149 君はバラより美しい 63kg級

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149 君はバラより美しい 63kg級

「おはようございます」 「おはよう、美咲ちゃん。朝からすごい汗だね」 「うん。着替えてから仕事しないと、ふう」 「でもさ……本当に痩せたね。歩いているだけでしょう?」 驚く親友の真理に、美咲は首を振った。 「ううん。風間さんが送ってくれた漢方薬も飲んでるの。ものすごっく汗をかくんだ」 こうして美咲は今朝も元気よく掃除をスタートした。 「おはようございます」 「おう、おはよう」 最近の黒沼はこうして美咲に挨拶を返してくれるようになってきた。 「あのな、美咲。お前の飲んでいる漢方薬を教えてくれ。得意先の看護師がダイエットしたいって言うんだ」 「いいですよ。あとでメモを書いておきます……どうしたんですか、人の顔をじっとみて」 「いや……本当に痩せたと思ってさ」 黒沼があんまりじっと見つめてくるので、思わず美咲は頬を赤らめた。 「炭水化物も抜いていますし、毎日運動してますもん」 「なんでそんなに頑張るんだ?」 あんたがバカにしたからでしょ!というセリフを美咲はぐっと飲み込んだ。 「別に。いいじゃないですか私が何をしようと」 「それもそうだ。よし、仕事か……」 こうして美咲は他の場所を掃除に向かった。 こんな日が何日か続いたある日。夕方内勤をしていた織田に、電話が入った。 「はい、織田です。え?松田さん?中央第一の松田さんですか?ああ。その節はお世話になりました……」 なにやら親しげに話す織田に、黒沼の耳は大きくなっていた。 「みなさんで富良野に来るんですか?ああ、俺は実家が近いので詳しいですよ。はい、ではお薦めの観光コースをメールで送っておきます、はい、どうも……」 電話を置いた織田の顔を黒沼は覗き込んだ。 「誰が富良野に来るんだ?」 秘密にするとしつこいので織田が正直に話をした。 「札幌中央第一の石原部長、姫野先輩、風間。後は事務の松田さんとその息子さん。そしてあの、ごにょごにょです」 「……最後の方が聞えなかったが」 「そうですか?ええとこうしちゃいられないな。情報を教えてあげないと」 「へえ?お前、親切だな……そうか、姫野達がこっちの方に遊びにくるのか……ほう」 黒沼はお世話になったんだからガイドをしてやったらどうか、と優しい言葉を掛けて、結局その後、自分もこの富良野旅行に顔を出し、楽しい思い出を作ったのだった。 その翌日。 「いや。それでさ。札幌の清掃員はすげえ美少女なんだよ」 富良野旅行の思い出を黒沼は嬉しそうに話をしていた。 「黒沼さん?何も美咲さんに話さなくても」 「いいんですよ、織田さん。その清掃員さんの写真ってありますか?うわ……これは本当に美人だ……」 夏山ビルの清掃員、小花すずの画像に美咲はなぜか胸がズキとした。 「な?俺、彼女と一緒に馬に乗ったんだぞ」 「……そうですか。よかったですね」 嬉しそうな黒沼に、美咲は悲しい気持ちを抱いていた。 「はあ」 「どうしたのさ。溜息何か付いてさ」 昼休み休憩中。元気のない美咲に同僚の近藤は持参したボトルのお茶をぐいと飲んだ。 「いいえ。あんまり綺麗な人を見たので、元々無かった自信がもっと無くなったんです」 「そんなこと無いさ。美咲ちゃんは痩せて綺麗になったよ」 「私も痩せれば綺麗になると思っていたんですが、ただ痩せただけですもの」 頑張っている若い女性に何か言わないといけないと思った近藤は、一生懸命褒めようとした。 「美咲ちゃんは肌が綺麗だし、髪もサラサラじゃないか」 「近藤さん、お気づかいありがとうございます。良いんです、私。これで気持ちがはっきりしましたから」 ……どんなに頑張っても……無理なものは無理ってことか。 意地悪黒沼に一死報いたい気持ちと、恋心がぐちゃぐちゃになっていた美咲だったが、先程の札幌の美人清掃員の事を嬉しそうに語る彼に、自分の気持ちが見えてきた。 ……片思いをする資格すらないもんな。 昼食を終えた美咲はいつもの昼寝もせず、一人建物の北側でひっそり佇んでいた。 「あ。いた」 その日の会社の帰り道。前方に美咲が歩いていたのが見えた黒沼はこれを冷やかしてスルーするのが日課の黒沼は、彼女に近づこうとスピードを緩めていた時、ラジオのニュースが聞えて来た。 『……警察と地元猟友会が追っていますが、本日熊の目撃情報がありました』 ……おいおい、この近くじゃないかよ?やれやれ。 「おい。美咲。この辺で熊が出ているらしいぞ。乗れ!送ってやる」 「熊?ええ?あの……」 今の心境としては一人になりたかったので、これを拒否したかった彼女だが、命と引き換えにするわけにはいかなった。 「お世話になります」 美咲は急いで後部座席に乗ろうとした。 「荷物があるから前で良い!早く乗れ!」 こうして黒沼は美咲を乗せ、彼女の家まで向かっていた。 「すみません。お疲れなのに」 「珍しく謙虚だな」 彼の仕事が連日忙しい事を美咲は知っていた。 「家までじゃなくていいですから」 「……俺に送ってもらうのがそんなに嫌か?」 「そんな事言ってないです。疲れていそうだから」 「別に車で行くだけで、ついでだから。お前変な事、気にするんだな」 そういって助手席の美咲をちらりとみた彼は、いつもと違って憂いを帯びた白い横顔にドキとした。 ……最初から肌が綺麗だったけど、化粧もしてないのに。 「黒沼さん。あそこのコンビニで停めて下さい。私、本当に歩いて帰るから」 自分を気遣ってくれる彼女に心くすぐられた彼は、これに首を振り彼女を自宅まで送った。 そして一人暮らしのアパートに帰って来た黒沼は、シャワーを浴びてお気に入りのステテコ姿にになった。 そしてコンタクトレンズを外し、眼鏡になった。 太るのが嫌なので基本夕食は食べず、酒を飲んで寝る毎日。 若い男性らしくゲームをしたり、アニメなどをみて過ごす夜。 その見た目の良さで女性にもてはやされることが多い彼だが、この素の自分を歴代の彼女には見せた事はない。 モノトーンのシンプルな部屋でワインを飲んでいるような印象の彼だが、実際は畳みに布団であり、好きなのは焼酎のお湯割りだ。 過去の交際も彼女の家に押し掛けるパターンであり、ここに女を入れた事は無い。 これはすべて『イケメン黒沼省吾』を守るためであったが、ここ最近はイメージを保つのに疲れてきたのも確かった。 この夜も焼酎を飲んだだけで、彼は床に着いた。 翌朝。彼の身体が動かなかった。 ……だるいな……でも、会社にいかないと。 しかし。どうにも動かなかったので、彼はひとまず織田に連絡しようと思った。 ……待てよ?アイツって、様子を見に来るって言いそうだな。 この素の自分も後輩に見られたくない黒沼は、誰にも連絡できなかった。 ……元カノ?でもな。 その時、黒沼のスマホが鳴った。 「美咲か?もしもし」 『黒沼さん。おはようございます。私、昨日黒沼さんの車に乗った時、家の鍵を落としたみたいで……どうしたんですか?』 「身体がめっちゃ重くて……」 『病院に行けば?……あの。彼女とかは?』 「いない。いいよ、後で一人で行くから」 すると美咲は黒沼の家に行くと言い出した。そして30分もしないうちに本当に美咲がアパートにやってきた。 「顔が真っ赤で……入っていいですか?私なら平気でしょう」 失礼しますと美咲は黒沼の部屋に上がり、眼鏡をかけてステテコ姿の彼のおでこに手を当てた。 「ひどい熱ですよ。さあ、病院にいきましょう」 「いいよ。こんな恰好で行きたくない」 「個人病院じゃなくて総合病院なら、患者が多いから黒沼さんだって気が付かないですよ。ほら、立って」 美咲に懇願してせめてズボンをスウェットに穿き変えた黒沼は、美咲のマイカーで総合病院にやってきた。 診察を待つ間、美咲が持って来た大きなバスタオルを被り彼女にもたれていた彼は、診察の結果が出た。 「りんご病ですか?」 「夏に子供に流行る病気ですね。移すといけないので、仕事は3日間禁止ですよ」 確かに黒沼の頬は真っ赤になってきていた。薬をもらうと美咲は彼を車に乗せた。 「くそ……恥ずかしくて会社に病名を言えないじゃないかよ」 「こんな時までカッコつけて。じゃあ風邪にしておきますか?私、誰にもいいませんし」 そして美咲はコンビニに寄り食べ物を調達し、彼を自宅へ送り届けた。 「ちゃんと薬を飲んで、休んで下さいね」 「ああ。助かった……」 こうして黒沼は会社に連絡を入れて数日間自宅で療養したのだった。 そして元気になり会社にやってきた彼は美咲に御礼と口止めをしようと思った。 「休んでいる?風邪か」 真理から美咲も休んでいると聞かされた彼はさすがに美咲に悪いと思ったが、仕事が死ぬほど溜まっていたので、それが出来なかった。 ……せめて、メールだけでも。 『俺は今日から出社。お前は?』 『明日から行きます』 ……何て返せばいいかな……。待っているもおかしいし。 『わかった。無理するな』 返事を送った黒沼は、安心して仕事を再開した。 翌日。会社には元気な美咲の姿があった。 「おはようございます。黒沼さん」 「おお!元気になったか」 黒沼の笑顔をみると、つい小花の画像をみて喜んでいた顔に見えて来て、寂しい気持ちになったが、彼女はこれを隠し、ふっと笑みを称えた。 「はい……ではお掃除してきます」 社員に挨拶しながら掃除をしていく美咲に、ほっとした彼は通常の業務に戻って行った。そんな週末の土曜日の夕刻。 夏山愛生堂帯広支店では恒例の夏祭りが行われていた。これは社員の親睦が目的なので、家族を連れてくるなど賑やかなものだった。 「見て!美咲ちゃん」 「浴衣、とっても似合っているよ!真理ちゃん」 「美咲ちゃんは着て来なかったの?一緒に着るって約束してたのに」 事前に誘われていたが、とてもそんな気分になれなかった美咲は、Tシャツにジャージ姿だった。 「よお!おお?いいな、浴衣姿」 彼氏持ちの真理の艶姿に口笛を拭いた黒沼はその傍らでジャージ姿の美咲に眉をひそめた。 「お前な。女を捨てていないか?」 男の色気漂う黒沼の浴衣姿に、そばにいた女性達はつい目で追っていた。 「……そうかもしれませんね。真理ちゃん。私、向こうで手伝ってくるね」 そういって美咲は水前寺所長が焼いている焼き鳥コーナーに行ってしまった。 「先輩?ここにいたんですか?向こうで女子大生が先輩と話がしたいって、呼んでいますけど」 「……ああ?今行く」 美咲の態度が気になったが、黒沼は女子大生の輪に向かった。 若い彼女達とおしゃべりとをしていた彼だったが、最近世話になっている美咲に、少し言い過ぎたと思い、彼女がいる焼き鳥コーナーに向かった。 「いらっしゃいませ。黒沼さんは何本ですか?」 エプロンを付けた美咲は炭火で一生懸命焼き鳥を焼いていた。 「お前一人か?所長は?」 「盆踊りがどうとかで、行ってしまいしたよ?あの、何本ですか?」 「係りの者はどうしたんだ」 彼女の説明だと、この焼き鳥は所長の馴染みの店の人が来て焼くはずだったのに、急にお葬式が入って来れなくなったと言う。 「だから所長さんが必死に焼いていたんですど、焼くのが遅くて、こんなに売れ残っているんです」 すると黒沼は浴衣の袖をまくりながら織田を呼んだ。 「よし!美咲は焼き鳥をどんどん焼け!俺と織田で売って来るから」 そうにやりと笑うと彼はパック詰めした焼き鳥をお盆に乗せて、周囲の人にどんどん販売して行った。 「……これで最後のパックか。いいや。これはお前が持って帰れ」 「黒沼さんこそどうぞ。私は太るから夜は食べないし」 そういって焼き鳥のテントの中を片付け始めた美咲に、黒沼は頭を抱えていた。 やがて終了の時刻となった。 このテントは明日、これを貸してくれたレンタル業者が来て回収するので、全員解散となった。 「黒沼さん。あの、私、バスが無くなってしまって」 「私も!この後カラオケに行きませんか?」 「みんなタフだね……?」 黒沼を誘って来た女子は得意先のドクターの令嬢達であったので、断るのも、誘いに乗るもの非常にまずいものだった。 いつもならこのノリで全員を連れていく黒沼だったが、今夜は少し違っていた。 「君達、ちょっと待ってくれ、おい!美咲、お前、どうやって帰るんだ……なしたんだその腕は」 水場で手を洗っていた美咲に声を掛けた黒沼は、彼女の腕を手に取った。 「もう少し冷やしてから帰りますよ。今日は車できたから自分で帰れるし」 「火傷したのか?よくみせてみろ……痛いだろう」 すると美咲は腕を引っ込めた。 「黒沼さんが引っ張って痛いです!いいのどうせドジですもん。それに大したことないから、気にしないで」 そうして彼女は再び腕を流水で冷やし始めた。 「いいか……ここで待ってろよ」 黒沼は謎の言葉を言い残し、暗闇に消えたかと思うと、すぐに美咲の元に戻っ てきた。 「さあ。帰るぞ!俺を家まで送ってくれ!」 「自分の車は?」 「酒を飲んだから運転できなくなったんだ。あ、皆さん、お先です」 そういって美咲の肩を抱いた彼は美咲の車までやってきた。 「さっきの女の子達はいいんですか?」 「いいんだよ!一人だけ選ぶなんてできないな。それよりもお前、腕を良く見せろ」 車中のライトの下で、彼は美咲の腕に大きな絆創膏を貼った。 「火傷専用のものだし。痛みも半減するぞ」 「あ、りがとうございます。では、帰りますね」 やけに優しい黒沼を不思議に思いながらも彼を隣にのせて夜の帯広ロードを走っていた。 「……あのな。お前体型を気にしているけどな、男はガリガリよりもムチムチの方が好きなんだぞ」 「ムチムチって。嫌ですね……」 あははと助手席の彼は、長い脚を組んだ。 「でもな。お前初めて会った時に比べて相当痩せたよな」 「あの婚活の時がピークでしたものね」 ここで彼は気になっていた事を訊ねてみた。 「お前さ。あの婚活の前って何してたんだ?」 「大学を出て、商社に勤めていたんですけど、体調を崩して実家に戻っていたんです……。お医者さんから運動を止められていたし、薬の副作用で体重が増えてしまって」 「病気だったのか」 「フフフ、それだけじゃないですけどね?でも、そんな私を両親が心配して婚活に参加させたんです。まあ、誰にも相手にされないのは分かっていたんですけど、そうでもしないと親が私の将来を心配していたものですから」 「そうだったのか……」 美咲は赤信号ですっと停止した。 「だから『痩せたい』というよりも健康が先なんですよ。それに痩せたって綺麗になるわけじゃないのがよくわかりましたもの」 「そんなことないさ」 「いいの!この話はおしまいです」 青信号で美咲は車を発進させた。 ハンドルを操る彼女の白い腕には痛々しい絆創膏。豊かな胸には焼き鳥のシミが付いていた。 くせっ毛なのか先がカールかかったポニーテール。触りたくなるような頬はピンク色。そんな彼女を見ている事を本人に知られないように、黒沼は見ていた。 ……綺麗だと思うんだけどな。 「そろそろ黒沼さんのアパートですけど。コンビニとか寄りますか?」 「い、いや。寄らなくていい」 そして美咲は彼をアパートの前で降ろした。 「鍵はありますか?荷物はそれだけでしょう?」 「……ああ、ありがとうな。気を付けて帰れよ」 「はい。お休みなさい」 バタンとドアを閉め外に立った黒沼は、冷たい夜風にぶるっとした。 北海道帯広の夏の夜。ウィンカーを出して帰って行った彼女の車が見えなくなるまで立っていた彼は、ゆっくりとアパートの階段を上がって行った。 完
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