6108人が本棚に入れています
本棚に追加
/183ページ
163 ナースウェアがありきたり
「……はあ。帯広は広かったよ」
「本当にお疲れさまでした。ここにコーヒーを置きますね」
出張から帰った翌日の夏山ビルの朝。
社長室の慎也は秘書に内容を報告した。
「帯広大病院の院長の息子さんは、今は事務長なんだけど。今度選挙に出るみたいだったぞ」
「夏山も応援しないといけないですね」
「ああ。お願いされた……でもこれは水前寺さんがやるって言ってたから任せるよ。はい、これ。病院の写真だよ」
「どれどれ……広い病院だな?迷子になるな……俺は」
そういって西條は慎也のスマホの写真は勝手に見ていた。これを野口も横から覗いた。
「でも。病院は新しいのに、看護師の服はありきたりですね」
「だろう?俺もそう思った」
「社長、このヒマワリの写真は?すげ……ずっと続いている」
西條は手の中には道に咲くヒマワリにすげえと白い歯を見せ、慎也の笑みを誘った。
「帯広の清掃員さんが、植えたんだって。それに帯広から上がっていた過疎についてのなんたらかんたらの提案書も彼女だってさ」
「清掃員?……この綺麗な方ですか?」
野口は慎也が帯広の全社員の撮った記念写真の中から、美咲を見つけ出した。
「そ!姫野がそう言ってた。パートさんだけど、彼女は小樽商科大学を出て、商社に勤務して、そこで情報やデータをどうとかで。その会社では今後の未来予想をしていたらしいよ」
「それで納得できました。おかしいと思ったんです。急に帯広が洗練されたというか、事務もスムーズに動いていますので。そうか、そんな優秀な女性がね」
「……どれどれ?へえ?うちの小花ちゃんも美人だけど、彼女はセクシーでキュートだな。参るぜ全く!」
「君が参る必要は全くありません。ほら、早く!常務と出かける時間ですよ!行きなさい」
「はいはい……」
西條が退出し、慎也も通常の仕事を始めた。
その頃。夏山ビルの社内を、彼女がお掃除していた。
「あの!ちょっとお聞きしたいのですが」
「なんでしょうか?」
胸にCMでよく見かける医薬品メーカーのバッチを着けた若い男性が、彼女に声をかけて来た。
「中央第二営業所はどこですか?」
「目の前のドアを開けてください。お気を付けて……」
こうして小花は階段を上がって行った。
「あの!すみません」
今度は違う男性が階段の下から彼女に声をかけて来た。
「今日は何曜日ですか?」
「月曜日です。ご自分のスマホをご覧くださいませ」
こうして階段を上って三階にやってきた小花は、また声を掛けられた。
「あのさ」
「なんですか?さっきから!もう!お仕事を邪魔しないで!」
そこには慎也はびっくりした顔で佇んでいた。
「まあ?ごめんなさい!社長でしたのね」
「……小花さん。俺。何にもしてないよ?」
「すみません。間違えました……」
頭を下げようとした小花を慎也はいいんだ、手で制した。
「それよりも。こっちに来て!いいから」
「私は仕事中です」
「良いでしょ!少しくらい。こっち!」
強引に腕を引く慎也に観念した彼女は一緒に秘書室に入った。そこにいた野口は、済まなそうな顔をしていた。
「すみません。小花さん。社長は言い出したら聞かないもので」
「うるさい!あべちゃんが言っていたぞ!お前いつも小花さんをお茶にさそっているそうじゃないか?いいだろう。少しくらい俺に付き合ってくれてもさ」
そういって慎也はぶうと膨れた。
「小花さん。いつもありがとう。これ。帯広のお土産なんだ」
「私にですか?開けてもいいですか……まあ。これは重かったでしょう」
箱の中には花の香油の瓶が何種類も入っていた。
「薔薇にラベンダー……スズランに、ライラックまで」
「姫野が持ったから俺は重く無かったから心配しないで。それに……いつも入浴剤を作ってくれているから。その御礼だよ」
高価なのも驚きだが、小花のためにこれを選んで買って来た実兄のセンスに、彼女は驚いていた。
「……恐ろしいですわ……」
「どうしてですか?小花さん」
「だって野口さん!これは前から私の欲しかった物なんですもの……。このアカシアなんてずっと前から欲しかったんです」
「フフフフ。俺が本気を出せばこんなもんだよ。なあ、野口?」
「いつも出して下さい!お仕事で!?」
騒いでいる二人を他所に小花は恐る恐るアカシアの小ビンの蓋を緩め香りを嗅いだ。
……懐かしい……ありがとう、お兄様。
「本当にありがとうござ」
その時、彼女のセリフを制するように慎也もこの香りを嗅いだ。
「懐かしいな……昔住んでいた家で嗅いだ匂いだ」
兄も憶えていた事が嬉しかった彼女は満面の笑みを浮かべた。
「社長、ありがとうございます!では私はこれで。よいしょ」
こうして彼女は箱を抱えて、五階の部屋まで行こうとしていた。
「おっと!お嬢。危ないので自分が運びます」
「大丈夫ですよ」
「いえいえ。御身になにかあったら大変ですので。それにお願いがありまして」
一緒にエレベーターに乗り込みお土産を五階の部屋に置くと、今度は渡に懇願されて中央第二までやってきた。
「お嬢!」
「お嬢?来てくれたんですね」
そこには中央第二の社員「夏山ナイン」が揃っていた。
「お前ら!お嬢に椅子!それにお茶だ!」
はい、という一同の返事で渡の指揮に素早く動いたナインは、やがて彼女をぐるりと囲んだ。
「実はお嬢に頼みがあるのです」
「またボイストレーニングですか?」
「その方が良かったです。実はモデルになっていただきたいのです……」
渡は苦しそうに語り始めた。
「明日、アクセス札幌という展示場で、通信販売のカタログ商品を実際に展示するのです」
そこで医療関係のウエアも展示されるという。
「……ナース服や、歯科医が着用している白衣は分かりますかな?あの類の物を飾るのですが、私達の得意先の先生が、これに行くのが面倒なので、代わりに実際に着て来て写真を送って欲しいと我儘を言うのですよ」
すると営業マンの石毛が彼女に説明した。
「我々はドクターの白衣や、男性看護師のウエアを着るのですが、女性用は着れないじゃないですか」
「お前は何を言っているんだ?当たり前だろう!通報されるぞ」
揉める二人に彼女は尋ねた。
「あのですね。どうして私何でしょうか?夏山愛生堂には他にも女子社員がいますよね」
すると渡はふうと溜息を付いた。
「これは戦いなのです」
「戦い?」
これは年長の森が説明し始めた。夏山愛生堂はかねてよりカタログショップの老舗『セシーロ』と古く付き合いがあり、今回もこの通販会社の商品を一押ししてバックマージンを得たいと話した。
「ですので。ぜひお嬢に『セシーロ』の商品を着ていただき、その美しさで商品の価値を高めていただきたいのです!」
「でも……蘭さんだって。美紀さんだって」
「ダメです!お嬢じゃなくちゃ……この通りです……」
土下座をしようとした渡を小花は慌てて止めた。
「おやめ下さいませ。分かりました。明日そこで試着すればいいなら協力します」
先ほど慎也に素敵なお土産をもらった彼女は、少しでも夏山に貢献したい気持ちが生まれていた。
「聞いたか、おい?お嬢が我々の為に……」
「部長!しっかり」
脱力で膝を付いた渡を石毛が抱き起した。
「こんな事でどうするんですか?本番は明日ですよ」
「ああ?そうだったな。すまん。余りに嬉しくてな。ん?走馬灯がみえる……」
「バカな?しっかりして下さい!」
「走馬灯が……あれは母さんか?」
「おい?台所の七味唐辛子をくれ!渡部長、いいですか?はい。目を開けて……」
親切な部下の手当てにより気を失わずに済んだ渡は、小花と待ち合わせの時刻を約束し、彼女を解放した。
その翌日の待ち合わせ時刻。アクセス札幌に黒いフェアレディZが到着した。
ドドドドという低いエンジンを轟かせた助手席から、小花が降りて来た。
「おはようございます。渡さん」
「おはようございます、お嬢。それに……」
彼女の背後に立つナイトの姫野に渡は眉間にしわを寄せた。
「姫野よ……頼む!本日は中央第二にお嬢を、お嬢を」
「分かっていますよ。しかし私も得意先に頼まれていますので会場にいます。でも彼女に妙なコスプレなどさせたら直ちに連れ帰りますので、御承知下さい」
「わかった!そんなに睨むな!で、ではお嬢、こちらへどうぞ」
渡にエスコートされた小花は、展示場へと足を運んだ。
「まあ……こんなにたくさん。それに他の服もあるんですね」
社交ダンス、事務服。レストランのウェイトレスなど多種多様の服がそこにあった。
「自分もこんなにあって驚いております。さあ、これです」
渡と小花がやってきたコーナーにはすでに夏山ナインが医療用の服を着用していた。
「お嬢!どうですか?自分はレントゲン技師の服で」
「俺は整体師の服です」
「私は男性看護師で」
「これは……何だろう?薬剤師か」
最新のデザインの服はどれも素敵で、夏山ナインでも様になっていた。
「まあ皆さん。それなりですわ。とっても偽物には見えません」
「ふふふ。我々はなんでも無難にこなすのが得意なのですよ。さて、お嬢はこれです。恐れ入りますが、あのカーテンで仕切られた更衣室にてお着替えください」
彼女に服を持たせた後、渡ら夏山ナインはこの更衣室をぐるりと囲み、絶対ディフェンスで彼女を守っていた。
「着ましたよ。開けますね」
そこにはピンクのワンピースのナースウェアの彼女は恥ずかしそうに立っていた。
「おお……皆の者。今日の日を忘れるなよ」
「はい!では写真撮ります!」
感動に打ちひしがれている渡を他所に、小花は次の服に着替えた。
「はい!着ました」
そこには白で決めたパンツ姿の小花が立っていた。
「これは動きやすいんですね」
「おお?……誰か救心を持っていないか?俺の心の臓が?」
「はい、救心!では写真撮ります!」
こうして小花はセシーロの医療用の服をどんどん着て行った。
やがて最後の試着となった。
「やはり純白か……これで決まりですわ」
小花の白衣のスカート姿をみて渡は、涙が出てきた。その時、彼らに声が掛かった。
「すみません。我々は今回の催事の責任者ですが。今回の様子を組合の新聞に載せたいのです。宜しければ写真を撮らせていただけないでしょうか?」
「どうしましょう?渡さん」
「お嬢の名を出さないのであれば。夏山の宣伝になりますし」
兄の為になると聞いた小花はこれを承諾した。
「ではこちらに移動頂けますか?こちらの男性医師の服を着たモデルの方と並んでください」
するとその壇上には、良く知っている男性が立っていた。
「まあまあ。お似合いですこと」
「鈴子もな。くそ。足を出し過ぎだろう」
「そうですか?こういうデザインだと思いますが」
白衣を着た姫野はまるで水を得た魚のように、キラキラと輝いていた。
この時、カメラマンが二人を撮影し始めた。
「そうですね。もっと近寄って、そう」
フラッシュの中の二人に、会場の客が集まってきた。
「もっと近付いていただけますか?」
「こうですか」
「姫野さん?みんなが見ていますわ」
照れている小花に構わず姫野は彼女の腰に手を回した。腰から上しか写真を使うつもりの無かったカメラマンは、優しく微笑み合う二人を見て、眠っていたカメラマン魂に火が付き、もっと撮りたくなった。
「いいですよ、そう!では頬を寄せてください……。あ、今の良いですね」
「あのですね。そろそろストップを」
渡の声も聞こえないカメラマンは美しい二人を夢中で撮って行った。
「そうだな……あと一越えなんだけど」
「では失礼します……」
キャ――――ーと会場に響いた声に動じす、姫野は彼女の頬にキスをした。
「いいな?オッケーです。ご協力ありがとうございました」
姫野はこの写真を自由に使って良い代わりに、写真をもらう約束をして壇を降りた。
「恥ずかしくて歩けないですわ」
「ハハハ。御姫様抱っこしてやろうか」
「もう!」
じゃれあっている二人を渡は、じっと見ていた。
「部長。大丈夫ですか」
「ああ?ちょっと昔を思い出してな」
渡は若い部下に昔話を始めた。
「前社長の時に宴会で仮装をしようと言う事になってな。社長は医者の服を着たんだ。その時、中央第一にいた綺麗な女子社員がいてな。彼女はあんな風に看護師の白衣を着たんだ」
「渡部長は何を着たんですか」
「寺の住職の恰好だ。だかあの時、社長は結婚されていたんだが、彼女の白衣姿に心を射ぬかれたんだな……」
「部長?」
遠い目をした渡は、小花と姫野を見ていた。
「ハハハ。戯言よ。俺はお嬢を守ると決めたので、そんな邪な気持ちは無いんだ。それにしても仲が良いな……」
彼らを目を細めて見ていた渡に、中央第二の俊足の松井は不思議そうに首を傾げた。
「部長、その時なして御坊さんの恰好をしたんですか?」
「さあな。あの日に帰って自分を殴りたいよ……」
こうしてアクセス札幌の展示会は盛況に終わった。
その後日。夏山社長宛に一通のメールが着た。これに目を通した野口は内容を慎也に報告した。
「要するに。小花さんと姫野が着た服がバカ売れってこと?」
「そうみたいです。特に小花さんの着たナース服は、品薄状態だそうで。メーカーさんも嬉しい悲鳴でしょうね。株も上がっているし」
「どんなの着たんだよ。ねえ!野口!教えて!見せて!早く!」
野口は渡に送らせた自分のスマホの画像を社長に見せた。
「ほうほう。こういうことね。でもさ。これって小花さんが着れば何でも可愛くみえるんじゃないの?」
「それを言ってはなりません!他のメーカーも彼女にモデルを頼んだらどうするんですか」
「そ、か。しかしまた小花さんにお世話になったな。また御礼しないと」
そういって慎也は窓辺に歩み寄った。窓の下では卸センターのお掃除少女達が、ふざけながら掃除をしているのが見えた。
……でも。うちの小花さんが最高だな。
実の妹と知らない慎也だったが、それでも彼女に優しい愛を抱いていた。
……あはは。水を掛け合ってるし?そうか。今日も暑いもんな。
南の太陽は容赦なく卸センターに熱を送ってきた。でもそれに負けないくらい、卸センターは暑く燃えていた。
完
最初のコメントを投稿しよう!