水曜日。 風間はとうとう帰ると言い出した。これに業を煮やした黒沼は、電話で織田を通じて姫野を出し、風間を説得させた。この僅かな電話のやりとりでやる気を復活させた風間は、なんとか仕事をこなし、帯広営業所に戻ってきた。 「疲れた……あ。真理さん、ありがとうございます」 麦茶を淹れてあげた真理はこの御礼に頬を染めた。 「ねえ。黒沼さん。俺、ホテルを変更します」 「なんだ?お化けでも出たのか?」 すると風間は首を振り、黒沼をじっとみつめた。 「……黒沼さんって。俺の宿泊ホテルを得意先の女の人に話しましたか?」 「ああ?聞かれたかもしれないな、それがどうした?」 「……どこの得意先が知らないけど、女の子が夜、部屋に訪ねてくるんですよ。だから俺、ホテルを変えようと思って」 「訪ねてくるって?マジで」 うんと頷いた風間はスマホで検索し始めた。 「嫌なんですよ、そういう女の子は、ああ、他のホテルは満室か……」 「……風間さん。我が家でよければ、今夜から泊まれますよ?」  この周りをモップ掛けしていた美咲は、風間の背に声を掛けた。 「離れの部屋を民泊で貸していて、今週は予約が入って無いし……露天温泉付きですよ」 「行く!俺、美咲ちゃんちにいく!先輩、俺自腹でいいんで、そうさせていただきます!」 こうして風間は水前寺所長の許可を得て、営業車を借り、美咲の家にやってきた。 「お母さーん。連絡しておいた風間さんよ。どうぞ、遠慮なく」 「わあ。大きな家なんだね、あ、どうも!風間です」 家の奥から出て来た母は嬉しそうに濡れていた手をエプロンで拭きながら玄関にやってきた。 「まあ、まあ、まあ。それに、そっちは黒沼さんだっけ?」 「え?うそ」 風間と美咲が振り向くと、そこには笑みを称えた黒沼が立っていた。 「気になって俺も来た。すみませーん。俺もお邪魔します」 こうしてどさくさにまぎれてやってきた黒沼も一緒に夕食となった。 「ご飯美味しい?お代わりください」 「嬉しいわ……。美咲はダイエットしているから全然食べてくれないのよ」 そう言って美咲母は、風間に椀を返した。 「いや~実はね。我々は黒沼君には感謝しているんだよ」 「ん?何がですか?」 「お父さん止めて!」 「アハハハ。良いじゃないか。娘はね。君に体型をバカにされた事が心底悔しくて減量しているんだよ。君の意地悪が大きな発奮材料になっているんだ」 そういって美咲父は酒を飲んだ。 「……さすが俺の本意を見抜くとは、お父さんはタダものじゃないですね……。そういって頂けると意地悪をしている甲斐がありますよ。さ、お父さん、どうぞ」 社内ナンバー2の営業力を発揮している黒沼に、風間と美咲は呆れていた。 「……風間さん、食事はもういいの?お母さん、私、お部屋と露天風呂に案内してくるね!ちょっとお母さん、聞いているの!もう……」 すっかり黒沼と楽しい御酒を飲んで使えない状態の両親を当てにせず、美咲は風間を部屋に案内した。 「今夜はお疲れだと思うので、後は勝手に使って寝て下さい。いちいち挨拶もしなくていいですから。明日の朝、起こしますから」 「わかった!ありがとう、おやすみ!」 こうして風間を部屋に置いてきた美咲がリビングに戻ると、もう黒沼はいなかった。 「帰ったよ。彼は酒を飲んでいないし」 「そう……何で来たんだろうね」 「さあな?父さんも寝るぞ」 こうして風間の帯広研修の三日目が終った。 翌日の木曜日はさすがに黒沼も仕事量を風間に合わせ、負担を減らしなんとか風間のやる気を保たせた。 そして金曜日の朝食時。風間はこれで終わるという喜びに満ちていた。 「本当に美咲ちゃん一家にはお世話になったよ。美咲ちゃんがいなかったら、俺、車で寝るしか方法が思い付かなかったよ」 「そうか、女にモテるというのも、大変なんだな。はい、長ネギだ」 風間が混ぜている納豆の椀に、美咲父は長ネギを投入した。 「ありがとうございます。でも……ふう」 急に風間の手が止まったのでバナナを食べていた美咲は隣の彼の顔を覗き込んだ。 「どうしたの?ネギが足りなかった?」 「これで十分だよ、あのね……」 彼の説明によると、黒沼の企画で帯広の社員だけでなく得意先の人にも声を掛けて、盛大な送別会をやることになったという。 「俺はさ、今日の夕方の電車で帰ろうと思っていたのに……帰るのは明日にしろって、黒沼さんが」 彼は悲しく話すと、茶碗半分のご飯に納豆を掛けただけで朝食を終えた。 そんな悲しげな彼と美咲は一緒の車で会社に向かっていた。 「風間さん。そんなにお家に帰りたいですか」 「うん。ここがすごく嫌だってわけじゃなくてさ。やっぱり札幌が好きなんだ……」 しょんぼりとしょげている風間を見て心が痛んだ美咲は、力になりたいと思った。 「送別会を気付かれないように、抜け出せば良いのよね……そうだ!ね。風間さん、今から私の言う事を良く聞いて」 会社までの一本道を走りながら、風間は助手席の美咲の話に耳を傾けた。 こうして始まった最終日。夕刻から始まる送別会に社員は妙にそわそわしていたが、予定の時刻に開催された。 「夏山愛生堂には?」 「「愛があるー」」 所長の音頭でこうして宴会が始まった。 「おい、吉田。風間は?さっきから見かけないがどこに座っているんだ?」 「大人気で。あそこで女子社員さんに囲まれていますよ」 和室の宴会場の隅に女子が集まっていた。 「ところで、黒沼さん!お疲れさまでした、どうぞ!」 「おいおい。はじめから日本酒かよ。まあ、いいか」 こんな調子で風間は終始女性に囲まれており、服は見えるが顔はよく見えなかった。 そんな時、酔った黒沼が風間を呼んだ。 「おい、風間。帯広も良いだろう」 『そうですね』 「どうだ、黒沼先輩は、米粒くらいは良い所があるだろう」 『そうですね』 風間に声を掛けた所長に、今度は女子社員が酒を注ぎに回った。 ……なんか様子がおかしいな……。 風間の様子をあやしく思った黒沼は、彼に声を掛けた。 「風間、お前、明日は何時の電車だ?」 『そうですね』 一辺倒の返事に頭に来た黒沼は風間の腕をぐっと掴んだ。 「おい、お前、ふざけんなって……あれ?」 それは力なく、ぐにゃと曲がってしまった。 「これは一体?どういうことだ」 すると今までこの人形風間を囲んでいた女子社員達は、黒沼に素知らぬ顔をした。 「あらら?今まで風間君だったに?おかしいわね……」 「そうよ。楽しくお喋りしていたのに」 「もしかして。あいつ、帰ったのか?マジかよ!」 女達のおトボケを信じられない黒沼は、店の玄関に飛び出した。そんな彼に真理が声を掛けた。 「黒沼さん。追っても無駄ですよ」 「お前がこんな事を?いや、あいつか……」 そういって黒沼は親指の爪を噛んだ。その時、黒沼のスマホが鳴った。 「……風間か。もしもし。お前ふざけんな!」 『ごめんなさい黒沼さん。もう俺には限界なんですよ。それに俺はちゃんと研修はやりましたもの。そもそも嫌だって言ったのに、得意先の女の子まで送別会に誘う黒沼さんが悪いんですよ』 「悪かったよ。はあ……しかし……一つ聞かせてくれないか。家に帰りたいって、札幌がいいって事だろう、都会なのがわかるが、何がそんなにいいんだ?」 『仲間です。俺はそこじゃないと嫌なんですよ』 「仲間か……」 『札幌に着いたら連絡します。所長にも俺からちゃんと謝りますから』 すると黒沼は星空を見上げながらこれを遮った。 「いいよ。面倒だから。お前が最後まで宴会にいたことにするから。気を付けて帰れよ」 こうして電話を切った黒沼は、真理に事情を話し、人形風間をカムバックさせて宴会を最後までやり終えた。 そんな嵐のような週末が過ぎ、月曜日に織田が帯広に帰って来た。 「風間からの伝言がありまして、世話になったと言っていました」 「ふん。心にもない事を」 その時、彼らの傍のゴミを回収しに美咲がやってきた。 「おはようございます。織田さん、いかがでしたか?札幌は」 「最高だったよ。すごく勉強になった」 すると黒沼は、回転椅子をクルリと回し、二人を向いた。 「あのな。俺って……そんなに嫌な奴か……?」 真顔の黒沼に、織田と美咲は顔を見合わせた。 「そーんなこと無いですよ?俺、札幌で先輩の有り難さが身に染みましたもの」 「嘘だ。姫野が良いに決まっている」 「ちょっと先輩……ねえ、美咲さんからも何か言ってよ」 「黒沼さんは結構良い人ですよ?私、見直しましたもの!」 「結構良い人か……お前は嘘言わねえもんな……ま、そういう事にしておくか」 するとこの席に、札幌土産にご機嫌な所長がやってきた。 「なんだ。朝から暗い顔して、喧嘩なんかダメだぞ、ほら、黒沼。スローガンを言ってみろ、心が朗らかにになるぞ。ハハッハ」 水前寺所長の笑い声が響く夏山愛生堂帯広支店は、東の太陽の光が眩しい程だ。 144話「君は薔薇より美しい70㎏級」完
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