145 きっと先生

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145 きっと先生

「行きますわよ、そーれ!」 ネットを越えたアンダーサーブは、ふわと京極の前に落ちた。 「おっと?それセッター!」 「オッケー……トス!マジいい感じ」 そこへ京極が助走を付け、思いっきりジャンプした。 「おらーー!」 バシと打ったアタックは床に落ちた。 「えい!」 「うわ?アレを拾うかよ」 その時ピピピピ―と先生が笛を鳴らした。 「こらこら!今日の体育はバスケットボールです!まずはドリブル練習!」 はあ。と溜息を付いた定時制の生徒達は、仕方なくドリブルを始めた。 上手にこなす京極は、恐々とボールを叩いている小花にアドバイスをした。 「手をこうさ。パーじゃなくて、ボールに合わせて、こう柔らかに」 「こう?」 「そう。そしたら今度はドリブルしながら前を見て走って……」 生き生きとドリブルでゴール前まで進んだ京極は、鮮やかにレイアップシュートを決めた。 「どうだい!」 「無理ですわ……同時にやるなんて」 文句を言っている彼女だったが、先生に言われてやる羽目になった。これを生徒達で応援していた。 「頑張れ、小花ちゃん!」 「いいぞ小花、そのまま……って、お前、どこまで行くんだよ?あぶない!」 ボールしか見ていなかった彼女は気が付けばゴールを過ぎそのまま壁にビターンとぶつかってしまった。 「あたたた?あれ?これはクッションだわ?」 「大丈夫か?先生、小花は無事です」 しかし厳しい女教師はもう一度小花にドリブルシュートを命じた。 「……えい!」 いつの間にかゴール下まで来ていた彼女は、これにびっくりして強く放ったため、強烈なショットはリングに当たって鋭角に彼女に舞い戻って来た。 「きゃああ?」 腕でこれを防御した彼女だったが、もう少しで顔面に強打する所だった。 「先生!あいつには無理ですよ」 コートを転がるボールを拾った京極を教師はジロと睨んだ。 「特別扱いはしません。さあ。小花さん。もう一度」 シーンと静まった夜の体育館に女教師の笛の音が響いた。京極からボールを受け取った小花は、真剣にゴールのリングを見つめた。 そしてトントンとドリブルをしながらゴールまでゆっくりと進みだした。 「がんばれ!小花ちゃん」 「白い線でステップだよ!」 「そこだ小花、行け!」 「……えい!」 さっきのシュートが怖かった彼女は、目を瞑ってシュートした。 「入れ……頼む、入ってくれ……」 手を合わせて願う京極だったが、リングをくるりと回ったボールは、床に落ちてきた。 「リバウンドだ!小花!拾え!諦めるな」 「小花ちゃん!入るまで」 ええ?と驚く彼女だったが、仲間達の声に押されて落ちてきたボールをゴール下から何度もシュートした。そして……とうとう……。 「……入った?入ったわ!!」 やったーと走ってきた小花を迎えた同級生達は、彼女を囲んで輪になり、やった!やった!と歌い出した。 「はいはい。そこまで。小花さん!こっちにいらっしゃい!」 「はい。先生……」 やっぱりもう一度やり直しか、とがっかりムードの中、女教師は疲れてボロボロの彼女を前に腕を組みながら見つめた。 「合格よ」 「え?良いんですか」 「……仲間に感謝なさい。さあ。皆さん。今夜はこれで終了よ!片付けて」 こうして男前に決めた女教師に、ジーンと感動した小花は深々と頭をさげて片付けをした。 そして帰り道。玄関まで一緒に歩いた京極は、小花が体中ボロボロだと言う事を発見した 「お前……腕も足も青あざだらけじゃねえかよ」 「見た目ほど痛くはないんですけど」 「きっと先生は誤解するな……どうしよう」 すると小花はケロっとした顔で彼を見た。 「明日は土曜日だから家でひっそりしていますわ。月曜日までには治るわよ」 「土日は先生に逢わねえのか?なら、何とか治るかもしれないけど」 今夜の授業は早く終わったし、小花の事が心配だった京極はバイクに載せて彼女を自宅まで送ってきた。 「じゃあな!」 「はい。お休みなさい」 この後風呂に入った彼女はストレッチなどをして身体をほぐした。 そして風呂から出て長い髪を扇風機に当てていた時、彼からメッセージが来た。 「……明日、真駒内アイスアリーナでスイーツフェスティバルがあるのね……行きたいな」 ……でもこんなに青あざだらけだと心配するかしら。でも行きたいな。 すると彼女のスマホが鳴り出した。 「せっかちだわ……もしもし」 『おい。返事は』 「あのですね。のっぴきならない事情がございまして。悩んでおりますの」 『いいから理由を言え』 「何と申しますか……きっと姫野さんは心配するので、言いたくないのです」 『今の時点で心配だ。いいから言え』 「あのですね。怒らないって約束してくれたら言います」 この時、彼女の家の外から車の爆音が聞こえてきた。 『もういい。直接自分で調べさせてもらうから』 やがてエンジン音が止まったかと思うと、今度が自宅のチャイムがピンポーンと鳴った。 仕方なく小花は玄関のドアを開けた。 「もう……せっかちにも程があるわ」 「済まない。いても立ってもいられなくてな。入るぞ」 そういって仕事を終えた姫野は、小花の家に上がった。 「して、何なんだ。のっぴきならない事情とは……なんだ、その身体は」 さっそく彼女の手足の青あざを発見した姫野は、小花の腕を掴んだ。 「お前……痛くないのか」 「見た目ほどは。あの、何か食べます?」 「バカ!そんな事はどうでもいい!後ろを見せろ……あーあ……」 痛々しい彼女を見て、姫野はだんだん怒りだした。 「一体なんでこんな事に?またバレーか」 「バスケです」 「なんでそんな無茶をするんだ」 彼女は体育だから仕方が無かったと説明した。これに姫野は立腹してしまった。 「お前は見学していれば良かったんだ。まったく……」 「でもシュートは入ったんですよ?」 「こんなボロボロで何がシュートだ!あ……」 怒っている姫野に対し、彼女の目から涙がポロポロ出てきた。 「ひどいです。鈴子は頑張ってシュート決めたのに……先生も諦めずに偉かったって褒めてくれて……京極君達もクラスメイトも入るまで応援してくれたのに」 姫野はしまった!と思ったが、結構遅かった。 「姫野さんなんか嫌いです!鈴子が失敗したらすぐ怒って……私は失敗したらダメなの?」 「そんなこと無い」 「好きであざを作った訳じゃないのに……姫野さんは何でも自分がお出来になるから……」 「ごめん!俺が全部悪かった」 「うううう……嫌いよ!」 今までならここで怯んでいた彼だったが、今回は彼女を背後から抱きしめた。 「ごめん!頼むから嫌いにならないでくれ」 「……」 「お前の事が好きなんだ。失敗を責めたつもりじゃなかった。本当にごめん!」 「グス……」 姫野は彼女をくるりと回し自分の方を向かせた。彼女の目は真っ赤だった。 「鈴子……愛しているんだ。許してくれ」 そんな事を言う彼に見つめられた小花は、目をつぶり彼の額に自分の額をそっと当てた。 「告白は、鈴子が卒業してからなのに」 「だんだん待てなくなってきたんだ」 すると彼女はそっと姫野の胸に顔を埋めた。 「ダメです。約束ですもの……お待ちになって」 鼻をすすりながら囁く愛しい彼女を抱きしめながら姫野は彼女を近くにあったソファに誘うと一緒に座った。 「わかったから。もう機嫌を直してくれ」 頭上から聞える彼の声に、彼女は目を伏せゆっくりと頷いた。 「あのね……明日のスイーツはどんなものなの」 「ああ。全国各地のご当地スイーツらしいぞ」 「……ご当地か。横浜の馬車道のアイスもあるかな」 「なければ今度食べに行こう」 「姫野さん……もう少し、ぎゅっとして」 甘えて来た彼女を彼は優しく抱きしめた。 「どうして鈴子にそんなに意地悪で優しいの……」 「フフフ。どうしてかな」 「初めて逢った時は、とても怒っていらしたわ」 「ああ。怒っていた」 「……怒ったり、笑ったり。忙しいわ」 「全部、君のせいだ」 「まあ?鈴子のせいなの?」 自分を見上げた彼女に彼は頬を寄せた。 「そうだよ……おかしくなるくらい好きなんだよ」 そういって彼は彼女の頬に優しくキスをした。 「まあ。許してあげるわ。ん?何か痛い……背中かしら」 「どら。見せろ」 「恥ずかしいもの。自分で鏡で見ます」 「そんな事言っている場合じゃないだろう……」 彼は彼女の着ていたTシャツの背中をガバっとめくり白い背を出した。 「きゃあ?」 「……ここか?何だこれは赤くなっているぞ」 「そうか。私、さっき御風呂場で背中をぶつけました」 すると彼はこの赤いあざにそっとキスをした。 「キャハハハ。くすぐったいです!もう」 「鈴子。おい、鈴子……」 服を直した姫野は、真顔で笑い転げている彼女を向いた。 「俺は卒業まで待つつもりだったが、場合によっては早めるからな。そのつもりでいてくれ」 「はい!」 余りに真剣な姫野に彼女は大きな返事をしてしまった。これをみて姫野は安心したように、微笑んだ。 「さあ。安心したら腹が減ったな。何か食べものあるか」 「待ってね。ええと……」 こうして甘く楽しい時間を過ごした彼らであったが、この夜も健全に彼は自宅へ帰り、翌日仲良く真駒内アイスアリーナへ足を運んだ。 大変な混雑の会場には札幌テレビの中継が入っていた。 『テレビの前の皆さま!こんにちは!突撃アナウンサーの南郷ひろ美です!ご覧ください。本日は家族連れや若いカップルが大勢見えています。みなさん甘いスイーツを楽しんでいらっしゃいますねーー。では、ちょっとインタビューしてみましょう、すみません!ちょっといいですか?』 テレビカメラが二人の前にやってきた。 『楽しみの所すみません!札幌テレビの南郷ひろ美と申しますが、いかがですか?スイーツのお味は?』 突然のインタビューに少々戸惑ったが、彼女はマイクに向かって応えた。 「どれもおいしいですわ。ね、姫野さん」 「ああ」 仲良しの二人に南郷ひろ美は嬉々としてカメラに向かった。 『実はですね。皆さん!私、先ほどから会場をぐるっと見ているんですが、この二人が一番甘いカップルなんですよ!見てください、ほら、手も恋人つなぎなんですよ!!』 南郷の話しに構わず姫野は彼女の肩を抱いたポーズを続行した。 『それにですね。彼女さんが彼にああやって食べさせているんですよ!すみません。あの、いつもそうされているんですか?』 すると姫野は平気な顔で応えた。 「彼女に何かあったら大変なので、私が先に食べる事にしているんです」 『……聞きましたか!皆さん?私までドキドキしてきました!』 興奮しているアナウンサーを無視して、小花は姫野の口元を拭いていた。 『いや~甘いですね?激甘な様子に私は鼻血がでそうです。そんなお二人にお尋ねしたいのですが、お薦めのスイーツを教えてください』 「お薦めですって、姫野さん」 「……彼女と一緒だと何でも美味しいので、良く分かりませんね」 『聞きました?テレビの前の皆様!この二人甘いでしょう?このようなスイーツフェスティバルは明日もここ、真駒内アイスアリーナで開催されています。ぜひご家族、カップルの皆さんも越しになって、この二人のように甘い時間を過ごされてはいかがでしょうか?現場からは以上で、スタジオにお返ししまーす』 「……はい、OKです!」 そして現場のアシスタントと南郷ひろ美は小花と姫野に礼を言い嵐のように去って行った。 「慌ただしいですね」 「ああ。それよりも他に食べたいものはないかい」 「そうですね……」 彼女はじっと姫野を見つめた。 「なんだ?」 ……頭が良くて、何でもできて……素敵な男の人。 「どうしたトイレか」 ……ちょっとデリカシーが無いけど。私を一番に考えてくれる優しい人。 「冷えたんだろう、冷たい物ばかり食べたからな……。薬飲むか」 「ううん……薬は要らないわ。一緒にいて」 そういって彼女は姫野と腕を組んだ。 「お安い御用だ。さあ、帰ろうか……」 アリーナの外の公園は、真夏の暑さを安らげるように木々からそよ風が吹いていた。 二人の熱はこの風に吹かれても冷めることなく、誰よりも甘く、誰よりも熱かった。 札幌の短い夏を惜しむように寄りそう二人には、公園の木々が柔らかい風を運び甘い時を溶かしていた。 完
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